2014年2月24日(月)先勝

今日、ウクライナの現政権が崩壊した

そのニュースが報道ステーションで流れていた。その報道ステーションでは、同時に、実質賃金指数が0.5%低下していることを受け、賃上げがいつされるのかと、国会内で首相と論争されている風景が映し出されていた。その質問を受け、日銀短観からすると景気動向が上向いているので、それで賄えるはずだ、と主張する首相も映し出されていた。また放送内では同時に、武器輸出三原則を緩和、武器がある条件で輸出できるようにしたという話もしていた。そしてその後、安倍政権の支持率が下がり、7か月ぶりに5割を切り48.8%になり、不支持率は増え30.9%になったことを報道していた。

別のニュースでは、子宮頸がんワクチンの接種推奨を再開させる検討が進められていることを採りあげ、その後遺症について、重篤患者が千人以上いるのに、海外と比べると大した割合ではない、という内容を話している役人の姿が報道されていた。この内容は、明らかに千人以上は割合的に少ないから、問題ないではないか、という話に個人的には聞こえた。

一方、同じような時間帯のフジテレビのニュースでは、内閣支持率が1月からほぼ横ばいの52.9%で、不支持率も0.6ポイント減って31.9%だったと、テレビ朝日とは全く逆の報道がされていた。

さて、ここで感じることは、割合という数字の怖さである。どのニュースにおいても、両極で捉えることができる内容である。それを、マスコミは、自分たちに都合のいい内容を切抜きして都合のいい数字を伝えているのである。

別の話になるが、先ほど、大学生と話していた。先生、なぜ、受信料は払わなければいけないのですかとの質問。必要なくないですか、NHK、とのこと。さて、みなさんはどのように答えるのだろう彼曰く、テレビはいらないですよねー、とのこと。でも、高齢者は必要なのかなとも言っていた。今や彼らにとっては、テレビから得られるものはなく、スマホで十分だと言うのです。しかし、今まではテレビが現代文化を作ってきたことを話すと、少し納得してくれたようです。でも、それだと、スマホが使える人が増えると、やっぱりいらなくないですかという話になった。

まさに。。。

今のテレビの形は、あるモデルを広めるため、マジョリティを採用し、マイノリティを黙殺してきた。しかし、今や、マジョリティもマイノリティも拡散していまい、モデル化が困難な時代に突入している。とりわけ、これからのモデルは、マスコミが描くモデルとはかけ離れているため、目につかないところにある。(もしくは、マスコミが目をふさぎたい環境下にある。)そのため、気付かない。(もしくは、気付かないフリをする。)その間、どんどんどんどん、マスコミと社会が描くモデルはかけ離れていく。。。

おそらく、今の形のテレビの力は確実に落ちていくのでしょう。なぜなら、今の形とは、割合が高い方にのみ流れ、その価値観を押し付ける形で作られているからである。しかし、今や多様化の時代。割合が低くても、どこかのタイミングで変わる可能性が高まっている社会である。その動きは激しく、臨機応変に対応しなければならない。

ウクライナの政権崩壊も急転直下、まさに動きが激しい現代だからこそ起こった出来事なのだろう。しかし、このウクライナの出来事は、EUとロシアとの関係選択を誤ってしまったから起こったことのようです。この出来事は、世界は当然のことながら、日本も注視しなければならない出来事です。対岸の火事では済まされないことになる可能性があります。なぜなら、グローバル化がすすめられ、世界は一つ、がかっこいいと思わされていることに流されている現代。ましてや、安倍政権は、この日本でも戦争ができるように仕向けようとしてるようです。

どこか、世界の流れが、いずいです。(いずい、は仙台方言で、なんとなく居づらいとか、なんとなく落ち着かないとか、そんな意味らしいのですが、当てはまる標準語が見つからず、結構使っています。)

日本もしかり。

おそらく、安倍政権も、誤った選択をしているのではないかと思うのです。アベノミクスで鼻息が荒かった昨年とはうって変わって、今や虚勢を張っているだけの姿のように感じる、首相の姿。なぜなら、アベノミクスの根本の問題にあるような気がします。そもそもアベノミクスは、歳出を減らさずに、どちらかというと歳入を増やしましょう、とやっている政策であります。確かに、この論は正しいのかもしれませんが、歳入を支えていたものは、石油や石油由来製品群であります。これが減ってきている以上、歳入は増えるはずもありません。この原理原則を理解して政策をやらなければならないはずのように思うのです。(この原理原則を理解していない気もしますが、、、あしからず。。。)

しかも、アベノミクス以外のこと、例えば、集団的自衛権、原発再稼働、子宮頸がんワクチン、武器三原則、靖国参拝、等々、これらはどう見ても世論で議論された内容とは思えない。それこそ、ウクライナならデモが起こるレベルのような気もする。そんなマスコミは、FNNは安倍政権にすり寄り、ANNはすり寄っているようには見てとれない。どちらを選択するかは、受け取り手次第

さて、日本人は、公明正大に判断できるのか冷静に見ていく必要があるのだと思う。。。
2014年2月23日(日)赤口

今日は、雪の中、年明けはじめての練習試合を行ってきました。(私がやったのではなく、私が受け持っている大学ラグビー部の学生がやってきたので、、、あしからず。。。)

去年からやっているのですが、昨年後半にはOB会が立ち上がり、そのおかげで、ようやくしっかりしたラグビーの練習ができるようになってきました。でも、雪の間はさすがに、外での練習は積極的にやっていなかったのですが、今日から少しずつ外での練習開始です

今日は、地元の高校チームとの練習試合でした

去年夏にもやったチームなのですが、その時は、高校からメンバーを借りてようやく試合ができていました。しかし今日は、驚くことに、うちだけでチーム編成ができました

さてさて、今日の秋田は、朝から雪が降っており、当然のことながら、雪の中での練習試合でした。これは、一般的に見たら不利な環境のように思われるのですが、実は、ラグビー力をつけるにはもってつけ。というのは、ラグビーは、どんなに整った環境だろうと、15人対15人がぶつかるスポーツ。なので、個人プレーではどうにもならず、チームが一体とならないとトライには結びつきません。ので、そのプレーを強化するには、雪の上で、短パスを繰り返し、だんごになって攻め込む。そして、走るときも、足を取られないように、ももをしっかりあげて走らなければならないのです。この走りは、つまり、タックルを受けずらい走りにつながります。

さて、うちのチームが目指すのは、しなやかラグビー。それはポジションにこだわらず、臨機応変に対応しながら、ボールを最大限に活かすラグビーです。それは、周りの環境を正確に判断し、プレーをしなければならない、難しいラグビーなのかもしれません。しかし、それは、大学生や社会人だからこそ、経験値が高い状態だからこそできるプレーだと思っています。

実はラグビーというスポーツは、不思議なことに若いから強いということはありません。(日本選手権では、社会人チームの方が強い、という現象が起きています。)走りまわるスポーツなので、高校生の方が強いような気もしますが、実は、大学生・社会人チームの方が強いのです

ただ、問題は、ラグビーの場合は、攻撃は最大の防御ではなく、防御は最大の攻撃だということです。つまり、地道に愚直にプレーができるか、なのです。プレーヤーは、どうしても、かっこいいところを見せたくなります。が、それをやると、チームの一体感が崩れるのです。

ここができるようになると、強くなっていくと思うんですけどねー。にしても、それを、未経験者の一年生が、愚直にやっていることに驚きます。すごい、成長を感じます。(ちなみに、この二人は、オリンピックラグビー代表のトライアウトを受けた二名です。)

いずれにしても、去年はチームで練習ができるようになること、が私の目標でした。今年は、一勝でも勝てるようになれるようになることを密かに狙っています。そのために、4月からは勧誘が始まります。今年も、ラグビーの楽しさを知ってもらえる仲間が増えることを期待したいものです。。。



2014年2月22日(土)大安

今日は、秋田県湯沢市で、「ジオパワーで湯沢の街づくり」シンポジウムにて講演してきました

表題としては「おカネの流出を避け、地域経済を成長させる取組みについて」です

概要として、
「農業社会、工業社会、金融社会、情報社会へと移り進んできた人類の文化文明。その流れの中で、今までの文化文明を構築するための活動の中心をなしてきたのは、石油である。石油は人類が発見した最高の資源なのかもしれない。その石油を加工し、付加価値を増やして、そこに貨幣経済を乗じて、今までの資本主義経済社会は構築されてきた。しかし、その石油が減耗する時代に突入した。今までのように、石油を加工して何とかする社会づくりは終焉に向かっている。これからは、なるべく石油に依存しない社会づくりを考えていかなければならない。その形は、都市集約型ではなく、都市集約型と地方分散型を適度に組み合わせたハイブリッド型にある。実践として展開している栃木・足尾の事例をもとに、これから考えるべく地方社会の形をお話する。」

この話の中で、とりわけ秋田においては、雪を事例に、リスクマネジメントの重要性や想定外、想定内の話の大切さを話し、これからの社会を考える上でのヒントは、すべてのモノやコトの流通システムの見直し、であるということを話し、そして、まずは自分が生きることを優先し、生活圏を身近にするということを考えることでこれからの社会が見えてくるという形で締めくくった。

このような内容の話を1年ほど前からしてはいるが、なかなか通じなかったような気もする。が、最近は少しずつ理解していただける方が増えているような気がする。(私の説明の仕方ができていなかったということはヌキにして考えたい、、、あしからず。。。)

その後の懇親会において、評価としては、この社会が少しずつ広がっていけばいいですね、という言葉をいただきました。また、グローカルという内容をはじめて聞きました、と喜ばれていました。一方、また昔の生活に戻れというのですかという意見もいただきました。この部分はやはり私の説明不足の部分なのだろう、と思います。(そのことは、働くや活動の形を変化させることをもう少し説明すると、理解されるようなのですが。)

そんな反省をもとに、また、考えることにしたいと思うのでした。。。