学校行事などで、子どもたちの活動を見ると

そこにあるのは

「ただ、表現したい」

という、外に向かうベクトルのエネルギーなんですね。


まるで、そこに焚火がこうこうと燃えていて、

周りに光と熱を放射しているような。


そういう場に触れると、

光や熱を呼び覚まされる。






内に内に向かうベクトル

「認めてほしい」がある場では、

その場にいるものが皆黙ーーーーってうつむいて

「私を認めて、私を認めて」と

心の中で呟いている。


そこの中での親切とは

「私はダメだけどあなたはすごいって」と言う自己犠牲。


自己犠牲という親切をすればするほど、

「私はダメ、私を認めて」がひどくなっていって、

お互いの熱と光を奪い合い、

冷め切っていく。





冷め切った場の中で

自分だけでも熱を発しよう、というのは

とても大変なこと。


発した端から、熱を周りに奪われて

がんばってもがんばっても温かくならない。

やがて、

「熱を発しようとしても、自分は熱を発する力がないんだ」

と、

諦めてしまう。




違う違う。

あなたの発した熱は、相当のもの。

ただ自分で気が付けなかっただけ。





自分は熱を発せない身だ、と諦めて

人から火を灯してもらうのを

ただ待つようになっていないか?



火を灯してもらうのを

待っている間にも、

実は、あなたの炎は

すでにこうこうと燃えていて、

必死に大事な人たちを温めようとしている。


自分は凍えながら。

それを自己犠牲という。





すでに燃えている、その火で

常に自分を温めよ。

やがて燃え盛るようになれば

その余熱が勝手に周りを温める。


やがて火柱が上がるようになれば、

周りの冷めた氷も

問題にならなくなる。




火はすでに燃えている、

あなたの内に。

まずはその火で

自分の両手を温めよう。