※今回はまたかなりの長文です。お時間のある方のみお読みください。
皆さんこんにちは、
これまた断片的に語ってきた新聞配達のアルバイト、
当時まだ14だった2005年の私が最終的に2014年、23歳まで9年4か月もの長い間続けました。
今回はそんな新聞配達をしていたころの話を少しだけ語ってみようかと思います。
事の発端は、うちがド貧乏だったゆえに、お年玉をもらっても1万円、日々のお小遣いも1000円だけ(一月)同級生は一人っ子が多く、小学生のうちから十何万ももらう子ばかり、というような極貧状態が続いたためでした。
中学生になると、いじめが原因で学校に行かなくなったことにより、母が「外に出さなければ」と思ったのと、
私自身、「自分が欲しい物は自分のお金で買おう」という、
二人の考えが一致し、新聞配達を始めるきっかけとなりました。
今はもうない販売所で、人生初のアルバイトを始めました。
しかも、これまた今はもうない夕刊の配達でした。
15時~16時半くらいの勤務です。
始めた日付、2005年2月26日は今でも覚えています。
主任のHさんが最初はつきっきりで「ここは〇枚」などを教えてくれて、
非常に助かりました。
私はあの当時母に「全然覚えられない~~(泣)」とパニクっていましたが、
結局、1週間程度でマスターしてしまい、
それからは主任さんなしでも配達できるようになりました。
しかし私が配達をしていた地区は一つ嫌な問題がありました。
犬です!!!!!
恐らく山に面していた地区故に治安が悪かったのでしょう、犬を飼っている人がかなりいて、どの犬もしつけが悪い!!!
1回だけあるエリアの配達が終わり、そこから別のエリアへ行こうとしていた時です。
その場所が峠道のようになっていて、私は元来た道を自転車で下っていくというモノでしたが、
自転車でスピードを上げて下り始めた瞬間に、配達した家の庭にいた飼い犬がブロック塀を超えて追いかけてきたのです!!!!!!!!!
むっっっっっっっっっちゃトラウマでした!!!
しかも犬が追い付いてきたので自転車で逃げながら足で何度か蹴って追い払おうとしましたが犬はひるまず、
あまりに恐ろしかったので、販売所に退避、結局その日は所長さんにお願いして代わりに配ってもらいました・・・・。
犬の問題はまだ続きます、
今度は別の家の飼い犬で、ポストの前に犬をリードでつないでいたため、ポストに入れることができませんでした。
しかもそのバカ犬、ワンワン吠えてきて怖いのなんの(好意で吠えてるのではないのは明らか)
そういう犬の飼い主に限って自分の犬を猫かわいがりする始末、
「あの子は臆病だからそれに気づいて犬が吠えてるんだ」とか自分の犬を弁護して、腹が立ちます。
これって、立派な威力業務妨害じゃないの?
それで非常に助けられたのは、その犬の家の隣近所さんが、
「うちから○○さん(犬の飼い主)のポストに入れていいよ」と言ってくださったことです。
その家の方と犬の家の間のブロック塀に、その飼い主の家のポストがあったため、
犬にほえられはしますが、無事にポストに入れることが出来るようになり、安心でした。
2年目から、私は販売所周辺と、それまで配達していた地区(以降22地区)の隣のもう一つの地区(以降23地区)の配達を任されるようになりました。
給料が上がったので嬉しかったです❤❤
22地区の配達はいつもむっちゃボロいアパートで終わりでした。
いつも22地区は配達が終わりに近づくと、そういったやたら古いアパートが2軒ほどあり、
当時はなんとも思っていなかったのですが、
今もそのアパートは建っているため、「地震が起きたら心配だ」と思っています。
中学校の頃の同級生の一人がそのボロアパートにすんでおり、彼は私と同じようにいじめか何かの問題でカウンセラー室で中学校人生を送っていた一人でした。
私と同い年だったのにもうタバコを吸っていたのが衝撃でしたね、そのうち彼はいなくなってしまいました。
今さらですが、彼は今どうしているか少し心配です。
雨の日はいつも大変でした。
新聞紙をビニールで包む機械に入れる作業があり、いつもそれで配達が遅れることも、それは仕方ないのですがね。
恐ろしかったのは新聞紙が自転車のかごを固定する金具やネジで新聞紙が傷んだり、ビニールが破れて雨水が侵入するなどもあり、いつもヒヤヒヤしていました、そのため新聞紙をいつも厚手のビニール(新聞到着時にそれに包まれている)をもう1枚用意して、新聞紙を入れたかごの後ろ側に差し込んでいました、これでかなり改善されたのです。
雨でもう一つの懸念が、合羽が役に立たない事でした。
間違っていつも合羽を洗濯機にかけてしまっていたため、防水効果が無くなり、合羽を着ている意味がなくなることがしょっちゅう。いつも新しい合羽を買ってはその繰り返しでした(笑)
2011年、あの東日本大震災が発生した直後から1年間だけ、朝刊配達の代配を行っていました。
凄惨極まる被災地の情報をいつも配っていたのを思い出します。
23地区にも犬がいて、名前はジョンと言われていました、
そこのデザイン会社の人が飼っていた犬で、朝の4時に新聞配達をするときにいつも吠えたてられたのが怖かったです。
でも、飼い主さんは22地区のバカ犬の飼い主と違い優しく、「いつもごめんね。」と言ってくれたのを思い出します。
真冬の午前4時など、みんな寝静まっているので、ジョンを起こさないようにひときわ神経を使いました。
頭につけていたライトを消し、ジョンがいるエリアに近づくと自転車のスタンドの上げ下げも絶対に音を立てないように、細心の注意を払い、ジョンを起こさないようにポストに新聞を入れていました。
結局後になってジョンが起きて吠えていたんですけどね(笑)
ジョンが起きていたらもうおっそろしいですよ!!!
ライトに照らされて目が光ってるんですから!!!ある意味トラウマ。
しかし、ある年の9月、ジョンは急に元気がなくなり、私が来ても以前のように吠え掛かるような事はしなくなりました。
確かに私めがけて向かってくるのですが明らかに衰えていたのです。
それから1~2か月が経つと、ジョンが死んだことを23地区のおじさんが伝えてくれました。
もう吠えられることはないと安心していいやら、優しい飼い主さんの気持ちを考えると、どう考えていいやら・・・・。
話は前後しますが、真夏は朝から明るいのでジョンに吠えられても比較的平気でした。
配達が終わると、もう日が昇っていて安心感が大きかったです。
時々、飲み会帰りのサラリーマンが道端で眠っていたことがありましたけどね(笑)
死んでいるのか!?と思いもしたんですけどね。
列車の雑誌でこういうのを見た覚えがあり、放っておくことに(笑)
2011年以降になると、不着(新聞の配り忘れ)はほぼ起こらなくなり、
主任のHさんが、いつも不着を起こしているおじさん配達員に「タクミ君を見習ってごらん、不着が1年にあるかないかだよ。」なんて言われて嬉しい思いをしたことも。
そういった新聞配達で貯めたわずかばかりの貯金で、旅行に行ったりもしました。
無論、初めて飛鳥Ⅱに乗船したのもその頃です。
しかし新聞配達を始めて何年も経ったため、地区のある家のガレージでいつも遊んでいた子供たちがもう高校を卒業する年齢になっていたりして、かなり寂しかったです。
2014年5月、高校卒業が確実になり、学業に専念するため長年お世話になった販売所を去ることになりました。
そうして最後の1か月間、後任の男性に任せるため、その人に販売所周辺と22,23地区の配り方を教え、
2014年6月いっぱいで退社しました。
後任の方はちっとも笑わない人だったのですが、母曰く、
「そんな年齢で新聞配達をしなければならないから余程家が大変なのよ。」と言っていました。
当時すでに23歳になっていたとはいえ、まだ私も子供でしたから、そういうのがあまり分からなかったんでしょうね。
発達障碍者の精神年齢って実年齢の7割って言いますし・・・・・。
サン・プリンセスに乗船したのも、新聞販売所をやめる際にくれた退職金的なお金で乗ったからです。
新聞配達のお金で5回もクルーズ船に乗ったなんて、中々いないでしょうね。
そんなこんなで9年4か月も続いた新聞配達、今でも夢に見ます。
1月に3~4回は必ず見ますね。
何かメッセージみたいなのが込められているのかなと思うのですが、単に記憶の追体験でしょう。
いずれにせよ、このアルバイトの経験が私の金銭感覚を磨き上げ、
貯金やお金の使用を計画的にするよう私自身を教育し、社会を知るいいきっかけになったことは事実です。
ご閲覧ありがとうございました。