クレイジートラベラー!!~ロードレーサーで行く変態旅行記~ -3ページ目

明日死ぬと思って生きなさい。の巻

8月6日

私は徳島県の「貞光駅」に降り立ち、ギラギラした真夏の日差しの眩しさに、思わず顔をしかめて小さくタメ息をついた。妖怪に魂を抜かれたような情けない面を引っさげて、閑散とした田舎の無人駅の前に置いたリンコー袋から取り出したのは、なんとも不思議なピンク色のロードレーサーである。

 

チクショー・・本当に俺はクソダメなヤツだな。自転車趣味などという、愚かでくだらない行為をまだ止められず、しかも東京から超豪華な寝台特急サンライズ瀬戸という列車に乗ってきてしまうというとは・・なぜ俺はこんなに欲望の赴くままに生きてしまうのだろうか。

 

私は、組み立てた愛機を剣山の方へ向かわせる。

四国の大地の豊かさを象徴するような、美しい川沿いの道を行く。しかし私のようなこの世に存在していること自体が間違っているゴミカスには、この景色はもったいない。

 

自然が「美しい」と思ったからといって、私の中の何かが変わるわけではない。

いつも通り地球に毒物を垂れ流し、他の生物を踏みにじる生活が続くだけである・・。

 

私も若いころは自転車趣味は楽しい。峠とか攻めに行って風を感じて大自然の偉大さを知り、その楽しさを共有できる仲間も増える。本当にやるに値する素晴らしい趣味だ。

・・と思っていたものだ。でもそれは<私がそう思いたかっただけ>だった。

 

仲間・・というのは、ただ<自転車趣味>に夢中になることで、このままでは間違いなく破綻する現実から逃避するだけの人たちだった。福島の原発事故から反省もせず、九州の原発を再稼動。今度また原発が爆発したら、もう俺たちはお終いなんだぴょん。憲法を改悪して俺たちから自由や人権を奪って戦争に行かせたりする社会になっちゃうぴょん。つーか、もう自転車すらも乗れなくなっちゃうぽよよーん♪ということを訴えても、知らん振りでチャリに夢中になるだけの奇妙な生き物たちだった。

 

彼らに「なぜ無関心でいられるのか?」と問うと・・

 

「今どき国の心配なんてするヤツいねーよ!文句あるならお前が政治家になったら?子供の将来?そんなの子供が何とかするさー♪」

 

・・という答が返ってきた。さらに突っ込むと、さらに汚い自分を正当化する気持ち悪い返事が返ってくるだけなので、人ってここまで腐れるものなのかよ!バカヤロー!とハートがロックになった。

 

<自転車趣味>から得るものなど何も無い・・いや、それに限った事ではない。

人の世から学べることは<人の世には何の価値も無い>ということなのだ。

まあ、人生じたいが肉体が消滅するまでの暇つぶしに過ぎぬわな。

 

人間は地球に巣食うガン細胞なのだから、趣味という<時間を潰すためだけの活動>などせず、家でゴロ寝して屁ぇこいていた方がこの世のためになる。

からこうして無駄に自転車趣味などやってる私など、最高に生きている価値が無い。

私はもはや、自転車趣味をちっとも楽しいとも思わず、素晴らしいとも思わないのだ。

 

それでもなぜ私は止めないのか・・それは『依存症』だからだろう。

 

だから今の私には、ウザイと思っていた<タバコを吸いたがる人>の気持ちがよく分かる。

この世の何の役にも立たず、吸殻というゴミを出し、自分の身体を害し、さらに他人に迷惑をかけるだけのタバコを、楽しいとか素晴らしいとか思って吸う人は居ないだろう?

我慢しても身体がうずいて無性に吸いたくなって、仕方なく吸うんだろう?

 

・・私も同じだよ。止めたいのに止められないのだ、中毒なのだ・・本当に情けない。

 

何だか自転車で坂道を登る行為がバカバカしく、超めんどくさくなってきたので、途中で見つけた宿で飛び込みで泊まることにした。

タバコを一本吸って渇望感が解消されてスッキリしたのと同じだろうコレ。

 

宿の主人が『チャリを中に入れるがいいぜ!』と気前のいい事を言ってくれたので、遠慮なく愛機を入れると、それを見た主人は目をむいた。

 

全体をピンク色のパーツで彩られたお派手な機体に、『自転車ばっか夢中にならない!』『原発はやめよう!』『緊急事態条項いらない!』『戦争する国にさせない!』『日米地位協定を改定しよう!』などと書かれた、すぐにチャリに乗って現実逃避に走りがちで、怠惰でバカでカスでゴミな私自身を叱咤するかのようなメッセージが書かれたプラカードが、痛いくらいにペタペタと貼りまくってあったからである。

 

『いやいや!ご主人!!こんな派手で申し訳ありませぬ!グヒヒヒヒ!!』

 

私は、他の宿泊客が痛々しい愛機をしげしげと眺めている姿を見て、満足げにニヤニヤ笑っていた。

 

8月7日

宿を出た私は、坂の頂上である剣山の登山口にやってきて、眼に染みるような青い空の下に聳え立つ、名前も知らない雄大な山々を眺めていた。

そういえば朝、にこやかに私を見送ってくれた宿の主人の、眼だけは笑っておらず、もう二度と来て欲しくねえ・・という光に満ちていたっけなぁ。と思いながら、これから登山に向かうのだろう装備をした人たちを見やる。

 

登山かぁ・・何でそんなことやるかな。ここまで苦流魔や嘔吐倍で来ると空気を汚すし、人が闇雲に大自然に入るだけでも環境を破壊してしまう。自転車で坂道を登ってきて、さっと下るくらいでいいんじゃなかろうか。・・おっと、長年やってきて染み付いた<自転車趣味>をヨイショしたくなっちまう。

 

しかしな・・登山客が居なかったら、昨日お世話になった宿は存在しなかっただろうし、登ってきた道も存在しなかったかもしれない。人のやることなすこと全て無駄なのだが、それでも無駄なことをやって、経済を回していかなくては暮らしていけない仕組みの中で生きてしまっている。だから私は無駄だと分かっていつつも、無駄なことをやる・・。

無駄なことだと分かっているからこそ、自分がクズであるということを自覚し、自制することが出来る・・いや、あんま出来てねえけど。

 

もし人が経済に頼らずに生活していたら・・きっと私は趣味などせず、家でゴロ寝しながら屁ぇこいてたかもね。

 

私はひたすら屁をこき続ける自分の姿を思い浮かべて鼻で笑い、国道439号線・・「通称:酷道・与作」に入っていった。

 

『かずら橋』と表示された観光名所っぽい所に立ち寄ると、蔦で編まれただけの橋っぽいものが渓流に架かっていた。一歩踏み入れただけでギシギシいう、溢れるばかりのヤバさ満点な橋を渡っていると、川で遊んでいる親子が見えた。

 

私も昔は、こんな綺麗な川に飛び込んだりして遊びたい。という子供じみた欲望を有していたが、今はもう無い。なぜなら、私はもう身も心も汚れきっており、「私のような汚れた生き物は、遊びで川に入ってはいけない」ということを知っているからだ。

 

私は川遊びなどという下らぬ目的のために、地球の財産である綺麗な川を汚したくない。

子供ならいいのか。と思うが、よく流されたり溺れたりしているので、控えたほうが良くねえか?と思うのだった。以前、読んだエロ本に、『人間は何やっても自然をブッ壊すから、外出とかしないで、家でエロゲームやってりゃいいんじゃね?』とあったのだが、その通りだと思うだけにショックを受けたことがある。・・うむ。早く旅に満足してエロ本を読もう。

 

私はこの旅で、何としても乗ってやるぞと決意した乗り物がある。それが、『奥祖谷観光周遊モノレール』である。移動手段ではなくただの観光モノレールなのに、乗車時間が1時間10分もあり、料金も2000円とクソ高い。

 

一体、どれだけ無駄な時間を費やせるのやらと期待に胸を躍らせて乗ってみると、景色が別段いいわけでもなく、ただ森林の中を行くだけだし、『途中で止まっちゃった先行車とか後から来るやつとぶつかるかもしれないので覚悟してね。』とか、『途中で止まっちゃうかもしれないんで、そのときは自力で帰ってきてね。』とか注意書きがあり、さらに備え付けの無線機に係員から『大丈夫っすか?』と連絡が入るのが、私にこの上ない喜びを与えてくれる。本当にコイツこそが無意味の骨頂だと自信を持って言えるだろう。

 

途中、村人が悪の魔法使いに姿を変えられたんか?としか思えない、カカシがいろんな姿でいろんな場所に居る、呪われてるっぽい村を足早に通過し、この<酷道ヨサク>で有名だという「京柱峠」に到着した。

 

峠の頂上にある茶屋には、日本中からやってきた旅人が書いたらしい色紙が貼り付けてあるのだが、どれも『素晴らしい』の言葉で締めくくられており、心が救いようもなく荒んでいる私は疑問に思った。確かに酷道ヨサクは自動車が少なくて快適だが、そんなに素晴らしいのか?と。

人間は大変な思いをした時は、それがどんなに下らないものであったとしても素晴らしいと思ってしまう性質がある。しかし、よく見てみると嘔吐倍で何の苦労も無く来ている人がほとんどである。フーム・・俺の独断と偏見に満ち満ちた定義では、わざわざ嘔吐倍で楽して来て、爆音立てて空気を汚しに来るやつらを『旅人』と呼びたくないな・・。

 

もしかしたら、普段の生活があまりにもつまらなくてクソな場合は、こうして旅してハメをはずしたりする行為を『素晴らしい』と思わざるを得ないのかもしれないな・・。

 

私は峠を下り、山奥のどこだか分からない場所で温泉に入り、近くのバス停で野宿した。

 

8月8日

この日は、本来であれば仕事デーなのだが、私は3日連続して有給を取得して10連休にしたので、ムサ苦しい職場の連中と離れて、東京よりは涼しい四国を旅することが出来る。

しかも私の職場は異常に暑く、真夏日は気温が40℃を超えて、ついでに人間の限界も超えて、通常の3倍の速さで動き回らなくてはならない。

 

・・やつら、今頃はあの地獄のほうがよっぽど楽な職場で動き回ってんだろうな・・俺が抜けてる分、もっとヤバイんだろうなぁ・・ざまあみやがれだぜ!ウハウハ!!

 

何だか笑いが止まらない私は、ウキウキ気分で酷道ヨサクからおさらばして、天狗高原・四国カルストへ向かう道へ踏み出した。

 

が、その道は仕事などより遥かにキツかった。控えめに言って<死んだ>。

今までの人生で5本の指に入るくらいの苦行・・というと大したことなさそうだが、目の前に聳え立つ険しい山の頂上にある旅館が、芥子粒のように小さく見えてしまうのがツラかった。言い訳をさせてもらうと、背中に担いだ巨大リュック<ヤドカリさんMARK2>があまりに重すぎるというのもあるし、自転車に乗らなくなったのと、毎日仕事がしんどいというのもあるのかもしれない。

 

まあ、とりあえずその頂上にある天狗高原の旅館にある食堂に虫の息で辿り着いたとき、そこはまさに神々しい光が降り注ぐ天国にしか思えなかった。

 

食堂でたらふくエネルギーをチャージして四国カルストへ向かったが、普通の人は「こんなに天と地がくっ付きそうな山の上なのに、大昔は海の底だったんだ!すげぇー!!」とか、「どこまでも見渡す限りの山々と、草原に岩がゴロゴロ転がってるだけの荒涼とした景色!日本とは思えねえええ!!」とか思うのだろう。

 

だが、私には<コイツは良い>と何度言っても足りないくらいの、この景色を楽しむ心の余裕が無かった。

 

私の心に去来するのは「あー・・もう無理無理。もうこんなところに居たくない。早くどこかで横になりてえ。」であった。

 

山を下る途中の道の駅のベンチに寝転んでいると、道の駅の人が話しかけてきた。

 

『ここに泊まるのかい?寝るなら、こっちのベンチの方が屋根があって寝心地がいいんじゃないか?風呂には入ったかい?まだならシャワー貸してあげようか?』

 

さらに『腹減っただろう?』と、売れ残ったカレーとパンも私に恵んでくれた。

なぜ・・私のような見ず知らずの人間のクズに、優しくしてくれる人が居るのだろう。私は不覚にも涙が出そうになり、さっそくシャワーを使わせて頂いて誤魔化した。

 

閉店時間が過ぎて明かりが消されると、缶ジュースを持った別の道の駅の人が現れ、それを私にくれた。

 

『これからどこまで行くの?』

 

顔は暗くてよく見えないが、優しげで心地よい声が聞こえてくる。

 

『12日に再稼動される伊方原発の様子を見て、熊本へボランティアしに行くんですよ。東京では原発再稼動に反対する運動をしている人たちもいますが、こちらの人たちはおとなしいように見えますね。反対の声が上がっていれば加わろうと思っていたのですが。』

 

『おっ!自転車に原発反対!って貼ってあるね!!確かに福島の様子を見ると恐ろしくなるけど、こちらは人口が少ないので原発に頼るしかないし、声をあげずらいんだよ・・。』

 

『そのような状況で声を上げると、仲間はずれにされたり、地域の結束が分断されたりしてただでさえ人口が少ないのに、みんなでいがみ合うことになるのでしょうね。だから、外圧に頼るしか・・俺のような、よそ者が声を上げたりするしかないのかも知れませんね。』

 

わざと地域格差を作り出す。つまりお金に困る地域をわざと作り出して、お金をエサに原発を押し付けてしまい、まるで麻薬の中毒者が薬によって考える力を失い、どんどん売人の言いなりになってしまうように、その地域は原発を始めると自分たちでは止められなくなる。

何でわざわざ、中央構造線というヤバイ断層の近くの原発を再稼動するのか・・その本当の目的は、事故を起して日本中を放射能まみれにし、人口を削減するためなのだが、まさかそんな目論見があるとは普通は思わないだろう。だからテレビやマスコミの言う、電気が足りないとかいうウソに引っかかっちゃうんだろう。日本人は勤勉でも、物事を深く考えるのがあまり得意にならないように仕組まれているので、すぐ騙される。

 

 

私は全然勤勉ではないし頭も悪いが、物事を深く考えるのは好きなのだ。

こうして物事を深く考えると、私は騙されやすくても優しい人間が大好きなのが分かる。

私はこういう人を守りたい。私みたいな、疑り深くて偏屈なヤツばかりでも困るしね。

 

8月9日

私は、愛媛県の佐田岬半島にある道の駅から、12日に再稼動される伊方原発を見下ろしていた。(本当に8月12日に再稼動されちゃいました♪逃げれる人は早く日本から逃げたほうがいいぞ♪)本当に原発は人が住んでいるすぐ近くにあるもんだな。ゴールデンウィークに鹿児島の川内原発を見に行ったが、あれもそうだった。同じ地域に「原発賛成」と「原発反対」の看板が立ってて、見事に分断されていたなぁ。

 

私はメロディーラインと呼ばれている佐田岬へ続く道をひた走る。まあ、私には破滅へのメロディーしか聞こえてこないのだが。

 

四国最西端の岬・・「佐田岬」の展望台にやってくると、結構暑くて、思わず途中で農家の人にもらったミカンにむしゃぶりついた。このミカンもとても美味しいが、もうすぐで食べることが出来なくなるかもな。

 

何だかなぁ・・四国最西端の海が泣いているみたいで、やけに眩しい。

ごめんね・・俺は無力だよ。出来ることといえば、「原発反対!」って書いてある変なチャリで日本中を走り回るくらいだよ。愚かだろう?笑えるよね。

こんなもの何の役にも立ちゃしないよね。

 

だけどさ、「何もしない」よりかは、ちっとはマシだと思わないか?

俺は明日死ぬということが分かったとしても、普段どおりに仕事には行くし、原発や戦争など止めろと言い続けてやるぜ。さもないとあの世で後悔しそうでね。

 

どうにもならない事態になってしまうのは、それを回避するために「何もしない」ということだと俺は思うんだ。私は自分に言い聞かすように語り掛ける。

もちろん、海が返事をよこしてくれるはずも無い。

・・すまん。ウソついた。

仕事には絶対行かねえ。

四国最西端の宿のディナーは、海の幸てんこ盛りの豪勢なものだった。

これを食べるのも人生最後になりそうな情勢になってきたな・・。

 

それにしても、この佐田岬半島の根元にある伊方原発が爆発したら、半島の先端で生活しているここの人たちはどうやって逃げるんだろうか。港に泊めてある漁船で逃げるのかな?

もっとも嫌な予感が、私の胸をかすめる。

 

それは・・そもそも「危険」ではない。ということにしてしまうということだ。

だから逃げる必要も無いし、食べ物に気を使う必要も無い。

倒れる人がたくさん出てくるけど、そのころにはもう自由も人権も無くなっているので、放っておけばいいし、逆らうヤツは捕まえちゃえばいい。

きっと北朝鮮も真っ青な酷い国になるだろうが、実際にこの国の政府はこの方向で動いているということなのだ。

ところが、ここの窓から見える風景は平和そのもので、私はこの長閑さが恐いのだ。

 

8月10日

私は三崎の港に来ていた。ここから九州の佐賀関まで行く船が出る。

四国ともこれでお別れであるが、別に名残惜しいとは思わない。

これから九州へ向かうけど、期待に胸を膨らませるということもない。

「つまらねえヤツだな」と思うかも知れないが、別につまらねえヤツでいい。

 

フェリー乗り場に、自転車を積めるのが先着8台との看板があり、自転車趣味に夢中になる人たちが集団でやってきたらめんどくせえなぁと思うくらいである。

 

沖から船が音もなくやって来たが、どうやら乗り込むのは自転車の私一人と、嘔吐倍の旅人2人だけのようである。とりあえずひと安心し、タラップが下りて、船に乗り込む直前、私はふっと後ろを振り返った。

 

港ではカモメが優雅に空を舞い、魚が豊かで人々が平和に暮らす土地・・失いたくない風景であった。

 

原発が爆発してなかったら、また来たいね。

まあ、12年前にもママチャリで来たことあるけどね。

 

うむ・・もういいよ。俺の旅なんてどうでもいいけど船が出港した。

<つづく>

今年のゴールデンウィークは!の巻



4月30日


最終の新幹線がホームに横付けされ、ゆっくりと開くドアの動きを漫然と眺めて下車すると、ヒンヤリとした空気が取り巻くホームに、私は思わず身体をぶるっと震わせた。


『南国のはずなのに、東京より寒いじゃねえか・・。』


駅前のベンチにマットを広げて寝袋を敷いていると、私以上の大荷物を引っ張ってくる人がいる。話しかけると、彼は東北からやって来たそうである。


『さっきまで、地元の人と何気に話したりしてたんですが、思ったより酷くなくて良かった。私の故郷は、3.11の地震による津波で、町ごと無くなってしまいましたからね。』


ここで野宿するとお巡りさんに怒られるとのことなので、私は人目に付きにくいところへ移動する事にした。彼はというと、このまま朝まで時間を潰すそうである。近辺の宿がまだ復旧していない。もしくはどこも満室なのでこうするしかないのだが、私は宿が無い状況にはもう慣れている。


屋根もなく、ベンチだけがポツンと置かれているバス停を見つけ、寝袋に潜り込んで漆黒の寒空を眺める。


この同じ空の下で、被害に遭われた人たちはどうしているのだろうと思いながら、眠りに就こうとすると、余震で大地がうねって揺れた。



眩しい朝の日差しの中、始発の市電に乗って、とある公園にある災害ボランティアの受付会場にやってくると、受け付け開始の2時間前だというのに、もう行列が出来ているのに驚いた。


私は、どうやら日本人は、ネズミの国やラーメン屋さんばかり行列を作るわけではない。自転車で坂道を登ったり、レースイベントなどで集団で爆走する行為に夢中になる人ばかりではない。という事に安堵した。


私より前に並んでいるおっさんに、どこから来たのかと話しかけられ、東京だと答えると、おっさんは沖縄からはるばるやって来たそうである。 せっかくのゴールデンウィークだというのに、この人たちは物欲、消費欲といった自分の下らない欲望を満たすだけの、どうでもいい行為に夢中にならなくて良いのだろうか?


もちろん手当など出ないし、交通費も食費も宿泊費なども全部自腹で、まだ地震が収まらず、さらに近くにある原発も止めないという状況下、まさに危険を承知の上で、身を削って他人のために動くという事なのだが、なんでこんな事が出来るのだろう?


地べたに座り込んでエロ本を読みながら並んでいると、ボランティアに参加を希望する人たちがどんどんやって来て、公園の広場を埋め尽くす勢いである。


被災地で困っている人たちを思うと放っておけず、全国各地からこんなに集結してくるとか・・私にはさっぱりわからない。



私はどうしてここにいるのかというと・・


・・被災者の支援よりもオスプレイの宣伝を優先したり、救援物資よりもコンビニで売る商品を先に届けさせたり、被災地を放って外遊に行ったくせに『緊急事態条項』が必要だのとうそぶき、なかなか『激甚災害指定』にせず、人気取りのために現地を視察するなどパフォーマンスを行った後に指定をちらつかせるなどと、被災地をバカにするような政府の対応に黙っていられなかった・・


・・というわけではない。


私はね、他人のために自分の労力を惜しまない、変わった人たちを見学しに来たのだよ。それなら一緒に活動するのが一番だというわけなのだ。


ああ、本当にクズな俺。

でもそんな自分が大好きで人生終わってるな俺♪


こんな人間のカスである私にも、その優しさを少しでも分けてもらえないものだろうか。




受付を済ませ、活動をするにあたっての注意事項や説明を受け、グループ分けをすると、いよいよ現地へ出発である。


ところが私たちのグループは、なかなか目的地に近付かないなと思って歩いていると、実は完全に道に迷っていたのだった。


庭先に椅子を置いて、のどかに世間話をしている地元の方に道を聞くと、『おいおい、全然方向が違うぞ。よし!俺たちの車に乗ってけ!!』と、車に乗せて行ってくれた。



避難所になっている中学校に到着すると、炊き出しのためにやって来たらしい自衛隊の車両が止まっており、隊員さんが小さな子どもたちと遊んでくれていた。


被害を免れた校舎を見て、参加者のおねいさんが思いだしたように言う。


『あ、この学校はグラウンドに<飲み水ください>ってメッセージを書いて、日本中から水が届くと、今度は<飲み水ありがとう!がんばるけん>って返事してたところだね。』


私たちは、ボランティアを依頼した奥さんの案内で、住まいのあるマンションへ移動した。途中、『ほら、あれがテレビによく映ってた、渡り廊下がパックリ割れたマンションだよ。』と教えられた。今では足場が組まれて修理の真っ最中のようだった。


依頼人の住むマンションの部屋から、激しい揺れで倒れて壊れてしまった家具を外に運び出す作業をみんなで協力してやっていると、幼体の頃にやった引越しのバイトを思いだす。あの経験が今になって役に立ってやがると思うと、妙に感慨深いものがあるなぁ。



2件目は、腰を痛めて動けないお宅の部屋の片づけを手伝いに行き、昼飯を食うために中学校に戻ってきた。


避難所の人が、『次の現場まで一時間くらいゆっくり休んでください。』というので、うちのリーダーが『いいや!そんなに休んでいたくありません!昼食を食べ終わったらすぐに出ます!!』と、何だかカッチョイイ台詞を吐き、実は私が胸を張って言おうとしていただけに、ちと悔しかった。


3件目のお宅へ向かう途中、『この家は倒壊寸前なのでもう住めない』という事を示す赤い紙を張られた家が建ち並んでいた。

東京で地震が起きた時は、自分の家にもペタッと貼られるんだろうなぁ・・。



最初にお邪魔したマンションも、エントランスの床は波打ってひび割れ、壁には惨い亀裂が入って崩れており、すぐ隣のマンションは、まだ建って数年しか経っていないのにもう住めない状況になってしまい、倒壊しないように根元をジャッキのような器具で支えられていた。


ちっとも他人事ではないと思うと気が重くなるが、今はこっちに集中しよう。


私はやがてはやってくるであろう、自分の運命を頭を振って誤魔化した。


現場に到着すると、どうやら5階建てエレベーター無しでの運び出しの作業となるようで、これはかなりハードな作業になるぞと、心が折れそうになるが、困りきっている依頼人の顔を見ると、こっちが弱気になるわけにはいかなかった。


何回か処分品を持って階段を上り下りしているうち、みんなへばってしまい、私だけが元気に戸棚を担いで動きまわっている。


私は、いつも優しい先輩方の怒鳴り声が飛び交う、楽しい現場を走りまわる肉体労働に従事していることに感謝した。



作業を終えて帰ろうとすると、依頼人が『本当に助かりました。ありがとうございます!』と頭を下げている。思わず、私も『こちらこそお手伝いをさせて頂きまして、ありがとうございました!』と頭を下げた。


果たして、私は<人助け>などすることが出来たのだろうか。

私は、自分自身が<人として行動する機会を与えられて助けられた>ような気がするのだ。


私たちは市電に乗って、ボランティアセンターに戻る。今回は西原村や益城町など、被害が大きかったところへ行く事が出来ず心残りではあるが、市街地の方は早くに復興する事が出来ると思う。


そう、稼働している川内原発さえ爆発しなければ・・。


私は最後に、グループの仲間に『普通の人は災害ボランティアなんてしないじゃないですか。なのに何であなた方はやるんですか?』と、問うと、『君だってやってるじゃん。』と言われた。



私は西に傾いた太陽の方を見て、眩しそうに笑いながら答えた。


『だって、この星の生き物たちは仲間同士で助け合うというのに、地球で最も賢いとされている俺たちが出来なかったら、もう生き物として存在している意味がないじゃないですか・・。』


駅のコインロッカーから荷物を取り出し、夕陽を受けて輝いている熊本の街をただ眺めていると、鹿児島方面へ向かう新幹線がまもなく到着するというアナウンスがかかり、私はチケットをくわえ慌ててホームへ駈けだして行った。



<つづく>


サイレントヒル!の巻<心をゆらしての章>



3月21日


朝日が恥ずかしそうに山間からのぞいて、麓に続く一本道を眩しく照らし出し、周りには深い山々が押し寄せてくるように迫り、その急峻な斜面を白い雲が空から溢れるように下ってくる。 


大自然の中に取り残されたように佇む山荘の前で、出発前の清らかに澄んだ冷たい空気を楽しむ2人の変態。この時間に出発するのは、どうやら私と若者だけのようで、玄関先では従業員だか宿泊客だか、よく分からないおっさんが、黙って私たちを見送ってくれていた。


『こんなに事件が起こりそうな条件が揃ってるのに、結局何も起きませんでしたねぇ。ただ兄貴のうるせえイビキには殺意さえ覚えましたが。』


爽やかな作り笑顔をこちらに向ける若者に、私は目を細めて微笑みを返した。


『うむ・・何事も起こらず良く眠れたわい。ここは建物自体が新しく清潔で、温泉も良かったしメシも美味くて、それで料金は高くない良い宿だった・・もう二度と自転車では来ないけどな。・・んじゃ、自転車趣味という、人生の虚しさを誤魔化すための作業を再開しませう。』


私たちは愛機に乗って、来た道をめんどくさそうに引き返していく。

どんな道だったか聞かれても答えに窮する平凡な山道を下っていると、<こんなものがあったぞ>と答える事が出来そうなものが見つかった。




『兄貴!あーんな所に、胸ワクワクの愛がぎっしりで人生の虚しさを誤魔化せそうなつり橋が!!今こそアドベンチャーっす!!』


そのつり橋は『井川大橋』というのだが、まるでネパールのエベレスト街道に架かってるつり橋みたいな頼りなさで、完全に名前負けしているように見える。


『おおおっ!なんと!!何だか、世界でいっとー手ごわいチャンスが待ってそうな予感っ!よし、そいつを見つけに行こうぜ!BOYッッ!!』




私たちは特に景色が素晴らしいわけでもないつり橋の上で、<サイレントヒル>の風に吹かれていた。


それにしても川が干上がってるんだけど、どうしたんだこりゃ?

もしかして、ダムの取水とか、リニア新幹線の工事で南アルプスの水脈を立ち切っちゃったり、工事で生じた残土を谷に放り込んで埋めちゃったりしてるからじゃねえのか・・?


『特に意味はないですけど、つり橋を往復してみますか・・。』

『おう、せっかくだからそうするか・・無から始まってまた無に帰る。人生なんてこの世を去るまでの暇つぶしに過ぎないのに、人はこんなふうに<せっかくだから何かをしたがる>よなぁ。これがエスカレートすると、こんなふうに川が枯れちゃったりするのかねぇ・・。』


私はつり橋を往復するくらいなら別にいいか。と思って苦笑し、2人で意味もなくつり橋を往復して立ち去った。



私たちは接阻峡温泉にある資料館にやって来ていた。

昔の日本人は、自然と共存して生きていたんだなぁ。と思いながら資料を眺めていると、人の良さそうなおっさんが現れて、昔の日本人の生活の知恵を生きいきと解説してくれた。


何で大井川が枯れているのかを尋ねると、やはりダムの取水が原因だそうである。そして川の流れを断ち切ってしまうので、これがさらなる環境破壊を引き起こす。



この資料館では、ダムの底に沈んでしまったかつての集落の様子も展示しているようだ。経済発展のためと、住んでいた場所がダムの底に沈んでしまい、移り住んだ場所に一時的にお金が落ちて潤っても、後には環境破壊だけが残る・・。


『水力発電のためにダムなど、とんでもない環境破壊ですが、原発よりかはマシとしか言えませんね。それにしても、原発を再稼働とか頭がおかしい。


私がリュックにぶら下げた「脱原発!」と書かれたプラカードを揺らしながら言うと、おっさんは苦々しい顔をした。


『はい・・福島の原発事故も収束出来て居ないのに、再稼働なんて愚かですね。』


ただでさえ原発など危ないのに、地震国である日本のなかでも、さらに危険な日本最大の断層である、中央構造線やプレート境界の真上に建設するなど、気が狂っている。としか言いようがない。つーか、ワザとだろう?


4月14日に熊本で大地震が発生してしまい、今でも大きな余震が続いている状況なのだ。こんな恐ろしい思いをされている現地の方々の事を考えると、3.11の大地震で震え上がった自分を思いださざるを得ない。


しかもこれが中央構造線で起こっており、さらに余震の震源地がこの断層に沿って移動しているため、この真上に建っている、現在稼働中の川内原発や、停止していても危ない伊方原発が不安になるのは、私だけなのだろうか?また原発が爆発したら日本終了ですけど。


政府はこれを大震災だと思いたくないし、原発を止める気が全くないようだし、周りからはこれを危惧する声がちっとも聞こえてこないのだが・・みんな頭がおかしいんじゃね?



私たちは接阻峡温泉の駅からリンコーである。本来はこの先の『井川』まで鉄路は繋がっているのだが、一年半前に起こった土砂崩れで不通になったまんまなのだ。


大井川鉄道井川線のミニ列車が発車し、私たちは大して走ってもいないのに、長距離を走りきったかのような疲労と満足感に浸りながら、列車の揺れに身を任せている。


『兄貴。今回の旅も楽しかったですね。何といっても、この寂れて哀愁を漂わすような、終わったコンテンツ感が良かったですねー・・秋田のなまはげも少子高齢化でオワコン化が激しいようだし、なんとか盛り上げようとしてるけど、やっぱダメみたいなヤツを逆に楽し・・いや、応援したいんですよ。』


若者よ・・お前は変わった奴だな。どうりで私と気が合うわけである。

私は微笑し、静岡の秘境を行く列車の車窓を横目で眺めながら言う。



『この国自体がオワコン・・いや、人間自体がオワコンだ。どうやら俺たちに未来など無さそうだぞ?』


若者は、スイスやベルギーみたいに安楽死とかで<合法的に将来の不安や苦しみを取り除く制度>を作ってくれればいいという。私もこの案には賛成だが、今度はこの制度が出来た事による、酷い理不尽がまかり通る事になるだろう。


実は私が今いる<この世>こそが<あの世>であり、地獄なんじゃなかろうか。一部の方々が言うように、今ある障害は乗り越えるべき試練なのかねぇ・・。


人間自体がオワコンであるという現実を直視しすぎるのもツライことだが、現実逃避ばかりに夢中になるのも、私にとっては苦痛である。私はこの両方をバランスよく行う事で心が安定するようになっているらしい。


『フッ・・俺はどうせなら原発をなくし、戦争のような愚かな行為を防いでから、安楽死で楽になりたいね。』



列車が『長島ダム』駅に停車し、これから<日本一の急こう配>を下るための特別な仕様を施された機関車を連結する。


巨大なコンクリートの塊のような長島ダムを横に見ながら、ゆっくりと列車が坂を下って行き、緩やかなカーブに差し掛かったところで山鳥のさえずりのような澄んだ汽笛が山々にこだまする。


これはスイス国鉄から譲り受けた警笛の音なのだというアナウンスがかかり、それに応えるように機関車がもう一声、得意げに鳴いた。



千頭(せんず)という駅で、大井川鉄道の本線に乗り換えである。

私たちは、かつて南海電気鉄道で走っていた車両に乗り込んだ。


大井川鉄道は苦しい経営を乗り越えるために、他の鉄道会社で活躍していた車両を走らせたりして客さんを呼びこんでいるので、私のような鉄道好きなヤツは思わずニヤリとしてしまうこと間違いなしである。


私は、新しいモノや技術の全てが優れているとは思って居なかった。

動かすために原発が必要だとされるリニア新幹線など必要か?


どうも明治維新あたりから、日本の自然や文化にあわない技術を無理やり押し込まれた気がするし、現在もグローバル化とかいう波を演出されて、相手の都合が良いように変化させられようとしているような気がしてならないのだ。昔ながらの方法の方が良い場合もあるのではないだろうか。


私はかつて日本人が持っていた、自然と共存する技術を発展させたらどうなるのかなぁ。・・と思ったりする。


新しいモノを得るために従来のモノを捨てても、やっぱりそれは間違っていたと気づいて、今度は失ったモノを取り戻すのは、大変な事だからね。

私たちがこの地球で生きていくためには、過去を振り返って、それをもとに未来のことも考えなくてはいけない。


過去が見えないという事は、未来も見えないということ。


目先のお金稼ぎや便利さだけを追い求める日本人には、もう過去も未来も何も見えていないようだ。


私たち日本人は自然を大切にし、その中でどう他の生き物と折り合って共存するかと思う心を、どこかに落としてきてしまったんだろうか


だからさ・・心をゆらして、過去に帰って探してみるんだ。

そして、これからもこの地球で生きるために未来ものぞいて。



列車は行き違いのために長らく停車しているようで、ホームに降りた乗客たちが見ている方向をみると、遠くにモクモクと煙が上がっている。

どうやら大先輩のお出ましのようだ。


あれも今の技術で進歩させたら、結構いいものが出来そうな気もするんだが。それにしても鉄道って日本の景色によく合うよなぁ。


『やっと気づいてくれたのかい?』


とでも言いたげに白い蒸気を噴き出しながら、SL急行『かわね路号』が颯爽と通り過ぎて行く。私と若者は、まるで時を越える方舟のような、その雄姿を羨ましそうに見送っていた。



<おしまい>



今回のエンディングテーマ『心をゆらして』
https://www.youtube.com/watch?v=5zg5gAL47KI

サイレントヒル!の巻<世界はグーチョキパーの章>



3月20日


大河で群泳する魚のように自動車がうごめく国道一号線。餌を求めて入江にやってきた大型魚のようにバスたちが集う、バスターミナル。


松坂屋だの伊勢丹だのパルコだの109だのといったショッピングセンターや、雑多な消費者ローンとかの看板・・眩いばかりの大都会っぽい活気に満ち溢れまくる、静岡駅前の風景であった。


うむ!『静かなる岡』の要素、全くなしッッ!!


『アハハハー・・なんか<サイレントヒル>の天気はヤバそうっすねー・・まるで俺たちの行く末を暗示するみたいでー・・ハッハッハッハ。』


若者が今にも雨が降り出しそうな、やる気の失せる空を見上げて笑った。

自転車でこれから山に向けて出撃なんて、何か悪い冗談だと思いたい。


・・それにしても<サイレントヒル>だとぉ!?

ふーん・・そうか『静岡』を英語に直訳すると、こんなカッコイイ感じになるのか。そもそも私は日本の地名はもちろん、日本語自体がカッコイイと思っているので英語表記にしてもそりゃ、カッコイイに決まってると思ってしまうのだ。


日本語の凄いところは、縦でも横でも読み書きをすることができ、さらに平仮名・片仮名・漢字という三種類もある文字で、表現や趣も変える事が出来てしまう点である。


例えば『女』と書くと大人のイメージ。『おんな』と書くと子どものイメージが。そして『オンナ』と書くと途端にエロくなる、この表現力の豊かさ。


それだけじゃない。丁寧語・尊敬語・謙譲語・・など相手を気遣い、さらに自分を貶めてまで相手を持ち上げる言葉まで存在する。


私だって日本人なのに、一生かかっても学びきれそうにないこの深遠さ。(あ、単に俺がバカなのか?)


自分が外国語がちっとも出来ねえという理由もあるが、私はこんな日本語が大好きなのだ。


しかし気になるのが、前からこの国の政府はグローバル化だのと、やたらと日本人を英語漬けにしたがっているようだし、英語が出来る人を有難がるように仕向けているような気するのだ。

『日本語』は日本文化そのものであり、私たち日本人という個性を守るためのバリアーでもあるのだが、積極的に外国の言語など受け入れさせてどうするのだろう?


人間にはそれぞれ個性があり、得意・不得意があるものだ。 

これを尊重できることが豊かさだと思うし、外国語が得意な人はそれを生かして勝手に活躍すればいいだけだ。


政府が「公用語を英語とする特区」を作ろうと目論んだり、学校で英語のみを使う授業を推奨したり、TPP合意文書の日本語訳を出せ!迫られると「英語が世界共通語だから英語解釈を優先する」などといい、賄賂をもらって雲隠れしている某政治屋の発言・・。


こりゃあ、もしかしてグローバル化とは結局、日本独自の個性というバリアーを破壊し、日本人自体を弱体化させ、よその文化を受け入れさせて、外国の都合を無理強いさせるためじゃないのか?


自分の個性を否定され、他人の都合を強いられる・・これがどれだけキツイか想像できるだろうか?



もし、ピンク色のコスチュームでピンク色の変なロードレーサーに乗ることを強制されたら、君は何秒耐えられるかな?


無理だろう?3秒で死にたくなるだろう?

こんな変態じみたマネをしたい奴などいるわけがないだろう?


・・だが、私には出来る!!これは私にしかできない私のマネなのさ♪


物事の考え方はみんな違う。だからこそ、自分の考え方を押し付けるのではなく、それぞれ考え方の異なる人たちと、どう折り合って共存するかを学ぶ事が大切なのではないだろうか。


・・かといって、愚かであることや堕落する自分を『個性』として良しとするのは違うし、ルールやマナーを守ることを押し付けるのも違うだろう。


ああ、TPPといえば、情報を開示しろと迫ったら、よっぽど国民に知られるとマズい内容なのか、真っ黒に塗りつぶされた書類が提出されちゃうなんて事にならなきゃいいのだが♪


そう、まるで俺たち日本人の行く末を暗示するみたいに真っ黒に・・な? 



私たちは、安倍川沿いにある面白そうな情報センターの前を通りかかった。


『おおっ!兄貴!こんなのありますけど、どう心得ますかッ!?』


若者は、暗雲立ち込める空の下に『安倍ごころ』と書かれた、不吉な幟がひるがえっているのを見つけて嬉しそうだ。



『うーむ!あのお方は、日本の国土を破壊する原発を再稼働!日本を外国に売り渡すTPP推進!偉大なるアメリカ様の言いなりになって憲法をブッ壊し、俺たちの自由や命を奪おうと目論んで下さる!!こんだけの無茶ぶりでも、無関心で自転車とかどうでもいいことばっか夢中になる愚かな日本人を滅亡させ、移民と入れ替えて美しい国を作ろうとおっしゃる!この優しく寛大なお心!!なんとありがたい!!』


余暇を楽しめる平和な日々は、そう長くは続かないという事を知りながら、私はこうして仲間と『自転車趣味』という、最も下らなくて愚かな行為を楽しめる事に幸せを感じていた。



いや、別に『楽しくなくてもいい』のかもしれない。


そもそも『楽しい』という概念自体が、他人の目を気にしているように思えるし、楽しさを感じるためには『楽しいと思うこと』を追い求めて居なくてはならなくなる。それって何だか不自由だし、楽しくなくなるし、めんどくさくね?


マンボウが海原を漂うように、ただのんびり田舎道を自転車で走っているだけでも、私の心は満たされる。『楽しさ』の必要性はない。


ああ、本当にこんな自由なバカでごめんなさい!!





私たちは『井川ダム』のすぐ近くにある無料の展示館で社会科見学していた。


ダムがいかに大切で素晴らしいものなのか、模型や映像を見て学習し、観光地にありがちな<顔を出す奴>で記念撮影をしながら、私は思っていた。


本当に素晴らしいものなら、こうしてアピールする必要があるのだろうか?


何か後ろめたい事があり、本当は不要なモノを押し付けているから、わざわざ必要性をアピールし、真意を誤魔化さざるを得ないのではないのだろうか・・。



南アルプスの麓にある井川の集落で買い出しをしていると、小さな商店のおばはんに話しかけられた。


『アベ政治を許さない!っていうことは、民進党とかの支持者なのかしら?』


どうやら、私のリュックにべたっと貼ってある、2015年の流行語に興味を持ってくれたようだ。


『いや、俺はどこの政党の支持者でもありませんよ。ただ、一人の市民として、俺たち日本人を苦しめる権力者が許せないだけですよ。』


私は苦笑した。人間って奴は本当に<人をなんらかの型>にはめたがる。

人間なんてみんな個性の塊みたいなものなのに、それを理解するのが面倒だから、レッテル張りや分類することで分かったつもりになりたいのだろう。

「人は見た目で9割」なんていう言葉を聞くと特にね。


私は平和な社会を保つために最も有効な手段である『民主主義』や『立憲主義』の支持者であり、これを破壊して人々から自由や権利を奪い、好きなように殺したり捕えたりできる社会にしようと目論む、悪ぅぅい奴らが許せないだけなんだけど・・もう無理に他人に分かって欲しいとは思わない。


酒とおつまみをゲットした私たちは、大井川のさらなる奥地へと進んでいった。




今日は山小屋ふうの・・というか、相当奥まった辺境の地にあるため、まるっきり山小屋なんじゃねえのか。という気がする宿に宿泊である。


私たちがあてがわれた客室では、若者が深刻そうな表情で缶ビールを口に運んでいた。


『兄貴、ヤバいっすね・・この山荘、携帯の電波もねえし、ここに通じる道路は一本だけだし・・何だか事件が起こりそうなフラグが立ちまくりじゃないっすか・・。』


私が無言で缶チューハイのプルトップを引くと、部屋に充満した重々しい空気を払拭するかのような、プシュッという気の抜けた音が響く。


『まあ・・メガネかけて蝶ネクタイをしめた変なガキとか、名探偵の孫とかいう変な高校生的なヤツが現れたら、ソッコーで逃げれば大丈夫だろう。』


私が震える手で柿ピーをつかんで口に放り込み、やみくもにボリボリと噛み砕いていると、若者は臓腑の底から吐き出すような深いタメ息をつき、ゆっくりと首を横に振った。



『いいや、兄貴。犯人は恐ろしく用意周到で頭の切れる奴ですよ。俺たちが逃げられないように、先手を打って俺たちの自転車とか燃やしちゃうかもしれないっすよ・・。』


『ううっ・・それじゃあ、お前・・どうすりゃいいってんだよッッ・・!!』


私はテーブルを乱暴に叩いて席を立ち、すっかりハゲあがったツルピカヘッドを抱えてベッドでゴロゴロし始め、若者はテレビのリモコンを操作し、エロアニメのチャンネルを回し始め、『チクショー!映んねえじゃねえか!!』と震える声で喚き散らした。


こうして・・<サイレントヒル>の深い夜の帳が下りる中・・私たちは、変なガキと、変な高校生の影に怯え続けるのであった。


<つづく>



今回のエンディングテーマ!!

『世界はグーチョキパー』

https://www.youtube.com/watch?v=J2vGQl0XSC4

若者と雪の変態王!の巻





2月28日


神奈川県の山中にある無人駅『谷峨駅』は、さっきまで登山の装備で身を固めたおっさんやおばはんの喧騒に占拠されていたが、いつの間にか大野山へでも移動を開始したらしく、今はノラ猫も寄りつかない寂れた公園のような佇まいを取り戻していた。


そして、ここに取り残されたのは2匹の変態。


俺たちは群れるのがどうも苦手でね・・。だって、これから自転車で坂道を登るという、一部の頭イカれた人たちしか楽しみを見出せないような、愚かしい行為を実行せしめるわけで、こんなこと集団でやらかしたらヤバイ宗教みたいでイヤじゃないか。


出来れば、誰にも目撃されないようにコッソリとやりたい。



よっしゃ!今日は思う存分、下らねえ行為に夢中になってやるぜ!という、ギラギラした闘志をみなぎらせながら、私は若者に尋ねた。


『おう、今日はどんな感じのコースなんじゃい?』


『さあー・・俺にもよく分かんいっすー・・。』


朝の眩しい陽光を邪魔そうに追い払うような、めんどくささ溢れる手つきで地図をペラペラめくる若者の姿に、何だか底知れぬ期待で胸がアツくなってきた。


こうして、誰もよく分かんない林道を目指し、私の愛機の可変ミニベロ<みにべろりん姫>と、若者の青いクロスバイクが出撃する。


(・・姫ッ!今回はどうやら、よく分かんないけど、相当変態なコースのようですぞ?私の操縦についてこれますかな・・クックックッ。)


私は愛機に向かって不敵に笑った。




1時間後・・


私は力なく地べたにしゃがみ込んで、焦点の定まらぬ眼でおにぎりを食らっていた。言うまでもないが、私はすでにくたばりかけており、大変やる気の無いオーラを何の臆面もなく出しまくって、もう帰ろうぜと無言で訴えかけている。


どうやら若者は食料を買い込んでくるのを忘れたようで、私がダルそうに食っているおにぎりに渇望のまなざしを向けてきた。


『兄貴・・そろそろ<フードスタンプ>を支給する時間じゃないっすか?』


ちなみに<フードスタンプ>とは、正式には「補助的栄養支援プログラム」というもので、お腹を空かせてひもじい思いをしている貧困者たちを救うために作られた、アメリカの食料補助政策の事である。


『フーム・・俺もなんか腰が痛くなってきたし、<メディケイド>が必要な気分だぜ・・。』


<メディケイド>とは、日本のような国民皆保険制度がないアメリカにおいて、医者にかかる事が出来ない貧困者のために、質の低い医療を提供する制度の事であるが・・日本人の富をアメリカ様に売り渡すための協定であるTPPで日本の医療制度が破壊されたら、どんな地獄が待ってる事やら♪



私はリュックを漁ってチョコバーを取り出し、飢えた若者に栄養支援を実施した。


『ふふっ・・アメリカの貧困者は、こんなチョコとかジャンクフードとか、安くてカロリー高いだけの偏ったものを食べなきゃ生きていけない状況に追い込まれて、未曾有の肥満になる人が増えちゃってるんですよね。


そういえばアメリカって、貧富の差も凄いけど、アホなヤツと頭いいヤツの差も激しいっすよね。アホなヤツのブッ飛びっぷりといったら、もう次元が違いますわ。もしかして、全体の能力的にバラツキが少ない日本人の方が優れてるんじゃないんですかねぇ?』


『そうだなぁ、日本人はまず自分で物事を考えず、周りを見て同じように動いているだけのヤツが多く、全体のためになら個を犠牲にしろという要求を押し付け、権威には媚びへつらい自分から進んで言いなりになるヤツばかりだし、昔から変わらないこの全体主義的な性質は、奴隷としてはとても優秀だな!


でも、アメリカみたいに個人の自由とか自己責任とか優先すると、自分で身を守るために銃器を持つ事を許可しちゃうし、6歳児用のアサルトライフルとか出てくるし、これじゃ乱射事件なんか起こって当たり前の負の連鎖が起こるだけだし・・何で人間という生き物は、ここまで偏るんだ?』


『そうですねぇ、何でここまで偏るのかよく分からない謎の生物がここに。』


こら、若者よ。そんな人を嘲るような冷たい目で私を見るんじゃない。



自動車も人の姿も見かけない静かな林道を走っていると、神々の山嶺<エヴェレスト>へ行こうとしてたら、こんなところに迷いこんじゃったみたいな、重装備の山男が忽然と姿を現した。


山男と挨拶を交わすと、『この先は雪積もってるから気を付けな。』と言っていた。


『おい聞いたか?雪だってよ、ヤバくね?ケッケッケッ。』


『ヤバいですねぇ・・どうしましょうねぇ?ヒッヒッヒッヒ。』


2匹の変態は顔を見合わせ、絶望と希望の入り混じった顔でニヤッと笑う。







私は降り積もった真っ白な雪の上を自転車でシュプールを描いて滑走しながら思う。


なんてアホなんだ!!


自転車という下らない趣味に夢中になること自体がとんでもなく愚かなのに、雪の上をスキーみたいに滑走とか、もう6歳児にアサルトライフルで撃ち抜かれた方が良い。


『ブヒッブヒッ!おひょひょひょー!!』


それにしても、山奥で変な声を上げるこの爽快感は何なのだろう?



この雪山の中で誰にも見られていないのをイイ事に、容赦なく変態のギアを段飛ばしで上げ、思わず『アナルと雪の女王』とかいうアニメのテーマ曲を口ずさんでしまう。


真っ白な世界に独りの俺!ありのままの姿見せつけてやるのよ~♪

ありのままの俺になるの~♪何にも恐くねえ~だって自由よ何でもできる!どこまで変態になれるか自分を試してえ♪これでいいの変態を信じて~♪

少しも寒くねえぞこの野郎~♪


こんなに頭が腐った自分を美しく正当化してしまう、人間という生き物は本当に恐ろしいものだ。




林道は大小の石ころがゴロゴロと転がる荒れたダート道に変貌した。


愛機<みにべろりん姫>が石ころに取られてバウンドし、サドルが私のたわわに実った果実のような金の玉を、親の仇のように打ちつける。


(ひ、姫~!わたくしめの玉がぁー!!少々おてんばが過ぎますぞぉー♪)


<あらあら・・あなた、去年の北海道の旅でわたくしの大切なペダルを思いっきりへし折っておきながら、玉がどうのなんて泣きごとなど許しません事よ?さらにさらに!あれからずうっと、わたくしを放置プレイした無礼は許しません!お仕置きはまだまだこれからですわよ。覚悟なさい!おーっほっほっほ!>


私の愛機はノリノリで、高笑いしながらダート道を駈け下って行った。




この世のものとは思えない自分の雄たけびが山中に響き渡り、私はハッとなった。少々ハメを外しすぎたようだ。


もしこの姿が何者かに録画され、動画サイトを通じて全世界に流布られるという事態になれば、堅実に生きてきた私の人生は、雪崩を打ったかのように盛大に崩壊する事だろう。


ドライブレコーダーを装備した誰かとすれ違う可能性も考え、この辺で襟元を正さねばならない・・。


すると先行していた若者が、私に向かってデジカメを構えているではないか。


『まさかお前・・ソレは動画も撮れるヤツでは・・。』


若者は口元を歪めて残忍な笑みを浮かべた。



私たちは山から下ると温泉に入り、藤野駅からリンコーで帰る。


『よし、頭悪く楽しかった時間も終わりだ。明日からお仕事という名の、お金を稼ぐために地球環境を犠牲にし、権力者に人生を差し出す奴隷作業に励もう!!』


『え?何言ってるんっすか。俺は明日は有給で休みですよ。』


若者はしれっとした顔でスマホの画面をなぞっている。


『なっ!お・・お前、逃げるのか!俺も自由が欲しいッ!!』


私はハイキング客で満員の車内で、先ほどまで山の中で上げていた変態な雄たけびをもう一回、思いっきりあげてやりたい衝動に駆られるのであった。




その翌週・・。



俺:『お前ェ・・俺を・・こんなクソつまらねえ映画に付き合わせるとは、いい度胸しとるのォ~・・』


若者:『兄貴!すんません!クソだとは思ってたんですが、実際どんだけクソなのか気になって気になって!!・・でも、まさかこれほどクソだとは思いませんでしたッ!!』


俺:『タダじゃ許さん!<デビルマン>や<北京原人>と言った、日本を代表する悪夢のようなクソ映画をぶっ続けで見て詫びろ!!』