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青春の雨音-3-25

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2005-03-24 19:07:55
俺たちの話題は、男だけで集まれば決まって女の話だった。
誰と誰が付き合っているとか、誰と誰は深い仲だとか、くっついた
とか別れたとか、中には相当に知識を持つ者もいて、キスの時に舌
をこう動かすといいとか、やる場所はどこがいいとか、そのような
話ばかりだった。

今と違い、モーテルなどない時代のことで、たんぼのあぜ道や河原
の小道などを歩いていると、何個かは使用済みのコンドームが落ち
ていた。

中学や高校生ともなると、興味があるのにわざと知らぬ顔をして通
り過ぎたものだが、小学生などはそれを棒切れや木の枝先などにひ
っかけて、
「これは何だ?」
とわざとらしくわめきながら走り回り、大人の前に突き出したりし
ていた。

大人の男はただ笑っていたが、大人の女性は、青くなって、
「そんなもので遊んではいけません」
などといっては、追いかけて奪い、ゴミ箱にすてている姿も眼にした。

冬の寒い朝の通学路では、犬同士が尻をくっつけた形で離れずに歩
き回る姿もよく眼にした。
お互いが反対方向に歩いてもくっついた尻は離れないのだった。
あれは今思っても不思議だが、その姿を最初に眼にした時は、この
ようにくっついて生まれてきた可哀相な犬、と真剣に思ったものだ。
だが、それが犬の交尾と呼ばれるセックス行為だと知るのには時間
はかからなかった。
いろんなことを教えてくれる先輩や大人たちが回りに多勢いたので
ある。

豆腐屋のおやじが、
「こんちくしょうめ」
などといいながら、バケツの水をくっついた2匹の犬めがけてぶっ
かけると、2匹の犬はたいていは離れるのだった。

片一方の犬の長くだらりと垂れ下がった男性器からは、湯気が立ち
上っていた。
通学途中の小学生たちは大声で笑って「大きい、大きい」といった
が、女子学生たちは、見ないようにして早足で通り過ぎるのである
。なかには「きゃー」と叫び声をあげる女子児童もいた。

今と現代の大きな違いは、こういった光景を子供の頃から自然に眼
にする機会を失ってしまったことだろう。

俺らの子供時代には、かくれんぼで遊びまわっている途中でも、近
所の家のやぶれ障子戸から、中で夫婦が足を絡めている光景などを
眼にしたり、一人暮らしの男性が雑誌を片手に自慰にふけっていた
り、そういった光景は当たり前のものとして育った。

さすがに、夫婦の交わりをそうしょっちゅう眼にしたわけではない
が、住宅の事情が悪かった時代でもあり、何気なく眼にするという
ことは珍しくなかったのである。

また、いまでこそ露天風呂の混浴などというと男心をくすぐるキー
ワードとして週刊誌などのサブタイトルなどによく見かけるが、
俺の子供時代には、町の中の風呂屋の数件に1件の割合で混浴風呂
屋があった。

家の中に内風呂を持つ家などあまり無かった時代だから、
俺も両親によくその風呂屋に連れて行ってもらったが、大きな湯船
に男女がまたいで出入りする姿を今もはっきりと記憶にある。

中には若夫婦が子連れで来ていたり、夫婦で背中を流し合ったり、
だから、今思うと、けっこう性的にはのどかな時代だったのだと思
うのである。
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青春の雨音-3-24

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2005-03-22 20:53:48
夏休みも終わる頃になると、古い店舗兼住宅の取り壊しも完了し、
いよいよ家の基礎工事も始まった。

父と母は、近くに空き家を見つけ、自分たちだけでそこに住み、俺
たち兄弟は以前のまま、別棟の借家の2階に住まっていた。

食事だけは親の住む家へ出かけて食わなければならないのはこれま
でと同じだったが、300メートルは離れていたので、何かと不便
だった。

2学期に入って間もなく、板垣から電話があった。
約1年半ぶりに聞く声であり、俺はなつかしくもあり、嬉しくもあ
った。

声は相変わらずで、俺は安心した。
ようやくまともな給料がもらえるようになったから、今度飲まない
かという誘いの電話だった。
「寿司食ってもいいぞ」
などと、俺ではとても言葉にできないことを平気でいう。
「滝田はどうしてる? 滝田も呼んでぱっとやろうか?」

給料取りと学生の差がそこにはあった。

「でもあいつは柔道で鍛えてるし、体もでかいから、あいつを呼ぶ
ときは寿司はやめだな、俺の給料ではとても無理だ」
といって、アハハハと笑った。

まだ17歳の年齢でも、片方では寿司を食わせてやるというのだ。
給料をもらえる社会人という者が、やはりまぶしく思われた。

その日は電話の声だけで終わったが、その声の裏には、やはり時間
の流れというものが感じられた。
つまり、いわゆる成長という感触である。

板垣は俺の声を聞いてどう思ったか…。
俺は、奴に、大人になったんだな、という尊敬に似た気持と、友人
に寿司を食わせられるような身分になったことに、不思議な妬まし
い気持も起こるのだった。

いとこの芳登君は野球部に入っていた。
それと、この夏休みから不良仲間ができたとかで、夜遅くまで遊び
まわっている、と和哉さんがこぼしていた。

和哉さんは、大学生という雰囲気が出てきていて、たばこを口にす
る姿も様になってきていた。

その和哉さんが、
「おれいま付き合っている女の人がいるんだ」
とたばこの煙を吐きながら、ぽつりといった。

俺は、
「もう、やったのかい?」
とすぐさま聞いた。

「ばかだな、いくらなんでも、付き合ってまだひと月にもならない
のに、できるかよ」
と、和哉さんは顔を赤らめていった。
聞けば、まだ手も握ってないのだった。
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青春の雨音-3-23

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2005-03-18 11:07:24
とにかく、俺にとっては初めてとなる、5日間の部活合宿を終え、
昨年のバイク旅行とはまた違った意味での貴重な体験をしたのだっ
た。

合宿から家に戻ってみると、もうそろそろ店舗兼住宅の建築が始ま
るらしく、父や長兄は忙しく荷物や道具の整理に追われていた。

いとこの和哉さんも、山形大学の学生生活にも慣れたらしく、とき
どきは遊びに顔を出した。
和哉さんは、大学では体操部に所属していた。

そのために、来るたびに逆立ちやら片手倒立などをやって見せた。
高校のときは文化部にいたのに、和哉さんは器用で、なんでも短時
間で習得する能力を持ち合わせていた。

俺たち兄弟用に離れの別家屋の2階を借りていたが、次兄がいた頃
は和哉さんも次兄に遠慮してかあまり顔を出すことはなかったが、
最近はとみに顔を出すのだった。

「この部屋とももうすぐおさらばだね」
などと妙に懐かしんだようにいっていたが、
最近顔を出すのは、下の階に引っ越してきた新婚家庭に興味がある
かららしかった。

「俺見たよ、すごい美人な奥さんだよね」
和哉さんは、もうたまらん、とでもいいそうな顔をして、
「ちょうどこのあたりに寝てるのかな」
などといって、自分も同じ場所とにらんだ部屋の中に、ごろりと横
になるのだった。

「毎晩やってるんだろうな」
といっては、自分もまたぐらに手を伸ばしている。

俺は、この和哉さんを見て、頭のよさや能力と性欲に関する関係に
ついてずいぶんと考察させてもらった。
それによると、結論からいえば、この両者にはやはり関連性はなさ
そうに思う。

あの天才的な能力の和哉さんが、こと異性のことや性器のこと、ま
た自慰を含めた性欲的なことについては、落ちこぼれ組に属してい
た次兄や俺などと同等のレベルといえたからだ。

「この前、1日に11回できたよ」
と和哉さんは自分の自慰の回数の体験を話した。

「9回までは精液は出たけど、でもあれは精液といえるかどうか」
などと、この人の頭の中はどうなっているのか? と思わせるよう
なことを時々口にするのだった。
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青春の雨音-3-22

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2005-03-17 11:06:00
俺は最初からおとなしく殴られるつもりはなかった。

テントの外の、その男のいる場所へ近寄っていくと、男は先輩風に
どしっと両腕を組んで俺の前に仁王立ちに立ちはだかっていた。

眼は俺をにらみつけ、
「桜木とかいったな、2年のくせに今年から入部しただと」
と酒臭い息を吹きかけてきた。
「俺の見たところでは、2年では貴様が一番生意気だぞ」
という。

俺は、そろそろしびれを切らした気持になってきた。
「先輩、もうちょっとあっちの方で話をしませんか?」
といって、俺からテントを離れた場所の方へ歩き出した。

その男は何をこいつといわんばかりに怒った顔で追いかけてきた。
そして、追いつくなり「このやろー、なめてんのかー」
と大きな声を張り上げた。

俺は立ち止まり、振り向くと、男は「てめー、コノヤロー」とかい
って右手で殴りかかってきた。

俺は計画通り、その殴りかかってきた相手の右腕を思い切り、ナタ
でも振り回す勢いで俺の左手のくるぶし辺りで払いのけた。
男の腕がバキッと音を立てたようだった。

先輩の男は驚いた風で、殴りつけてきた腕を下ろすこともなく、た
だ同じ体型を保ったまま立ち止まり、俺をにらんでいた。
自分でも思いがけない事態に驚いて、体が固まってしまったのだろ
う。

俺はあいているもう一方の右手で拳を作り、その先輩の顔面目がけ
て思い切り殴り下ろした。
が、顔面の直前で止めた。いわゆる寸止めである。だから先輩の顔
には俺の拳は当たらない。

「うぉ~」という変な声を発すると、
先輩の男の顔色が暗い中でも見る見る変化していくのが分かった。
そして、
「悪かった、許してくれ」
といって、俺に頭を下げて、払われた腕をさすりながら男のテント
に戻って行ったのである。

仲間を呼びに戻ったのかとも思ったが、男は再びテントから出ては
こなかった。

翌日になると、昨夜の先輩は、急に仕事が気になりだしたからとい
う理由で、もう一人の先輩を道連れにして、ふたりで合宿の途中で
ありながら山を降りていった。右腕はどうなったのか、左手でしっ
かりとかばっている様子であった。
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青春の雨音-3-21

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2005-03-16 09:27:50
恋をしたといっても、俺の片思いであり、告白したり行動にあらわ
したわけではない。
一学年下の、俺と同じように今年から山岳部に入部した女の子で、
名前は中田陽子といった。

その恋心にしたって、山の大自然がそうさせた心の動揺であったか
もしれないし、そんなに真剣な恋というものではないのかもしれな
かった。

山で感じた俺の恋心とは、女の子の強靭な意志とその力強さに感心させられた心境、とでもいうべきものかもしれなかった。

とにかく、4人の女子部員は、男の前を歩かされるのであるが、
休憩地点と決められた場所までは、誰も小用をしないのである。

男は随所で立小便ができるから、「ちょっと小便」などといっては
山歩きの途中でも何度となく小便をしたが、女の子にいたっては、
休憩地点以外での小用を口にすることさえないのである。

俺は、まずそのことだけを取ってみてもオドロキだった。
女子部員に限って尿意がなかったというわけではないだろう。
ただただ我慢をしていたに違いないのだ。

恥じらいの年齢、尿意を催したからといってちょっとその辺の草陰
で、というわけにはいかないのだろうが、それにしてもその我慢の
強さに俺は驚嘆させられた。

だから、俺の今回の恋をしたという心境も、もしかしたら女のそう
いう我慢強さに俺は驚かされ、尊敬へと変わった心の現われかも知
れないのだ。

それに、男の部員はよくへばった。
もう歩けないというような態度をあからさまにする新入部員が数人
いて、途中で座り込んで動けなくなり、スケジュール時間を大きく
ロスするということも度々あったのであるが、女子部員で根を上げ
た女の子は一人もいないのだった。

それにもまた俺は驚かされた。

そのオドロキが、一人の女子部員に恋心となって現れたのかもしれ
ないのだった。

また、これまで部活動というものを経験してこなかった俺には、部
活動とはどういうものかもよく分からなかったが、今回の夏山の合
宿で、一つの貴重な体験をした。

中学と違い、高校ともなると、先輩後輩という関係がかなり大きな
ウエートを占め、それは同窓生となって卒業後も続いていく関係に
なりがちである。

今回の夏山の合宿にも、俺の知らない何年か前の卒業生という先輩
が数人同行していた。

かれらは名目上は後輩の指導ということになって参加しているらし
かったが、荷物は軽装で、そのほとんどを現在の部員、いわゆる後
輩に担がせ、夜は夜で担当の教師も入った一つのテントに固まって
酒盛りを繰り返していた。

それはそれでいいのだが、その先輩の中に一人くせの悪い奴が同行
していた。

その先輩は、夜な夜な生意気な男の後輩をひとりひとりテントの外
に呼び出しては、酒臭い息を吹きかけながら説教し、最後には必ず
といってよいほどにびんたを食らわしていた。

呼び出された奴はみんなほっぺたを赤く腫らしてテントに戻ってく
るから、俺はある同僚に聞いてみると、去年の夏の合宿にも参加し
て、同じことをされたという。
話では、その男は毎年のように夏山の合宿に参加してきては、気合
を入れるという名目でびんたを張るのは恒例行事のようになってい
るというのだった。

部活担当の教師もそのことは知っているに違いないのだろうが、
知らぬ振りをして見過ごしているというのである。

しかし、いくら先輩とはいえ、あまりにも自分勝手なその男の行動
に、話を聞いて俺は腹が立った。
それでなくとも、日中から自分勝手なことをいってはいじめとも取
れる無理難題を後輩たちに押し付けることもあり、皆からは憎まれ
る存在でもあったのである。

そんな思いでいると、となりのテントに入っている同学年の山本が
、頬を赤く腫らしながら俺のいる4人用テントに顔を覗かせ、
「次は桜木を呼んで来いだってよ」
といって先輩が外で待っていることを俺に伝えた。
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青春の雨音-3-20

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2005-03-15 15:39:36
1学期が終りに近づき、夏休みに入る頃になると、これまで近寄っ
てきたこともない他のクラスの奴らまでが俺のところに顔を出し、
「今年はどこへ行くんだい?」
などと多くの奴らに訊ねられた。

学校文集「山桜」に載って以来、ある意味では学校のヒーロー的眼
差しを向けられており、夏休みが近づくに連れて、昨年の俺のバイ
ク旅行が話題になっているようであった。

「山桜」が発行されて間もなく、俺の顔が血だるまになる暴行事件
が起こったために、その後のことをあまり書いてこなかったが、あ
の文集が発行されて以来というもの、俺は学校では学年を問わず有
名人になり、見知らぬ者から声をかけられたり、見知らぬ女生徒か
ら訳の分からぬプレゼントや手紙をもらったりと、これまでの俺の
人生になかったことが起きていたのである。

ただ夏休みが近づくに連れて、学校側では、俺のまねをする者が出
て、学校にも家族にも迷惑をかけることを恐れており、夏休み前の
各クラスでは、担任がくれぐれも無謀な行動は取らないように、ま
た、遠くへ泊りで出かけるときは、学校へも届け出るように、など
と釘をさしていた。

俺も個人的にも注意されていたこともあり、今年の夏休みはおとな
しく過ごそうと思っていた。

ただ周りではそうは見ておらず、
「桜木は今年は去年以上のことを何か企んでいるようだ」
などという勝手な憶測が噂となって流されていた。

「今度行く時は、俺もいっしょに連れて行ってくれ」
などと頼む奴らも数え切れずいて、俺も嫌気がさし、
「今年は最上川を一人でいかだで下るつもりだから、誰も連れて行
くつもりはない」
などと冗談でいってしまったものだから、それがまたたく間に広ま
って、俺はすぐに担任に呼ばれて注意されたりした。

そんなこともあり、高校2学年の夏休み前は何かと騒々しかったが
、1学年の時と違い、今年は山岳部という部活に所属している。

そんな俺にとって、部活以外のスケジュールを立てること自体が無
理な話だった。

山岳部では、夏休みには夏山の合宿があり、今年の合宿はいきなり
飯豊連峰を縦走するというもので、まだ山岳部に入りたての新米の
俺にとっては、厳し過ぎる内容のものだった。

しかし始まってみると、近くの山でわらび採りくらいしかしたこと
のない俺にとって、大自然の壮大な風景は、俺に新しい境地という
ものを見せつけてくれたのだった。

俺はすっかり大自然のとりこになった。
それと同時に、この山行きを通して一人の女の子に恋をしてしまっ
た。
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青春の雨音-3-19

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2005-03-14 10:16:02
春の県高校総体が終り、1学期が終わる頃、我が家に一つの出来事
が起こることになった。
それは決して悪い出来事ではなく、よい変化であった。

父の始めた事業、牛乳販売店がうまく軌道に乗り、発展したために
家を新築しようというものである。
連日建築店の設計士さんがやって来ては部屋の間取りや店舗の設計
を検討していた。

俺も自分の部屋が持てるということを聞いても、ぴんと来なかった
が、嬉しいことには違いなかった。

あんなに自分の部屋を欲しがっていた次兄が高校を卒業したとたん
に家を建てる話が巻き起こるとは、なんと時間の流れとは不思議で
あり、またこの世はなんと残酷なものなのか、などと俺は感じた。

丁度そのころ、兄弟だけが住むために借りていた別棟の家屋の下の
1階に、新婚の夫婦が借りて住み始めた。

2階だけを借りていた俺たちは、とはいってももう次兄はおらず、
長男と二人だけが住んでいたのだが、新婚と聞いて、なんとなく胸
の奥が騒いで、昼でも夜でも、そわそわとして落ち着かないのだっ
た。

若い奥様はきれいな方で、昼はほとんど家にいて、部屋で内職をや
っているらしかった。

俺は、山岳部の激しい練習運動にもすっかりなれ、体力を持て余し
気味の生活を過ごしていたが、下の部屋に若い新婚の奥様がいると
いうだけで、これまでに味わったことのない不思議な興奮を覚え始
めていた。

学校から帰ってからや、休みの日など、俺は自分の欲望を抑えきれ
ずに、下の部屋にいる奥様の姿を想像しながら、自慰にふけること
が多くなった。

こんなことは初めての経験だったが、女性という者は何という不思
議な存在であり、かつ引き付ける魅力を持つ生き物なのだ…、と俺
は実感した。
思えば、家に女性といえば母親しか居らず、男三人兄弟の中で育っ
た環境でもあったから、女性に人一倍関心はあったが、知っている
ことといえば何もなかったのである。

時おりは、長男にばれないように、夜の布団の中で、下の奥さんを
思い、自慰をしたりもした。

若夫婦というものの不思議な匂いが、俺たちの住む2階の部屋にま
で、いやというほど満ちているのだった。
長男も気になるようで、ときどき俺たちは、畳に耳を付けて、下で
話し合う若夫婦の会話に聞き耳をたてたりもした。

長男は長男で、寝苦しい夜を過ごしているようでもあった。

次兄がいたなら、たぶん家が揺れるほど自慰を行ったろうにと思う
と、笑いがこみ上げてきたが、それにつけても、下の階に若夫婦が
住み始めたことといい、家を新築する話といい、なんて次兄はツイ
テナイ男なんだと俺は思ってしまうのだった。
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青春の雨音-3-18

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2005-03-11 10:01:16
翌日学校に行くと、応援団の練習の時、団長の中村は滝田がいった
ように白いマスクをしていた。
俺は滝田の話を思い出し、思わず吹き出しそうになった。
他のやつらには中村が風邪でも引いたとしか見えてないだろう。
そこがおかしいのだった。

中村は、マスクをしながらも応援団長らしく中央で掛け声をかけて
いつもの練習をやっていたが、滝田からやられた時の姿を思い起こ
すといつもの迫力は姿を消していた。

おそらく、応援団のほかの奴らも、まさか中村がタイマンで負けた
とは知らされてはいないのだろう。
中村が自分からやられたとはいわないだろうから、たまたまパンチ
を食らってしまい、歯がぐらついたか欠けたかくらいしか聞かされ
てないのだろう。

滝田のマスク姿は一週間ほど続いた。
歯の抜け落ちた間抜けな中村の顔を一度でも見てみたいと思ってい
たのだったが、入れ歯でもしたのか、挿し歯でもしたのか、マスク
の取れた中村の歯並びはきれいに戻っていた。

俺は俺で、2学年になってから入部した山岳部の練習に、毎日の放
課後は費やされていた。

山岳部などというと、練習といったってテントを建てたりたたんだ
り、または山の道具を手入れして過ごすくらいにしか考えていなか
った俺は、毎日毎日思いリュックを背負って学校の階段を何十回と
なく往復させられた。

また、うさぎ跳びやランニング、腕立て伏せや腹筋と、結構きつい
運動が続くのである。

部員は総勢20名くらいいて、男女の内訳は男が16人、女が4人
という部員構成になっていた。

山岳部にいる人間を観察すると、2種類の人間に分かれていた。
真面目に自然を愛し、山の姿に憧れと好意を抱いているタイプ。
もう一種類は、他の部活よりも楽そうで、なんとなく楽しそうだか
らと思って入った遊び人タイプ。

その二つのタイプは、放課後の練習のサボり具合で判断がついた。
昼休みの時などは、毎日のように部室に顔を出し、自分のロッカー
や道具入れに鏡やヘヤブラシや、ヘヤリキッドなどを入れておき、
身だしなみに精を出しながら、放課後の練習には顔を出さない。

部長が注意をすると、急に低姿勢で言い訳するか、はたまた脅しを
かけて威圧する奴などもいて、俺が入ったときの3年生の部長は、
すっかりそんな遊び人タイプからはなめられていた。

応援団長の中村のダチも二人ほど山岳部にいて、そいつらは俺に先
輩風を吹かして、自分は遊んでいるくせに、「お前は1年遅く入っ
たんだから、もう一回」と何度か繰り返しやらされたり、他の場面
でも辛く当たられた。

まあ、これも仕方がないのかもしれなかった。
おかげで、俺の体力は他の奴らよりも強化されたようだった。
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青春の雨音-3-17

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2005-03-10 07:19:20
ある日曜日の午後、町に1件だけあるレコード店に俺は何か新曲を
さがしに立ち寄った。
レコードを探し回っていると、後ろから懐かしい声が聞こえた。

「お~、桜木、桜木じゃないか。なつかしいな」
声は中学の時不思議な縁から友達になった柔道部の猛者、滝田だっ
た。

俺も懐かしかった。
約1年ぶりに見る滝田の姿だった。
滝田は山形市にある進学校のひとつの高校に進学し、そこでも柔道
部に所属しており、中学の時よりも一回り体格が大きく、がっしり
としたようだった。

滝田は、俺の顔をしげしげと見ていたが、
「お前、誰にやられたんだ」
と顔の傷あとのことについて聞いてきた。

俺も最初はごまかしていたが、滝田には通用しない。
しかたなく、応援団の中村という奴に、しめられたよ、といった。

「ふ~ん、お前も相変わらずなんだな」
などといっていたが、もうその話題から話はそれ、
板垣はどうしている?とか、誰それはどうしてる?などと、昔の仲
間たちの話へと移っていった。

「いや、板垣とは俺もまったく会ってないし、連絡もとってないか
ら、何も分からないんだ」
「そうか」
などと、一応話し込んだ後、滝田とはその場で別れた。

それから3日後に、珍しく滝田から家へ電話があった。

「明日学校へ行ったら、面白いものが見られるからな」
という。
「面白いものって何?」
と俺は聞くと、
「応援団の中村だよ」
「あいつ、明日はたぶんマスク掛けて学校に来るからな」
といった。

余り詳しくは語らなかったが、滝田は昨日K高校へ行き、応援団の
練習が終わるのを待ってから、中村を河原へ呼び出し、タイマンで
やりあったというのである。

他の応援団の奴らも、何なんだこの野郎~、という様子だったらし
いが、1対1できれいにやらないか?と滝田が持ちかけたら、中村
は乗ってきて、他の奴らがついて来れない場所に移動してからやり
あったというのである。

「そのとき、俺のパンチがきれいにあいつの口に当たって、あいつ
の前歯が2本くらい抜け落ちたか、折れたみたいなんだ」
と滝田は、事もなげにいう。

「最後に柔道の技で締め上げたら、窒息で落ちそうになりながらも
、殺すなら殺せ、などとわめいていたよ。だから、お前がそんなに
死にたいなら、本当に殺してやろうか、といってさらに締め上げた
ら、分かった分かった、とやっと負けを認めたから、ゆるめてやっ
たけどな」

「たぶん、もうお前には手を出さないと思うよ」
と滝田はいった。

俺が黙って話を聞いていると、
「気にするなよ、俺がやりたいからやっただけなんだから」
「お前に頼まれたわけじゃないし、恩を売るつもりもないから」
と滝田はいって、電話を切った。

俺は、もう争いの世界からは手を切りたいという思いで、これまで
の高校生活を送ってきたのである。
滝田の気持も分かるし、仇を打ってくれたことについてはありがた
い気持もあるのだが、このことが、さらに大きな問題に発展しなけ
ればいいのだが、といった危惧もあった。
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青春の雨音-3-16

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2005-03-09 10:29:23
中村たちの俺を殴った行動はうまく計算された結果だったようだ。
バスケットボールのように腫れた俺の顔は、翌日からの春休みで学
校の先生たちに知られずに済んだのだ。

それを知って、顔を集中攻撃したのであろう。
でも、俺も殴られるのにはもう慣れっこになっていて、その翌日に
その腫れあがった顔のまま、一人蔵王にスキーに出かけたりした。

すれ違う人間はみなぎょっとした顔で俺を見ていた。
いびつに腫れあがった顔に、サングラスを掛けた俺の顔は、異様な
フランケンシュタインのような顔かたちをしていたのだろう。
それほどひどい顔だった。

春休みも終りに近づいた頃、次兄は海上自衛隊入隊のために神奈川
県の横須賀へと旅立って行った。

日本の武士道にあこがれていた次兄は、
「お国のために、みごと死んでまいります」
などといって、家族に向かって玄関先で敬礼をして家を出た。

見送った家族は、みなきょとんとして顔を見合わせていたが、
俺だけは真剣に次兄に敬礼を返した。
次兄の眼は、決しておどけていっている眼ではなかった。
次兄とは、そういった種類の人間だった。
こういう次兄のような人間がいたから、前の戦争の時も、小さな日
本人がアメリカ相手にあれだけ闘えたのだろう。
そんなところが、俺が次兄を好きなところでもあった。

4月に入り、俺も高校2学年になると、和哉さんも山形大学に入学
し、その弟の芳登君も俺と同じ地元の県立K高校へ入学してくるな
ど、俺の周辺の環境も大きく変わった。

春休み前に応援団長の中村に殴られた俺の顔の腫れは完全に消えて
いたが、傷あとはまだあちこちに残っており、様の悪い思いで俺は
新学期を迎えた。

殴られた悔しさというものは不思議とないのだった。
俺は高校に入ったら自分を変えようと自分なりに努力してきた。
その過程での必要不可欠の事件とでも呼ぶのか、事故とでもいった
らいいのか、必然的なもののように思い、悔しいという思いはない
のだった。

ただ、廊下で勝ち誇った中村とすれ違う時などは、腹の中で煮えく
り返るものを感じた。
しかし、俺は眼を合わせないようにして過ごした。

新学期が始まると、以前の応援団とはがらりと変わったスタイルで
新応援団は活動を開始した。
新学期早々全校生は昼休みごとに毎日体育館に集合を掛けられ、応
援練習をやらせられたのだ。

そんなことが連日の昼休みに続くと、皆逃げ出したくもなる。
そうさせまいと、団員の数人はグループになって学校中を竹刀片手
に探し回り、教室などに居残っていると竹刀を振り回し、追い立て
るようにして体育館に集めるのだ。

以前にこんな応援団の練習をされた覚えがないから、あきらかに新
応援団の考えた横暴ないじめとしかいえないようなやり口だった。

学校側も何も文句がいえないらしく、先生たちは見てみぬ振りをし
ていたから、新応援団のやりたい放題だった。

その首謀者が応援団長の中村だった。
中村はあきらかにK高校の新番長として皆に認識させられた。

トイレに行きたいと申し出た女子学生も、応援練習が終わるまで我
慢しろといわれて泣き出す姿も俺は眼にしていた。

俺も毎日の応援団の練習に顔を出すしかなかった。
それと、2学年になってからは、俺も山岳部に所属した。
何もかもが新しい生活環境が始まったのだった。
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