西村雄一郎のブログ

 1950年代から60年代にかけて、「70ミリ超大作」映画が流行した。この「70ミリ」とは一体何か?


 それは、現場で撮影し、映画館で上映するフィルムの幅が、7センチという意味である。通常の劇映画のフィルムは35ミリ。その倍もある画質の鮮明な大画面が「70ミリ超大作」なのだ。


 一方、縮小化も行われた。35ミリの半分に収まった16ミリは、ニュース映画や文化映画に使用され、カメラの小型化に貢献した。そのまた半分の8ミリは、家庭用カメラとして使われ、ホーム・ムービーの代名詞ともなった。


 我々の学生時代、「シングル8」方式が登場して、誰もが簡単にカメラを手にできるようになった。一方、外国では「スーパー8」方式の小型映画が普及し、若者たちはさかんに学生映画を撮って、一大ブームを築いたのである。


 公開中の「SUPER8」の時代は1979年の夏。5人の少年少女が、学生映画を撮っている最中に遭遇したひと夏の出来事を描いている。夜の駅で演技をし、8ミリを回していたら、たまたま大事故が起こり、そこにある物体が写っていた。


「未知との遭遇」(77年)の神秘性と、「グーニーズ」(85年)の幼児性と、「エイリアン」(79年)の恐怖性を合わせたようなテイストである。いわば、監督、脚本を担当したJ・J・エイブラムスの映画というより、製作のスティーヴン・スピルバーグの好みが充満した映画だといえる。エイブラムス自身も、スピルバーグの世界を相当に意識し、オマージュを捧げているに違いない。


というのは、スピルバーグは、前述した8ミリ、16ミリ、35ミリと上り詰めて、映画の道を究めた監督なのだ。12歳の時、父が撮ったホーム・ムービーをいろいろ批判した。「じゃあ、お前が撮ってみろ」と言われて、4分の西部劇を作ったのが、映画に係わった最初である。


その後、14歳で40分の戦争映画を作り、16歳で「未知との遭遇」の前哨戦というべき「ファイア・ライト」という140分のSF大作を16ミリで完成させた。父は地元の映画館を一晩貨切り、興行したら、製作費500ドルを上回る600ドルの収益を上げたという。


そうしたスピルバーグの少年時代を彷彿とさせる映画への愛が、「SUPER8」の前半には横溢している。ところが途中からは、どこにでもある中途半端な〝モンスターもの〟に変貌してしまう。


結局、一番面白かったのは、エンド・クレジットの左半分に映される、彼らが完成させた8ミリ映画だ。学生映画の拙さや楽しさを表現して、懐かしい限り。クレジットと並行して見せるにはもったいないくらいの出来だ。映画が終わったからといって、くれぐれも早く席を立たないように。