2015年10月13日(火)先負
昨日、ミニマリストなる人種が生まれていることを知った。どうやら、雨風をしのげるだけの住居以外の不必要なものを持たず、部屋にはほとんどのモノがない状態で生活している人を指すらしい。その概観だけを聞いたら、私もミニマリストに近いのかと思ったら、それとは程遠く、部屋にはモノがあふれている。というのは、私の部屋にはモノがあふれている。あふれているモノとはほとんどが本であるが、いつも「もったいない」と、冷蔵庫を持たず、電気の利用を控え、出掛けるときにはブレーカーを落として出掛ける人とは違うらしい。
しかし、その先に行きつく形は似ているような気がする。その行きつく形とは、まさにお金や周囲に振り回されない環境にある。常に心が落ち着いていて、誰に急かされることなく、何かに追われることのない生活にあるような気がするのである。何かと変化が激しい無常社会では、何かと刺激ばかりに振り回される。が、それに対抗する形で、ミニマリスト、なるものが生まれてきたのではないだろうか。というのは、このミニマリストは、やはりもともとはモノへの執着が強い人だったらしい。が、あるときふと、このモノに振り回される生活に嫌気がさして、今に至るようである。その結果、ミニマリストへの道をたどったらしいのですが、この、ミニマリストには、もったいないの心が取り込まれている気がするのです。
昨日は、TEDの中でも有名なスローテレビのプレゼンテーションを視聴した。そこでは、5日間という船旅のLIVE番組の話を中心に、そこから生まれる人の創造性が語られていた。その中で人は、何もないところにいくと、勝手にストーリーを組み立て、楽しむことができるらしい、という創造性について語られていた。
かたや、ミニマリストの生活を見ていた人からは、人は無駄なものから楽しみを感じるから、ミニマリストは楽しいのだろうかとか、文化は生まれるのだろうかという話があった。おそらく、ミニマリストになりきれない人は、今の物財社会に侵されているがためにそんな話が出るのだろうが、これまたその物財社会を手放すことの恐怖を感じるがために行動をできないために、想像ができない人の話のような気もした。
昨日、TEDで、もう一つ「あなたに夢の仕事ができない理由」というプレゼンテーションを視聴した。その中で、人は、やったことがないことに対しては、怖いがために、いろんな言い訳をしてやらない、ということを語っていた。
なぜかわからないが、これらのことが私の脳の中で有機的に結びついた。おそらく、ミニマリスト、と呼ばれる人たちの生活をすると、時空間の無駄を感じることになるのだろう。そして、その時空間の無駄は、その人たちにとっては、自己の財として捉えることができるようになるのではないだろうかその目に見えない無形財から、文化を生み出していくのではないだろうかと感じた。そして、その無駄な時空間の中で生活することこそ、ミニマリストにとっては、幸せなのではないだろうかとも感じた。この形は、次なる社会のひとつの指針になるのかもしれない。つまり、お金や物に振り回されず、贅沢は、時空間の無駄を楽しむことにあるようになることである。それは、より心豊かな生活へと導かれる可能性が高まる。なんとなくではあるが、楽しみな社会である。その生活の中には、PCと電子書籍は顕在していた。それは、今まで、モノとしての贅沢な生活を経てきたからこそ、このようなミニマリストの生活にたどり着くことができているという背景があることも忘れてはならない。この生活には、現代経済学でいう成長などは望めない。が、もしかしたら、次なる社会の幸せの形が見え始めつつある状況なのかと、ふと思ったのである。。。
昨日、ミニマリストなる人種が生まれていることを知った。どうやら、雨風をしのげるだけの住居以外の不必要なものを持たず、部屋にはほとんどのモノがない状態で生活している人を指すらしい。その概観だけを聞いたら、私もミニマリストに近いのかと思ったら、それとは程遠く、部屋にはモノがあふれている。というのは、私の部屋にはモノがあふれている。あふれているモノとはほとんどが本であるが、いつも「もったいない」と、冷蔵庫を持たず、電気の利用を控え、出掛けるときにはブレーカーを落として出掛ける人とは違うらしい。
しかし、その先に行きつく形は似ているような気がする。その行きつく形とは、まさにお金や周囲に振り回されない環境にある。常に心が落ち着いていて、誰に急かされることなく、何かに追われることのない生活にあるような気がするのである。何かと変化が激しい無常社会では、何かと刺激ばかりに振り回される。が、それに対抗する形で、ミニマリスト、なるものが生まれてきたのではないだろうか。というのは、このミニマリストは、やはりもともとはモノへの執着が強い人だったらしい。が、あるときふと、このモノに振り回される生活に嫌気がさして、今に至るようである。その結果、ミニマリストへの道をたどったらしいのですが、この、ミニマリストには、もったいないの心が取り込まれている気がするのです。
昨日は、TEDの中でも有名なスローテレビのプレゼンテーションを視聴した。そこでは、5日間という船旅のLIVE番組の話を中心に、そこから生まれる人の創造性が語られていた。その中で人は、何もないところにいくと、勝手にストーリーを組み立て、楽しむことができるらしい、という創造性について語られていた。
かたや、ミニマリストの生活を見ていた人からは、人は無駄なものから楽しみを感じるから、ミニマリストは楽しいのだろうかとか、文化は生まれるのだろうかという話があった。おそらく、ミニマリストになりきれない人は、今の物財社会に侵されているがためにそんな話が出るのだろうが、これまたその物財社会を手放すことの恐怖を感じるがために行動をできないために、想像ができない人の話のような気もした。
昨日、TEDで、もう一つ「あなたに夢の仕事ができない理由」というプレゼンテーションを視聴した。その中で、人は、やったことがないことに対しては、怖いがために、いろんな言い訳をしてやらない、ということを語っていた。
なぜかわからないが、これらのことが私の脳の中で有機的に結びついた。おそらく、ミニマリスト、と呼ばれる人たちの生活をすると、時空間の無駄を感じることになるのだろう。そして、その時空間の無駄は、その人たちにとっては、自己の財として捉えることができるようになるのではないだろうかその目に見えない無形財から、文化を生み出していくのではないだろうかと感じた。そして、その無駄な時空間の中で生活することこそ、ミニマリストにとっては、幸せなのではないだろうかとも感じた。この形は、次なる社会のひとつの指針になるのかもしれない。つまり、お金や物に振り回されず、贅沢は、時空間の無駄を楽しむことにあるようになることである。それは、より心豊かな生活へと導かれる可能性が高まる。なんとなくではあるが、楽しみな社会である。その生活の中には、PCと電子書籍は顕在していた。それは、今まで、モノとしての贅沢な生活を経てきたからこそ、このようなミニマリストの生活にたどり着くことができているという背景があることも忘れてはならない。この生活には、現代経済学でいう成長などは望めない。が、もしかしたら、次なる社会の幸せの形が見え始めつつある状況なのかと、ふと思ったのである。。。