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雪的生活

四方有紀の色々な刺激に満ちた毎日。
思うことなど。

この間、「本当にしたいことは、これではなくてコレなんですけど、手始めにこれから始めているんです。」と、言う人に会って、「本当にしたいのがコレなんだったら、コレからし始めはったらいいのに。」と、思え、その人には言うことができた。

で、思った時、そして、言えた瞬間、

「待てよはてなマーク」と、思った。


「待てよ。」果たして私はほんとうにやりたい事をやっているか?と。


なんだか、「できそうなこと」から手をつけていたり、
「本当にやりたいこと」をするには、まず、これをやって、これをやって・・・、と、あれこれ理由をつけて、やっていないのではないかはてなマークはてなマーク
と、こんなに、やりたい放題やっているような私ですら、思った。


娘達には、常々、「今は、自分から売り込んでなんぼの時代なんだから、「なりたい」なら、発見されるのを待っているのではなく、自分から行かないと。」
と、言っているのに、自分はどうだったのだろう??

もちろん、今、自分がやっていることも、やりたいことではないわけではない。
やりたいことの一つだ。
でも、多分、一番やりたいことではない。
なりたいものでもない。


自分がアクションを起こさないと、一生なれないかもしれない。


だから、優先順位をちょっぴり変えてみようかと思う。






今度こそ、今日最後f^ ^。

最近の身近な人達との話から浮かび上がってきたこと。

これは、ハッピー・エイジングの思想とも通じると思うのだけど、


日々、自分の力の「出し惜しみ」をしないということ。


まあ、それも、やらされるんじゃなくて、やりたいことを精一杯するということ。

あ、ここで注意しなければならないのは、「やらされ」も、気の持ち方一つで「やりたい」ことに転ずることもあるということ。

いずれにしても、変換してでもしなくても、「やりたい」ことを精一杯する。


まだ死んでいないので判らないけど、多分それが、死んだ時の満足?に繋がるのだと思う。




一番ダメだと思うのが、アンチエイジングにおける「若さ」と同じく、
中身を問題にせず、物理的な長さだけの「長寿」を目的にして、その為に、自分の持てる力を出し惜しみすること。

そんなことしてたら、いくつで死んでも後悔ばかりが残るのだと思う、きっと。



長さじゃない、中身だ!と、思う。



そして、出し惜しみしないと、鍛えられたり要領が良くなったりして、同じ24時間を相当楽しめるようになるし、何より楽しい!毎日が。


そして、燃え尽きるように眠れるので、不眠なんかにもならない。


生きてる間は日々全力投球。 これですよ!
ちょうどそういうことを考えていた時、マドモアゼル・愛さんが「新しいこと」というブログを書いていらして、「我が意を得たりビックリマーク」と、思ったのだけど、その中でおっしゃっている、

>、その選択の基準になっている価値観が安全だけでは、人は不幸になるということが言いたいのだ。

と、ありますが、ほんとうにその通りだと思います。


そもそも「安全」とはなんでしょうか??


私は、ほんとうは、そんなものはどこにもない、と、思っています。


私の母方の祖父はベンチャー企業のはしりのような会社の経営者で、11人きょうだいの一番上の子どもだった母が二十歳の頃妻を亡くし、でも、母を所謂、みんなの母親代わりをして生涯独身で終わる・・的なことには絶対にさせたくないという強い意思で、当時母の同級生の兄に適齢期の酒造メーカーの御曹司がいて、お互いの思惑が一致して結婚が成立しました(詳しい経緯は知りませんが、そんなような経緯だったのだと思います。)。
そこまではよくある話です。
そしてそれは、一般的に言う「安全で正しい」選択だったのだと思います。


父方の会社は、もともと造り酒屋で、それを後とり娘のところに婿養子に来た私の曽祖父が会社組織にしたので一応「創業者」ということになっていて、父と母が婚約した時点では、確か曽祖父は既に他界し、血筋の関係で、同じく長女である私の祖母のところに婿養子に来た私の祖父が副社長というポジションにいて、私の父は将来を嘱望されていはいたのだと思いますが、新入社員であった、そんな状況だったと思います。

そんな中、父母の婚約中に、祖父が、東京への出張の帰りに列車内で突然死?する、という出来事が起こります。
それを境に会社は事実上、共同経営者のものとなり、将来を嘱望されていたであろう父は、一転して、憎まれ役になったわけです。

その状況で意地もあり、ずっとそこに居続けた父の境遇というのがどういうものだったのか、今となれば多少は解るような気がしますが、とにかく、ものすごくしんどかっただろうと思います。お決まりのように、癌になって26年前に亡くなりましたが。


私が生まれるのは、父母の結婚から15年経ってからで、その間には何と、それから10年目くらいに、やもめ同士の母の父と父の母が結婚する、という普通には起こりえないと考えられることがここでは普通に起こって、それも一段落した頃なので、それも「今思えば」なのですが、再婚した曽祖父母の両方と唯一血が繋がっている孫として生まれて来たので、私はまあ、こんな感じなんですが、自分が生まれる前とはいえ、そんなことが身近に起こったとしたら、一般的に言われている「安全」なんて、信じられなくなって当たり前だと思いませんか?


そして、私はよく
「カタチから心へ」と言うのですが(PTAなどで、スローガンとして掲げさせていただいていました。)、

これも、実体験として思うことなのですが、

カタチの上では、何の非の打ちどころもない夫婦がいました。

ほんとうに非の打ちどころがなさそうなので、全く予期しなかったことなのですが、それを壊してしまうことになってしまったんです。少なくとも形の上では。

そして、予想もしないことに、一緒に暮らすことになってしまいました。
十年以上の時を経て、ようやく「これでよかったんだ」と、思うことができますが、当時は全くそんな風には思えませんでした。


当時の私の一番の気がかりと言うのは、非の打ちどころのない、「家事全般バッチリ、おまけに綺麗」な人のところからこちらに来るなんて、彼が可哀相、ということでした。でも、時を経て今思うのは、結局「心が躍る」かどうかなんじゃないか、って。そんな気がします。

例えば、以前は、「男子厨房に入るべからず」で、お料理は勿論、お茶一つ自分で淹れることはなかったらしいです。今は、第3の人生は板前か?という腕前です。 (別に私がしないわけではないです。念の為。)

ちょっと脱線しますが、家事全般に関しても、「お金にならない厄介な仕事」みたいな刷り込みがあるような気がします。だから分担で揉める・・みたいな。
その刷り込みさえとっぱらえば、家族も自分も嬉しいとってもやりがいのある仕事なんじゃないでしょうか??


このように書いてみると、ほんと、「社会の秩序と安定」を乱す魔女狩りでもあればすぐに狩られそうな発言ですが、
社会の秩序のために色々なことを刷り込まれてカタチを維持しているからこそ、様々なストレスが生まれ、カタチは安定しているけど、「心」は安定せず、様々な、それこそ、社会の秩序を乱すようなことが起こっている。

そうではなくて、まず人々の「心」を安定させることが、本当の意味でのそれぞれの人達の「文字通り、「身=存在を保つ」という意味での「保身」に繋がり、それがやがて、「社会の安定」に繋がるのだと思うのです。


だからこそ、大切にすべきは「カタチ」ではなく「心」。

例えばですが、「心」が安定していれば、はっきり言って、自分の見えないところでカレが何をしていようが、どうでもいいのです。
そこに「カタチ」が入ってくれば、そうはいかなくなります。

「メンツ」とか「カオ」とか・・・争いの種ですよね??


私は何も、パートナーチェンジを推奨しているわけではありません。
「考え方一つ」で変わることって、一杯あると思うのです。




そうそう。冒頭に登場した私の父。
最近お会いした、私が生まれる前から父と母と付き合いのある友人が、私にこうおっしゃいました。
「お父さん、15年目に生まれたお子さんだから、さぞ大事に育てられるんだろうなあと、思ってたらね、「何になってくれてもいいんや。自由にさせる。例えば土木関係に進みたいと言ったら、行ってくれたら言いんや。」って言ったはったよ。」と。


何が安心、安全か判らなくなった時、一番の指針、安心、安全は「心の赴くまま」だということを、示しているようなような気がします。


少なくとも、心の赴くまま、は、人を恨みませんから。