お話は 2部構成になっていますかね。

前半の 4分少々の お話には すごく納得しました。

 

 

 

 

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初めて自分の頭に浮かんできた

言葉は 神さまの言葉だよ!

 

これは 神さまとお話できるという子供たちの

メッセージから聞いていた言葉です。

 

神社の片隅に落ちている 2本の枝を拾い

どっちが好き?って 聞いてくるのですが

最初にこっち!と 言っておきながら

まじまじと 2本を見比べているうちに

やっぱり こっちかな?とか 心変わりしてくる。

 

でも 最初に インスピレーションのごとく

こっち!と言ったのが 神さまの言葉で

あとから 考えて決めたのは 自分の自我だよと。

 

もし 神さまの声に従いたいと思っているのなら

最初に自分の頭の中に 浮かんできたほうを

選んだらいいよと。

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自己対話は 結構 好きで 

祈祷の時間が いつしか 

対話の時間になってしまったり・・・

神さまに祈っているつもりが

自己対話のようになってしまってて・・・

 

お祈り 失敗かな?なんて 悩んだこともありました。

 

条件祈祷など 時間で縛っていたこともあり

その時間お祈りできなければ 失敗って

ことでしたから。

 

 

神さまに祈ってたら

いつのまにか 深い自分と対話してた?

そんな 感覚になって 焦りましたが

でも それで よかったのですね。

 

 

その頃の 神と言えば

統一の神であり

聖書に出てくる 偉大な創造の神だと

思っていたので

実のところ こんなわたしの 祈りに

いちいち 答えてくれるわけがないと

どこかで 思っていたわけです。

 

でも なにかしら 答えてくれる存在

導いてくれる存在が いる。

だけど それは 教会のそれとは 違うところに

わたしを 導こうとしている?

 

それを 感じたときに 

「わたしの神さま」と 名づけました。

 

自分と 相手という形で 区別したいがために

チャネリングというものに 興味を持ったのです。

 

しかし いまいち 実感できない。

 

だって 全部 自分の頭の中に

浮かんでくる 思念なので

自分か そうでないかの 区別が付かないのです。

 

 

いつも 最後は 馬鹿らしくなって 投げ捨てて

また 期間を置いて 拾ってきての 繰り返し。

 

 

それを 対話形式で しかも キーを打って

文字に残すという 作業をするようになって

なんだか 面白くなってきたのです。

 

気づいたら なんと 1年も続いてしまって!

 

 

神さまとは 言ってはいますが

わたしの 指導霊とか?その辺かなというつもりで

お話しています。

 

 

全部 自分の声でしか聞こえてこないので

そこを 差別化したかったのだけど

書くということを 通すと なんとなく 分かってきた。

 

この動画で 言われていることに

すごく 納得したのでした。

 

 

 

 

今年になってからは

時々 PCを落としたあとで あちゃーー

今日は 神さま対話してなかったぞ・・・と

思い出すときは まさか そこからPCを

立ち上げるなんてことはせず。

 

お布団の中で 1日を締めくくりながら

お話する時間を持とうとします。

 

・・・が やっぱり 書く動作がないと

自分の考えに浸りきって

会話になりません。

 

会話したいと思っていたこそさえも

すっかり忘れてしまいます。

 

そこで 宙に キーボードを打つという 

指を動かす動作を入れて

話をすると 意外に 続けて お話が進むとか

新しい発見です。

 

僕 書かなくても できるんだよね~

 

って 言っておられましたよね。

 

こういう感覚を繰り返すと

書かなくて お話ができる状態になるのでしょうか。

 

 

 

 

 

動画後半の お話は とても 新鮮でした。

 

人のために 生きようとすればするほど 

助っ人霊団が付いてくれるって・・・

これは 全く 実感が 湧かないけど

そういう人たちには なんとなく 分かるお話かなと

思いました。