「好き」という感覚がよく分からないので、

今まで、

「適している」とか「きれいだと思う」とか「立派だと思う」

「尊敬している」とかいう感覚で

「好き」ということに、していました。



ほんとに、

「好き」って

どんなことか、分からないんだもの。


「嫌い」の逆が好きかな、と思って

「嫌いではないもの」を

一応「好きなもの」に

しておいたこともある。

そうすると、

「好き」なものが結構多い生活になるんだけど、

その割には、パッとしない。




「好き」って、

なんだろう?






昨日、

ある物事について、ふと

「ああ、

なんて可愛らしいんだろう!!」

と思った。


それは、幼い可愛さとかではなくて、

なんというか、

今まで私が

「可愛らしい」という言葉で、認識していた感覚。



あらゆるジャンルの、あらゆるものに対して

ときどき

「なんて可愛らしいんだろう!!」という言葉で

表現していた、

そういう感覚が

昨日、ふと沸き起こったとき、


「もしかして、

今まで私が自分で『可愛らしい』とタグ付けしていた

この感覚が

いわゆる『好き』なのかしら?」


と、思った。




家に帰って、

石入れに入れてある、今まで集めていたストーンを

全部出してみた。

今までは

「どれもきれいだから、どれも『好き』なんだろうな」

と思って、取ってあった。


それを

「可愛らしい」のは、どれか?

という目で見てみた。

すると、

一瞬で

「可愛らしい石」と「可愛らしくない石」に

判別できた。

びっくりした。

「可愛らしい石」だけを残して

他の石を全部捨ててしまうと、

残った石は、見ているだけで

「なんて可愛らしいの!可愛らしいの!」というものばかりだと、気付いた。




 

周りを見廻してみた。

可愛らしいものと

可愛らしくないものがある。

はっきりと分かる。



周りの人を思い返してみた。

可愛らしい人と

可愛らしくない人がいる。

はっきりと分かる。



自分の行動で

「我ながら可愛らしいなぁ」というものと

「可愛くないけど、大人の義務として仕方ないか」というものがある。

可愛らしいなぁ、という行動をしている時は

可愛らしい気分になっている。






言葉は、

感覚にタグ付けする道具にすぎない。

私の中の「好き」という言葉には、

私にとってのいわゆる「好き」という感覚は

くっついていなかった。




そうかぁ、

私の「好き」は

あの「可愛らしい」で

よかったのか。




なんらかのきっかけがあって

私は「好き」という感覚を

「好き」という言葉に入れなかった。

そして、

「好き」という感覚を

「可愛らしい」という言葉にそっと入れて、

何年も何十年も

大切に抱いてきた。



そうやって、

きっと大事に守ってきたのだろう、

私なりの「好き」という感覚を。






思わぬ言葉が

思いがけず、

隠しておいた宝物への、暗号の地図だったりする。