今日も生きた分だけ言葉を綴ろう -5ページ目

長年の愛読書

久しぶりに開きました

「チャクラで生きる」

著者: キャロライン メイス, Caroline Myss, 川瀬 勝
タイトル: チャクラで生きる―魂の新たなレベルへの一歩

本当に素晴らしい本だなと読み返す度に思います。
前作に「七つのチャクラ」「健康の創造」があります。


著者: キャロライン メイス, Caroline Myss, 川瀬 勝
タイトル: 7つのチャクラ―魂を生きる階段 本当の自分にたどり着くために
著者: C.ノーマン シーリー, キャロライン・M. ミス, C.Norman Shealy, Caroline M. Myss, 石原 佳代子
タイトル: 健康の創造―心と体をよい関係にするために

日々起こりうる事と、それに対する自分の感情・身体の反応をみつめ、
日常を瞑想の場としたい私にはぴったりの本です。

直感医療をしている著者は、

病気になってしまった人の一体何が原因で、
現在身体に不調が出てきてしまったかを、
その人の身体から「直感的に」読み取る事ができるそうです。

彼女の著書には強い説得力を感じます。
決して神秘思想的な事だけに偏らず、
病気を通して人間の真実を洞察しようとする、真摯な姿勢が見えるからです。

「チャクラで生きる」  ~前書きより~


「人生のあらゆる側面で、人は何よりも変化を怖がる。
その為、病気よりも変化を恐れてしまい、必要な変化を起こすのを
先延ばしにするというパターンにはまり、
それが病気となって表れる事もある。
今日のホリスティックな視点に見られる基本的な誤解は、
すべての病を「その人の中にあるネガティブな側面が
引き起こした結果である」と定義している事だ。
過去の悲しい体験や、心身に影響を及ぼすネガティブな態度、
あるいは過去生の悪い業が原因となる、という考え方である。
だが、ネガティブである事だけが病気の源ではない。
病気は身体を通して、
それがなければとても足を踏み入れる事はなかった
学びや洞察へと人を導いてくれる場合もあるのだ。
意識を広げ、人生の更に大きな意味を理解する触媒となる
可能性も秘めている・・」


この本の中には、病気になった患者が、
身体と心に耳を傾ける事で癒されていく
様々な具体事例があげられています。

その過程が、その病気の原因の見定め方が、私好みで。。
病気というものの奥に隠された人間の事情を読み解くテクニックが

ほんと参考になります。

お勧めの一品です。


篝火

力づよく なる感じ

腹が 動じない感じ
でんとしてて 何にも揺るがされない 感じ
自我と仲良くやれる 感じ
何にも侵させない感じ

譲らない道
何よりも優先されるべきneeds
継続し続ける祈り

「ただそこにあり続ける」という大地の赤茶色の力
太陽の「わけ隔てない」暖かい黄赤の力
夕日にみなぎる「全力で終わらせる」の力
ギリシャの男性像の 思い通りに動ける「自由」の筋力 笑
松明みたいに「供にある」静かな黄の力
祭りの時の「一体感」の無色透明な熱力
流れ星の「最後の情熱」の青い

第一チャクラの瞑想
迷うのストップ
自分の生き方を捧げつくす
内に外に
必ずあるそれを
偶然でなくはっきりと見るまで 見るまで

気がつけますようにじゃなくて
気が付いている事に 気が付く
Visualize something unseen


ある日の想ひ・・

絶対手にしたい事があるとき
絶対それを手にしようと決めた時
絶対手に入る努力を惜しまなければ
人は必ず望みをつかめると思います

夢や目的を果たす時
頑なになってはいけない
開かれた心と
謙虚な姿勢と
これまで積み上げてきた類まれなそれぞれの経験を胸に(*--*)

断じて行えば鬼神もこれを避く



キャバクラ 入店面接

とあるマンションの一室でした。


待ち合わせ場所に迎えに来てくれたスーツを着た男性とひと通り話し、


その後TV電話に向き合い、本部の管理者と面談しました。


それまでクラブやスナックに勤めた事はありましたが、


キャバクラなるものは初めてだった私・・

 

TV電話で面接した管理者は、


これまで勤めたどこのスナックの管理者とも違う、


どことなく「信用できる」と感じさせる人でした。


(実際彼は、大変大きな器の人物だと後から知る事になりました)


そこは有名店なのですが、


キャバクラ以外に、クラブ、尺屋なども系列店にありました。


ですが、その管理者曰く、


一番稼げるのは「キャバクラ」なんだという話が意外でした。


単純に、Hなお仕事であればあるほど稼げる感じがしませんか?


じゃないと、女の子にしたら割りに合わないですよね?


なので、その時は、私にやる気をださせる単なる


「サービストーク」だろうと思っていました。


ところがどうして、まーだまだひよっこでした、私は 笑。


それは事実だったのです・・・


とにもかくにもなんだかんだと面接を終え、


一週間後には飛行機に乗っていた私。


面接が非常に丁寧だったのも、好印象でしたし、


いつも即行動がモットーなので。


半年以上勤めれば、往復の航空チケットは無料になるという契約だったので、


半年以上はしっかり勤めて帰ろうという心意気でした。


そして、飛行機の窓から見た、忘れられない空景。。。


「これからこの土地で、色んな事があるだろうけど、


絶対に稼いで帰りたい」


窓から外を見下ろしながら強く思いました。


自分の学びたい事を学ぶ為に、学費を稼ぐのが目的でした。


だから、絶対にこの世界には溺れまい、と固く誓ってもいました。


当時、地元に好きな人が居たのが一番つらかった。。。


でも自分の描く未来を切り拓くには、


愛や情の他に、どうしてもお金が必要だったのです。


地元のスナックやクラブに勤めていても、


そんなに稼げませんでした。


お酒をがばがば呑めるくちでもありませんでした;


ですがキャバクラならお酒は呑まなくてもいい。


女の子の年齢層も低く、短期間でスナックやクラブより稼げる。


何と言っても有名店だったので、


お客さんにしつこく営業しなくてもいいというのが、魅力でした。


(現実はそれなりに厳しかったですが・・)


こんなうってつけのお仕事はないと思いました。


どうしても、現状を打破するんだという希望を抱き、


見知らぬ土地の空港に降り立ちました・・


次回は、管理者との初対面を思い出しながら・・


書いてみようと思います。


懐かしいなぁ・・思い出せるかなぁ・・


突然悲しくなった日の事

明日は

一日中働く日です。。

そして今日は
なんだかとっても悲しい気持ちの日なんで、ゆっくり寝ます・・

ふと、思いました。
子供の頃から、両親と居ても癒されない孤独を感じて、悲しかった。。
夜泣きの止まらない困った子供でした、私は。

家族がばらばらになった今、心底悲しいとは、やはり思わない
出会うべき人と そろそろ出会わせてほしい。。
運命の輪がうまくかみ合って いきますように。。

 


緊張の正体

私自身の事で言えば
誰かや何かの期待に答えようとする事が緊張につながります

期待に答えようとする意識を捨てると
自分のものさしや 自分の判断で動かなければならなくなる

自分の判断でもって 社会において行動しなければならなくなると
極端にひとりよがりでない 説得力ある判断が要される

でも そゆ事あまり綿密に考えてると動けなくなってしまうので・・
ある程度自分が納得すれば 自分の行動にGOサインを出せねばならない

皆若い内は周りを伺いながら 納得いかない事もだまって飲み込み
生きてきたと思う

でもそこで「このやり方は納得いかない、おかしい」と思う気持ちを
麻痺させたら駄目
それは 仕事でも人間関係でも

自分がおかしいと感じる社会の暗黙的ルールをじっくり考えてみる
何故 現状こういうシステム・ルール・流れになってきたのか?と

先人の積み重ねてきた歴史というものが 世の中には必ずあるから
なぜこうなってきたのかを まず知ろうとする

ルールに人が合わせるのではなく 
人がやりやすいように ルールが変えられて行くべき

もし絶対に変えられない 保守的な場面に出くわしたら
自分の居場所はここにないと 軽くスルー 笑
自分の中で自問自答しながらも社会での折り合いは適当につけとく 笑

が、自分の思うように生きるのを内心では諦めはしない 笑
そうやって社会生活に真剣に向き合うと 私の緊張はとけます
人の‘期待’の為じゃなく 自分の‘納得’の為に生きる

ある困ってる人達の為に
この先の自分の人生を微弱ながらも役立たせようと決意している
私の今の心の姿勢です

緊張するの飽きました 笑
緊張するよりわくわくして物事にはあたりたい 

心惹かれる人

前の職場の先輩に、努力の人がいます
なおかつそれをひけらかしたりしないのですが
誠実さが生き方に滲み出ている様な方がいます
徳があるというか・・
彼にはいつも非常に感化され インスピレーションが湧きます

皆に尊敬されていて ほんと誰一人も彼には頭があがらない
本っ当ーに素晴らしい人柄
仕事はできるし親切だし よく笑うしよく食べる 笑
海外の公的機関で数年仕事をしてた経験もあり
紳士で でも全然きどってなくて 子供っぽい面も見せる

一緒に買い物に出かけたら必ず荷物を持ってくれるんですが
(持ってくれない方もたくさんいますね)
それはまだ経験ある範囲内でしたが・・
この間は・・自宅の玄関まで運んでくれてました
そんなに重いものでもなかったのに、です(醤油と梅酢の瓶とあと何か少し)
そして決して部屋には上がらない

彼曰く、以前私がご飯を作ってふるまった事が二度程あったんですが
それに恩を感じていると申します・・
なんの事はない普通~の家庭料理だったのにな・・

そういう誠実さに 涙が出そうになりました
人への心配りとその行動の現われが素晴らしすぎ
そして 見返りを決して求めないんです
私には 努力して意識せねばできない類の事なので余計に感動
紳士を目指すと以前ちらっと言ってましたが 十分に紳士です

私も自分の使命を見つけた今 自分なりに頑張ってみようと思えました
彼のような人が居るのを知った事も 力になりました
巡りあわせに感謝・・

よく

つまずく日と
そうでない日があることに気が付いた時の事

昨日と同じ道を歩いているのに なぜなんだろう
昨日は何の事なくよけていたわずかな段差に
今日はつまずき
そこに段差があった事に気が付く・・

物をよく落とす日とそうでない日
キーボードがスムーズに打てる日とそうでない日
物事がうまくいく日と 何もかもがうまくかみ合わない日★

これらにもちゃんと意味があり
例えばよく事故に合ってしまう人というのは
自分の気が 流出してしまっているので
自分に力を取り戻す必要があるそうです

心あたりは大いにあります
私はうっかりミスが人一倍多い
そしてそれは 情緒の波が大きい事にも、よる
夢見や、寝起きの気分、些細な体調の変化にも影響されやすい

敏感だとかいう事は 理由にならない

何故自分をコントロールできないのか
何故‘影響‘に自分をのっとらせてしまうのか
何故 自分という枠を作って、物事を判断して、
不要な事、不都合な事を、
感情的にシャットアウトしないのか
何故 自分を弁護しないのか 守らないのか
何故 気を流出させてしまうのか・・

「物事にはあらゆる可能性がありうる事を常に念頭に置くと
自分という枠を決めず、柔らかく居ようとするからだ」
というのが今の私の答え・・
「その時」が来たら自我や観念から
いつでも自由になれるようにと

固定観念に従い判断を下しはしない
習慣になって安穏としてしまう恐れがあるから
癖になっては困るから
自分の感覚を使って 物事に気が付けなくなるから

私は私を管理する事を好まなくて
(人を管理する事も好まなくて)
とにかく何かを管理する事を好まなくて・・
今やっている目の前の仕事に集中して
一つもミスがないようにこなすなんて事は、さらさらできない
決まり事に従えない。。。笑
大事な事と思えないから 笑

「注意力がないから」と、ひとくくりにはできない
分野が違えば注意力はおそろしく湧くんだし

・・***結論***・・
学ばなければならない。
この先へ進もうと思うなら、
今の思考回路を越える事に、もっともっと気が付く必要がある。
私は 今 何かを見落としてる気がする。。

妹の様子が

↓変わりだしてきた時の事↓

なにやら、快活さが戻ってきている様子。

仕事・自分一人の時間・人と過ごす時間をバランス良く保つと
気持ちのバランスを保たれるとの事。

自分で自分を受け入れることが容易になってきてて
いろいろと 目標を見出しつつあって
気分がいいと言う

何かご飯のレシピを送ってというのでまずライスの楽しさを送信してみた
玄米とか雑穀米とかを食べる事の楽しさを 笑
あと はまった納豆チャーハンとか 笑

人生というものがわかって気がすると言う
自分でご飯を作って食べるとか
仕事して保険料金を支払うとか
そんな当たり前の事、と。

うんうん・・

50歳になってたら何をしてたい?と聞かれたので
最初の子供が成人してるといいなと 答えた 笑

妹と何かを一緒に始めたいという気持ちは前からあって
お互いの用意が整えば 
二人で何かを始められる・・
今は準備期間 何もかもが修行だ修行だ 笑
出家は実際当分は保留なんだろう・・うぅ・・

一人で悟る恩恵よりも 二人で悟りに至る恩恵を得てみたい
一人で悟るという事より ある種のチャレンジになりそうだ

依存症

菓子やら

携帯メールやら 
毎日の中、依存・中毒になってしまっている事が多々ある

それを見極め 足を洗う必要を感じるためには
まず自分自身の足で立つことが先決
依存を断ち切るだけでは 行き場がなくなる

その為に 面倒くさがりな習慣を断ち切って
ご飯を作るのに精を出してきたのかもしれない 

健康に留意した自炊をするようになってから
自分の食べるものの面倒を、きちんと自分で見るという意識が湧き
毎昼菓子を食べずにいられない習慣を
自分の意志で辞めれる事に気が付いた

「自分の足で立つ」という事の基本型だと思った
ストレスからくる甘いもの欲しさの欲求に従い
安易に甘いものを身体に与えるだけでは ストレスの原因がうやむやになる
ストレスを感じるのは 自分の身体や内面の声に耳を傾けていないから

身体の事を考えた食生活を送るというのは
自分の事を考えてあげられるという事で
自分の面倒がみれるという事で
ひいては自分の人生に責任を持つという事

認識不足であるから 問題が見えない
認識が不足するのは 注意が届かないから
注意が届かないのは 騒がしくするから
騒がしくするのは それがいつものやり方だから
皆もそうしているし それが普通で その方が楽だから

何もかもに気がついていけますように・・・