丁寧に生きる
~暮らしの手帖~朝の連続ドラマがやっと編集になってきたみたいです。暮らしの手帖は、わたしにとっては特別なよみものでした。特に読んだり、買ったわけではないですが、「あの透き通る感じはなにか」と子どものときによく感じました。それは、ふしぎと図書館にいつも大切に飾られていたような気がして、雑誌というよりは絵本。そしてよみもの。祖母はとても大切に扱っていたような気がします。数年前に、編集長であった松浦弥太郎さんのお話しを聞いたときに編集の裏側の大変さも知りました。あれほどまでの歴史のある本を背負うのはとても苦難もあったでしょう。ですが弥太郎さんは淡々としておられ「ピンチはチャンスだから」と、あとは「毎日ひとつでいいからなにかを改善させる」「いま自分がどこにいるかを知る」とおっしゃていました。自分の原点には常にたつようなそして人生のターニングポイントを把握することの大切さを学びました。そのほか「ひとつひとつのこと、編集に対しても人に対しても料理に対してもすべて同じように扱うこと」そして「美しい詩をよんだり音楽をきいたり、自分のために磨くことは常に続けること」ごく当たり前のことを日々の課題にする。そこには、「丁寧に生きる」ことを深く考えてさせられてきたのは弥太郎さんも、暮らしの手帖から培ったことは大きいのかもしれません。「暮らしの手帖に対しても同じように平等に扱ってます」とおっしゃられたのが印象的でした。花森安治さんのイラストは今でもとてもすきでやはり松浦弥太郎さんのようにすべての食べものや建築そして家族や人や出来事に対して平等に扱っている気がします。「中立的に」「ニュートラルな」なものは音がない感じがしていつもなにかに消されそうになりますが、実は「平等」と「平和」を表現しているような。日本の美しい四季のような静かなる音なのだろうと感じました。最近よくみる光景で付録目当てで、雑誌を購入して雑誌だけそのまま破棄されてしまう。なんだかとても哀しいような光景がみられますが。豊かさとはなにか。ふと、朝ドラをみて暮らしの手帖のことを考えてました。「丁寧に生きる」とはわたしのなかでは、簡素化された生活。簡素化されたものはやはり最も美しい散文のような、旋律。なにももたずに、道を歩くような。ありのままの自分です。つづく