源のブログ

源のブログ

ブログの説明を入力します。

Amebaでブログを始めよう!
~Armada~
「平松加奈 con Armada」

11月3日、愛知県春日井市で「平松加奈 con Armada」のライブを聴いてきました。

平松加奈(Violin) 進藤陽悟(Piano) ICCOU(Flamenco Guitar) 海沼正利(Percussion)
最高のステージでした!パッショナブルな演奏に感動しました!!





昨日、南米ボリビアフォルクローレ最高峰「ロス カルカス」2014Japanツアーin浜松、聴きに行ってまいりました~~!
洗練されたチャランゴ、ケーナ、サンポーニャ他、各音の紡ぎの高い音楽性、、コーラスの透明度、ステージング 全て素晴らしかったです!
観衆も南米の方々が30%程みえ、大歓声の声援による一体感のあるステージとなり感動のるつぼと相成りました!グッド!


松田 優作 1949年 (昭和24年)9月21日 - 1989年 (平成元年) 11月6日) は、山口県下関市生まれの俳優、歌手。存命していれば、現在65歳。

刑事ドラマ『太陽にほえろ!』で人気を獲得。1970年代後半から東映セントラルフィルム作品、角川映画作品でアクションスターとして人気を博し、1980年代からは演技派としても認められるようになる。主演したドラマ『探偵物語』など、後進への影響も大きく、男気にあふれ情に厚く、その勇猛な人間性と卓越した演技力から、1980年代を通じてもっとも重要な日本の映画俳優の1人、カリスマと評価されている。


山口県下関市で、日本人の父と在日韓国人3世の母との間に非嫡出子として生まれた。

父親は長崎出身の保護司で当時39歳、郷里に妻子を持つ180センチメートル近い大柄な男性だった。2人の異父兄がおり、 (異母兄弟もいる) 兄弟仲は良かったが、次第に自身の出生の秘密に気付き始め、それが原因で孤独を感じるようになる。生家は遊郭であったという事も起因し、心に深い傷を持ったとも言われている。


若くして秀逸な演技力を持ち、様々なシーンで実力を発揮する。

1988年、深作欣二監督の時代映画『華の乱』では、国民的女優吉永小百合と共に主役を演じる。この撮影をしている頃から、松田優作は尿が出なくなり腹がパンパンに張っていたという。膀胱癌を発症していたのである。その後アメリカ映画『ブラック・レイン』に出演オファーがあった時、演技に支障が出るという理由から手術、抗癌剤治療を拒否、そして病魔が襲う中で念願のハリウッドデビューを飾るのである。なお、病気の事実を知る者は、撮影関係者では安岡力也のみであり、周囲にも堅く口止めがされていた。

そして、ブラックレイン撮影終了帰国後

1989年11月6日、午後6時45分に入院中の東京都武蔵野市にある西窪病院 (現在の武蔵野陽和会病院)で膀胱癌の腰部転移のため、40歳で死去した。法名は天心院釋優道。松田が弟の様に可愛がっていた仲村トオルは松田の遺体の前で「優作さん!起きてください!早すぎるよ!!」と泣き叫んだ。


上記ネット上から抜粋し、一部補記表記したものである。あえて、松田優作の事を取り上げるには訳がある。癌に侵されながら手術、抗がん剤治療を拒否し、己の表現の場を優先した哀切極まりない生き方に、小生深く感動する。これほどまで壮絶な生き方をした俳優がいただろうか。。。!!!