泥中に咲く花
蓮の花
私の好きな花

$幸福の科学の教えをあなたに届けたい・・・


まるで泥沼かと思うような環境に生かされ、
自分の人生を呪う事があるかもしれない。

自分の心がドロドロなのに気づき、
汚い自分の心に呆然となる事があるかもしれない。

でも、その環境を恨まず、
汚い心を憎まず、
そのドロドロの中において、
自分自身を美しく咲かせることが出来る。

泥田にしか咲かない花、
蓮華の花のように、
私も、ひるまずにまっすぐ
美しく咲いていたい。




以下は、幸福の科学大川隆法総裁の言葉です。


この世のなかは、すべてを浄化して、
きれいにすることはできない。
しかし、そのなかにおいても、
泥のなかから蓮の花が咲くように、
あなたがたも一輪の花を咲かせなさい。
それが、あなたがたの環境のなかにおける悟りなのだ。
その環境自体を変えることはできない。
あなたがたが味わった、過去の不幸それ自体を、
全部、帳消しにすることはできない。
しかし、不幸な環境に生れたとしても、
同じような環境のなかにある人が、
全員、不幸のどん底まで、
行かなければならないというわけではないであろう。
その環境のなかで、あなたがたは、心を磨き、自分の道を求めて、
一輪の花を咲かせることはできるのではないか。
それは、どの人にも可能なはずである。
すべての人に仏性があり、
仏陀になる可能性があるという考えは正しいのです。
誰もが、世界を救う法を説けるという意味での
仏陀になれるわけでがありませんが、
自分の環境のなかで、一輪の花を咲かせることは可能です。
そして、あまり欲を持ってはいけません。
この世においての大欲を持ちすぎてはいけないのです。
足ることを知って、
「どのような環境のなかにおいても、自分なりの一輪の花を咲かせる」
というところに幸福の道を見出すことです。
客観的な条件が全部揃えば幸福かというと、そんなことはないのです。
人もうらやむ環境に生まれ、
すべての条件を満たしているような人のなかにも、
心は虚しく暗い人はたくさんいます。
一方、ささやかな環境のなかにあっても、
光輝いている人はたくさんいます。
仏教的には、その輝きを目指し、それを得ることが大事なのです。
すなわち、周りの環境、あるいは、自分自身のいままでの生き方や、
いまの心を見れば、それは泥沼かもしれない。
しかし、あなたがたは、そこから、ささやかでもよいから、
悟りの花を開かせなさい。ということです。
どうか、この世的な結果主義者に終わらないように、
この世的なことがよければ、
すべてよいという考えにならないようにしてください。
「どのような環境下においても、自分なりの一輪の花を咲かせる」
ということが、
「人生は一冊の問題集である」
という言葉に対する答えでもあるのです。
それを望んでいただきたいと思います。
(幸福の科学「信仰のすすめ」より抜粋)


信仰のすすめ―泥中の花・透明な風の如く/大川 隆法

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