西村雄一郎のブログ



  今夏のスタジオジブリ製作のアニメは、「コクリコ坂から」だ。

「コクリコ」とは、フランス語で「ひなげし」のこと。「虞美人草」ともいう。なぜそんなことを知っているかといえば、佐賀市で初めてできた洋食レストランの店名が「コクリコ」だったからだ。今はもうないが、カレーのおいしい店だった。店のマッチに、ひなげしの花があしらえてあった。

  

  劇中、主人公たちが通う高校に、「カルチェ・ラタン」と呼ばれる部室が集まる棟が登場する。その学舎を女生徒たちが大掃除して、建物を保存しようとするエピソードが展開する。それを見ながら、佐賀大学のなかにあった「不知火寮」を思い出した。あの建物も汚くて、保存運動が起こったが、今は跡地に記念碑だけがぽつんと立っている。

  

  なぜ、そんな過去のことを書くかといえば、「コクリコ坂から」自体がこれ、全編アナクロニズムかと思われるほどの〝ノスタルジー映画〟の典型だからだ。

 

  時代はオリンピックを翌年にひかえた1963年。舞台は港の見える横浜。坂本九が歌う「上を向いて歩こう」が、当時を表す流行歌として流れてくる。女系家族の長女である主人公の(うみ)(声・長澤まさみ)は高校2年生。父を海難事故で亡くし、仕事をもつ母親(声・風吹ジュン)を助け、下宿人を含め、6人の大所帯を切り盛りしている。一方、1年上の俊(声・岡田准一)は、新聞部の部長。2人は惹かれ合うが、徐々に出生の秘密を知ることになる。

 

  原作は、1980年に「なかよし」に連載された少女マンガ。監督は、宮崎駿の息子である宮崎吾朗。彼は「1960年代の日活映画が大好きだ」と言う。そういえば、この主人公・海の頑張り度は「キューポラのある街」(62年)の吉永小百合を思い出させる。

  

  しかし、かつては感動的だったかもしれないが、そんな昔を描いた映画を現在見ても、見事に面白くない。「だから、何なの?」と言いたくなる。

 

  「となりのトトロ」(88年)の時代は1953年に想定されていたが、あんな田舎の雰囲気に触れてみたいというような空気感が確実にあった。「ALWAYS 三丁目の夕日」(05年)は東京タワーが立つ1958年が描かれていたが、そこには幾多の庶民の普遍的なドラマが凝縮されていた。つまり、「昔は良かった」のノスタルジー映画も、そこに普遍性が表現できていれば納得するのだが、「コクリコ坂から」には、それが見事に見当たらないのだ。

  

  脚本を書いている宮崎駿も、「ハウルの動く城」(04年)を境として、どんどん神通力が落ちているような気がする。「もののけ姫」(97年)や「千と千尋の神隠し」(01年)の凄みが近年は全く見られない。スタジオジブリ、どうしたの? 

  テコ入れを本気で考える時期が来ているのかもしれない