昨日、主人の実家から帰って来た。
毎年恒例の恐ろしいもの。毎年荒れてしまうものを見なくてはならない。それは、、年賀状。

不妊治療をしていた私は家族が増えます。という幸せいっぱいの年賀状に心がザワザワする。特に今年はひどかった。
同級生の第二子がこの春生まれます。の一筆に涙が出た。同じ同級生なのに…去年、方や妊娠。私の方は乳癌になって、BRCAの可能性が高いと子宮、卵巣を全摘したばかり。人を羨んではいけない。人は人。私は私。頭では分かっていても心がついていかなかった。

不妊治療を三年してようやく授かった息子。2人目も欲しかったが、1人授かったんだから贅沢は言っちゃいけない。この子を大切に育てよう。不妊治療は辞めた。息子を不妊治療の不安定な私に巻き込みたくなかった。心が弱いのだ私は。1人いればありがたいと思ってたが、息子が小学校に入ると、一人っ子への風は冷たかった。中には子どもが少ないのを見下すような言い方をする人もいた。私の中の劣等感はどんどん心を埋め尽くす。

毎年の年賀状、また今年も持たなくて良い劣等感に押しつぶされ泣いてる私がいた。来年は弾きとばしたいな。おっぱいも子宮も卵巣も何もない私だけど。心を強く持ちたい。
手術をの少し前、12月のあたまに主人の転勤が決まった。
元々、大きな病院のたくさんあるところがいいんじゃないかと打診されていたらしい。今のところは総合病院が1つしかない市なので、独占状態。いろんな評判も聞く。

とは言っても、とんとん拍子で手術になったので化学療法が終わるまではと、待っていてくれた。

実際に大きな病院のたくさんある大きな都市に転勤が決まった。
いざ転勤が決まって主治医の先生に話すと、えー!の後にうーん…と頭を抱えてしまった。本当に良く気にかけて診てくれた先生だった。私もできれば、、ずっと先生に診て欲しい気持ちは山々だけれど、こればっかりはしょうがない。次の病院の先生も話しやすい先生だといいなぁーと思う。不安〜。
仕事復帰して10日近くになる。 
立ち仕事だけど、それ以上にたくさん笑って働く私がいて、疲れるけれど身体にはこっちのがいいんだろうなーと思う。

仕事復帰と共に、ヅラも卒業した。
入院する前に伸びてきた髪の毛を整えてもらった。もんちっちみたいだけれど、ヅラのが嫌だったので、もんちっちで入院、手術を経て社会にも脱ヅラ復帰した。
息子は俺より短いーなんて笑ってくれた。ヅラを被ってる私より、もんちっちで年配の人には、マスクしてるとお兄ちゃんなんて呼ばれるけど、何だか私らしく思える。

わたしは私として生きてる感じがして、ヅラのない今の生活が本当の自分としてまた生まれ変わった様な気がして嬉しい。