昨日は「レ・ミゼラブル」を観てきました。

その時代のフランスの、

民衆の貧しさとたくましさの描写が痛々しい。

私は、見ててそこが本当に辛かったです。

選択肢のない貧しさと、

その貧しさの中で生き延びるための

数少ないたくましい選択肢の、痛々しさ。


身体を切り売りするしかない、人から奪うしかない、と

思い込んでいる民衆は

その選択肢しか選べない。

学も思考力もエネルギーもある若者たちが

立ち上がるのだけれど、

彼らも「自分を切り売りするか、奪うか」という

選択肢しか持ち合わせていないため、

戦って権利を奪おうとして、死んでしまう。



ジャン・バルジャンは

不当に長年奴隷のみにされたあげくに、逃げ出し

身分を隠したり明かしたりしながら

人の権利を守る行動をしていくのだけど、

その根っこには、ジャン・バルジャン自身が

「自分には、誇りを持って生きる当然の権利がある」と

信じつづけているからだと思う。


一時は揺らぎかけた、そのジャン・バルジャンの誇りと信念を

司教様が救うのだけど、

本当にその出会いが大事で、その出会いが全て。


ジャン・バルジャンがその運命の司教様と出会えたのは、

彼がどんな状況に陥っても心の底ではずっと

「俺は誇りと自分の権利を捨てない」と願っていたからだろうし、

その思いを抱き続けて行動していたからこそ、

運命の司教様に会えて、

「自分の誇りと権利を捨てない」という願いが叶った。


そして、ジャン・バルジャンは生涯にわたって、

出会う人たちに

「自らの誇りと権利を捨てないよう」行動で与えて助け続けていく。





今、この映画を観て、私のような感想を持つ人が

いるとしたら、

その人はきっと

「自分の誇りと権利を捨てない」ことを心に抱いていて、

その為にはどうすればいいか?を

問い続けているのだと思う。

私もその問いを持ち続けていて、

だからこそ

「周りにも、自らの誇りと権利を捨てないように

行動で与えて助け続けていく」という答えを

ジャン・バルジャンからもらったのだと思う。


その具体的行動として、

・自分に縁のある捨て子を助けて育てる

とか、

・娘がとられちゃう悔しさを超えて、娘の恋人を戦乱の中から助けて娘と結婚させる

とか、

・荷車の下にはさまれた人を助ける

とか、

・自分を付け狙ってきた警部の命を助ける

とか、

ジャン・バルジャンどれだけすごいねん、ということが

ストーリーの中ではあるわけですが、

こういう時に大切なのは、

一足飛びに「じゃあ、人を助け続けていけばいいのね」

に行かないこと。


というのは、

「自分の誇りと権利を忘れない」という願いを

ジャン・バルジャンが心に抱いている時点で

まず、最初にやってくるのが、

今まで奴隷で外に出られなかった彼が

19年ぶりに外の世界に出て、

いろんな人からいろんな扱いを受けるという

いわば

「『人と会う』千本ノック」。


たくさんひどい扱いも受けて、

それでも外で暮らすしかない彼はさまよい続け、

いろんな人にいろんな仕打ちを受け続け、

やがて司教様に出会った時に

今までの仕打ちは、自分が人から与えられた

「仮釈放の極悪犯」というレッテルに

甘んじていたからだ、と知る。

彼は「仮釈放の極悪犯は、定期的に警察に出頭しなければいけない」という

書類を破り捨てることで、

警察に見つかれば捉えられるというリスクを引き受けて

自分の誇りと権利を守る心を確信した。




そう、

まずは、「『人と会う』千本ノック」を

しなさい、ということなのよ。

(確かにここ最近、人つきあいをしないで済む方向で

なんとかしようと思っていた)

その過程で、自分が人から与えられた、どんなレッテルに甘んじていているか

出会う人に気付かせてもらい、

そのレッテルを捨てるリスクも引き受けて

人から与えられたレッテルを捨てちゃいなさい、って

ことなのよ。





と、私はこんな感想を書きましたが、

他の方のレビューを読むと

それぞれ感じたとこのツボが違うのね。

でも、そのレビューを読んで

「あ、この映画気になるな」ってなった。

そして実際に行動して観に行ってみないと、

自分にとってはこの映画ってこうだったんだな、という

自分のための感想は得られない。


レビューや、人の感想から

悟ろうとしてもムダね。

ただ、レビューや人の感想を読んで、

気になった、行ってみたいな、と思ったら

その「行動してみたい」という思いだけが本物。




もし、この記事を読んで

なにか気になるなぁ、と思ったら

とりあえず「レ・ミゼラブル」観に行ってみたら、という

お勧めでした。