カフェでお茶していたら、
近くの席に
幼稚園に入る前くらいのお子さんをベビーカーに乗せながら
お茶している若いお母さん2人。


優雅なもんだよなぁ、って
今まで思ってました、ぶっちゃけ。
仕事もしないでカフェでおしゃべりかよ、
って。


でも、今日は
そのお母さんたちを見て思いました。
あ、この人たち、めっちゃ仕事してるわ、
「手のかかる時期の子育て業」真っ最中だわ、って。



私は下の娘が3歳の頃から
ずっと働いていました。
経済的にはそんなに困っていなかったけれど
「稼ぎのない」自分に耐えられなかったから。
稼ぎのない自分は、働いていない自分。
何もしていない女。
自分で自分をそう認識していたから、当時の旦那にも
「稼ぎのないあんたは、社会的意義がない」と言われる始末(引き寄せですね)。
給料という稼ぎを得てやっと、
「私は、給料の額分だけ価値のある女」
と、思ってました。



口では、
「お母さん業は素晴らしい」なんて言ってたけど、
私の、「稼ぎのない」人を見る目は
とても辛辣でした。
「PTAなんて、仕事してない主婦が
暇つぶしにやって、自分の存在価値を見出してくれたらいいじゃん」って
こっそり言ってました。
そんな専業主婦のPTA役員さんたちに
「私たちは子育てしながらPTAをしているのだから、
仕事しているお母さんは仕事を理由にサボらないでほしい」と訴えられて
唖然として、
ほーらやっぱり専業主婦って甘えたでおバカ、と思ったり。

元旦那が転職したいと仕事を辞めて
家にいた期間は、
こいつ何でのんびり家になんていてられるの?と
軽蔑しきってました。
(結果的に、家で自営をするという旦那を負担に感じて
家を飛び出した訳ですが。)


その辛辣さは、ひとえに
「稼いでいない私には価値がない。
だから必死で働いてきたのだ」という
私の自負から生じていました。
だから、給料がないことが
怖くてたまらない。
私は現在シングルマザーで、自分が稼がないと食っていけない身ですが、
それは
「稼がない私には価値がないから、
常に稼がなければいけない状態の自分でいよう」という
『引き寄せ』なのだと思います。



今日は、
「ただいま準備中、稼ぎの時間でない私」だったのもあって、
いつもは「ちっ」と思って見てるカフェお母さんが
いつもとは違う視点で見られたのだと思います。


そばから離せられない小さな子供の世話を
見続けている、若いお母さん。
カフェで集まって、育児情報を交換。
すごい仕事してるじゃないかーー!!

これだけの仕事をこなしているお母さんは
家とお金を提供してもらって、当然だ。


そう思った時、
かつて専業主婦だった時期の私も
そんな「バリバリ仕事中」だったのだ、と
気が付いた。


当時、私には
給与としての稼ぎはなかった。
でも、仕事はしていたのだ。
価値がなかったなんて、全然違う。
堂々と「価値」を受け取ってよかったのだ。
自分で自分の「価値」を下げて、
結果として受け取らない現実を作ってしまったのは
私だった。



周りを見回す。
カフェにいる人たちは皆んな
仕事をしている。
店員さんはもちろんだけど、
情報交換をしている人、
メールを打っている人、
本を読んでいる人、
どんな人も、この時間を売って稼いでいるのではなくても
何かの仕事をしている。
そのポテンシャルは、いずれお金になるかもしれないし、
お金でない何かの価値に
換えられているかもしれない。



だから、
人は生きているというだけで
価値があり、
その価値を交換しながら
生きられる。



さて、私も
「ブログ書き」という楽しい仕事をそろそろ終了。
「ダイエット母娘(私らです)のためのヘルシー夕食作り」という、次の仕事の準備をします。
願わくば、今日は昨日サボってしまった
「夕食のあと母娘でジョギング」業まで
できますように・・・。


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