昨日は、今働いている

時給800円のチョコレート工場でのパートの

給料日でした。

通帳に、お金が振り込まれていました。

嬉しい。



この嬉しいお金は、

「チョコレート工場で

つまんないなぁと思いながらも

コツコツ通って真面目に働いた

その代償だ」と

信じて疑わずに

昨日まできました。


っていうか、

その為に働くんでしょ?

っていうのが

世間の常識。





でも、昨日

通帳に振り込まれた額を見ながら

おもしろいことに気が付いた。

私はこの2年半

何種類かの仕事をして、

時給だったり月給制だったり

その職種もいろいろ、勤務時間と勤務日数もいろいろ、

なのですが、

お給料額は

いつもほぼ同じ。

職業訓練校に通って

給付金を受けていた時期もあるのですが、

その給付金額まで同じ。




ということは、

今までの私にとっての「仕事をする」ということと

「通帳に毎月○○万円振り込まれる」という事実には

実は、

相関関係はなかった、のではないかと。





ただ、

「毎月、通帳に○○万円振り込んでください」と

「オーダー」を出していた。

そのオーダーを出す自分であるための「安心代」のために

「仕事をしなきゃいけない」と

思っていただけではないか、と。





自分の一日の時間、一週間の時間、一か月の時間

1年、一生の時間を

どう使うかは、自分の選択による。

私は、そのうち一日何時間かを

「仕事」に充てることによって

「収入を望むオーダーを出してもいい自分」という

安心感を自分で作っていた。

その安心感を基にして

どうにか

「収入」というオーダーを出していた。

そのオーダーに、天が確実に応えてくれていたわけだ。




自分の時間や、お金や、エネルギーをどう配分するか、と

天に「オーダー」を出すこととの間には

何の関連性もない。




「がんばったから

いいことがある」んじゃないのね。

「オーダーを出したから、

オーダーしたものがやってくる」だけ。