2歳3か月の娘

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明日で2歳4か月に突入します。

すっかり顔立ちもお姉さんっぽくなってきて、私にも少し似ているなぁ
と感じさせられる表情もみせたりします。

この写真は、昨日のシーサイドマリーナのレストランでのショット。

おませさん♪でしょ?
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横浜シーサイドマリーナ

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昨日日曜日は、どこにいこっかね~と悩んだあげく、横浜シーサイドマリーナにいくことにした。

日帰り温泉。
というアイディアもあったんだけど、なんだか面倒な気分にもなったので、モールにいけばなにかと面白いだろう。
ということで。
グランベリーモール。
というアイディアで東名にのったんだけど、いつもここにいってるし、たまには違うところもいいよね。
ということで、急遽用賀でおりて第三京浜を経由して目的地変更。

駐車場にはいるまでの時間の長いこと。
到着した時間も時間で、お昼ちょっとすぎくらいだったもんだから
誰しもが到着するような時間に到着したんだわね。

今は特段買い物意欲もない私なので、ゴルフ衣料品なんかを調達。

海とそこにうかぶたくさんの船たちにとても興味をもったらしい。>娘

こういう施設には必ず遊具があるんだけど、ここの滑り台はかなり気に入ったようでたくさんのお友達に混じって滑り台を楽しんでいました。
頂上まで上ってお友達に追い越されること数回。何度か気後れしつつもたくさんのお姉さん、お兄さんに、
「いいよ。先にいって」
と譲ってもらったりして喜んでいました。
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賞味期限ぎれ

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帰宅してすぐに、娘と自宅向かいの酒屋にいった。

目的は私の晩酌の調達なんだけど、
もちろん娘が欲しがるジュースやら、メロンパンやらを同時に購入。
いつも娘をつれだってそこにいくときには、

「今日はママ、ビールにしよっかなぁ~ワインにしよっかなぁ~」
なんていいながら、娘に
「ママ、今日はワインにしなよ」
などと生意気なコメントをもらいつつ買い物。

そんな中で、娘がチーズを買う。という。

チーズを選んで、そんでもってその脇に納豆があった。

「お、こりゃ便利。明日の朝のおかずになるわ。」

と思ってなんの気なしに、レジにもっていった。

ほぼ毎日顔をだす店なんで、うちの娘の名前もうちの部屋番号をも知っている酒屋さんだ。

「チーン。」

とレジうちが終わったと同時に、おかみさんが、こういう。

「この納豆。さしあげるわー。」

え?なんで納豆をくださるの???

と思っていると、すかさず

「これね、賞味期限すぎてたのよ。27日が賞味期限だったわ。でも納豆だから大丈夫。食べられるわよ」

「え?あれ?今日って何日でしたっけ?」

「今日?28日よ。明日の朝でも平気よ。」
と妙に強気のプレゼントに、私ときたら

「いいんですか~?」

「いいわよ。どうせ捨てちゃうんだから」

なんだかとっても得した気分と、おいおい、そんなんでいいんかなぁ?という思いとで不思議な気持ちなのだった。

そして、娘の手をひいてお店をでて数歩遠ざかってお店を振り返ると、もうひとつ残っていた納豆をひきあげ、パックをあけているおかみさんがいた。
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人身事故

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さきほど大阪から戻りました。

梅田から1時間ちょっとの場所へ移動する必要があり、それはそれは電車を乗り継いでの小旅行。
訪問した先では、とにかく今年、がんばりましょう。
ということを伝えたいだけの訪問だった。

先方に、それは伝わったのかどうか。
でも、やはり決断のスピードというものは、本当にビジネスにおいて重要なことだと改めて感じる。

リスクはどんなときにもつきまとう。
普通に生活していても、突然の災害に見舞われることもある(という極端な考えもある)
何か特殊なこと、新たなチャレンジをしようと思えば思うほど、想定される以上のリスクはあるものだ。

それをどこまで自分の中で想定して仮説をたてておくか。
それが「何か」がおきたときに納得いく行動にうつせるか。
ということにつながると思う。

帰途、新幹線が急に徐行したりしはじめた。
小田原を通過した時点で知らされた事実は、静岡駅で人身事故がおきたために徐行運転を断続的におこなっているということだった。
今改めてニュースをみると、事故自体は4時46分に事故以来運転再開するということになっていたらしい。
なぜJRはその事実をすぐさま乗客に伝えないのか?
不思議に思いながら、ユーザの立場である私の考えと、JRの立場にたった自分のあるべき考えを交差させていた。

そんな中で、昨日は六本木ヒルズの回転ドアの云々の報道が久しぶりにあった。
回転ドアの前に横たわる男の子と、そのお母さんのあの惨状を目の当たりにしていた私を思い出した。

時間が何事もかきけせるかというと、まったくそんなことはない。
当事者であるご両親はもちろんのこと、あの現場の記憶は私は一生忘れられないものだ。
うちのメールサーバの不調で、メールがみれないならお茶でも飲もうか。と思って、LL階のスタバにいった私は、この事件に吸い寄せられた。
もしも神様がいるのであれば、何かを私に知らしめるためにあの場所に呼び寄せられたのだろう。としか思えない。

近いところに立ち尽くしていた人々から発せられた「言葉」。
今でも、亡くなった男の子のお母さんが血まみれになった腕時計をぬぐう、そしてとめどなく泣きじゃくっていた、その光景が目にやきついて離れない。

これをいうと、

「黒坂さん、お子さんもったから他人事と思えなくて、そう思うようになったんでしょう?」

と、コメントする人が何人もある。

私は単に子供であろうが、老人であろうが、なんらかのアクシデントが起きた際にそれにむかってただの傍観者として立ちすくし、この先どうなっていくんだろう?というだけでいることができないだけであり、どんなときでも、何かがおきたときでも、自分に直接関係ないものであればあるほど、「当事者意識」が強くなる自分がいることを再確認するのみだ。

大阪にて懇親

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昨日から今日にかけて大阪。

桂文珍さんはすごいなぁと、またも感動し、その足でうちでお世話になっているアーティストと懇親。
うちのサービスにはかかせないアーティストの方々の存在。それは今や100名を超える。

サービスの特性上FlashやDirectorといったソフトを駆使してコンテンツ制作をする人が圧倒的に多い中、写真家、音楽制作などという、また違ったクリエイティブを発揮されている方も含まれるが、その数は本当に少ない。
コンテンツを提供してもらうだけでも意味がないので、東京から離れると、かならず飛んだ先の近隣に在住するアーティストの方々との懇親を重ねているこのごろ。

昨日いろいろな話をきかせていただいた中でも、改めて感じさせられたことがいくつかあった。

誰にでも公平に、そして誰しもが幸せになることを追求することは「すばらしいこと」とはいいきれない。そしてそうすることが誰しもが必ず幸せになるというわけじゃない。ということ。

沢山耳にはいってくる多種多様な意見は、ちゃんとふるいにかけて、見極めることが大事であり、全ての意見を全て実行反映させることは大事なことではない。ということ。

などなど。

一番理解できたのは、私がおつきあいしているかたがたはアーティストもあればもちろんサラリーマンもいる。幅広いおつきあいをしているその方々は、社会人であり、一般的な常識に基づいて社会貢献するべき人たちであるからこそ、こういう職種にはこういう対応。などと、きりわけて考えることもないな。ということだ。

私自身、もっともっと肩の力をぬいて、もうすこしゆるゆるになって大事だと思うことに重点を絞って活動さえできればいいんだ。ということだ。

がんばりすぎない自分。

それを改めて自分に言い聞かせた。
外にでて、いろんな方といろいろ語りあうことは本当に大事だなぁと思います。会社と家の往復だけでは、焦点も狭まるばかり。これからさらに外交をすすめよう。と思いました。

さ、今日は大阪。

神原がかいていたけど、私も思います。梅田って東京でいうとどこよ?

でも、こういう考えをするのも危険だなぁと今朝から思うようになりました。
(追記;神原を否定しているわけじゃないからね~。)
何か同じようなパターンや同じような事象にあてはめて解決策、結論を導き出す。というやりかたは多数のマネジメント層がやる手法だと思うけど、こういう思考をベースに新しいものを思いつかねば、過去の経験と同じパターン、もしくは似たような結論を創出するにとどまるだけなので、新しいものを常に創造し続けられる思考パターンを身につけるには、いったんあてはめてはみるけれども、それをさらにオリジナルに変形させてイメージすることだな。とおもったりします。

新年会@楼外楼

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毎年恒例で開かれている新年会、が昨日ありました。

今回で4回目ということでしたが、私はこれに参加させていただくのは2回目。
日広の加藤さんが仕切られる新年会で、参加人数15名。2時間の限られた時間で個別に自己紹介をしていくとあっという間におひらき。
という時間です。

昨年と違うのは、宴会会場を幼いころから利用されてきた。というGMOの熊谷さんが参加されたこと。そして、C-netの社長になったばかりの大日さんが参加されたこと。
そして昨年はD社色がつよかったという反省点からH社から勝野さんが参加されたこと。あ、あとはオーバーチュア上野さんの参加もか。

昨年から参加されたインデックスの小川さんも今年も参加。

同業としての情報の上澄みをさらった2時間でした。
みなさん、体はってるなぁ。と感じました。

--熊谷さんの車には驚いたなぁ~。

年始から目標未達

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うぇーん。

年始1月から目標未達です。

とほほのほ~です。

事業のことではありません。私個人の目標です。これじゃあ目標でもなんでもありません。

それは

「今年は月に2回はゴルフにゆく」

という目標。
もう月末。
今月は当然のことながら、ゴルフなんていけていません。とほほのほー。です。

2月5日が今年はじめてのゴルフ予定なり。

--ぜんぜんだめじゃん。

ひとりでやる

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ここのところの娘の成長は目をみはるほどだ。

発達診断会というのが頻繁に行われるようになるんだけど、その理由が本当によくわかる。

今、娘はひとりで洋服をぬぐし、ひとりで洋服を着る。
もちろん、くつしたも上手に履く。
いつからできるようになったのか?信じられないスピードでいろんなことをクリアしている。

どちらかというときっちりしていないと気がすまないタイプなので、
靴下もちゃーんとかかとまではいらないとならないが、できなくてかんしゃくをおこすとこもなく、するりと靴下を装着するのだ。

洋服をきるときもいくつか自分でピックアップしてきて、それをアレンジして(悩んでみたりする)納得してそれを着るのだ。
脱いだくつをきちんと並べること。
これもちゃんと実行している。

本当に大人の私、顔まけの、やってしかるべきことをやってくれている

単純に「ひとりでやりたいの!」
というterrible twoの一種とは違い、自立しはじめている感じもするのだ。

人を信じること

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私はこれまでの人生、人に裏切られることが怖くて、常に斜に構えた人生を送ってきた。
素直に人をまっすぐになんて見たことがない。
斜めから、後ろから、いろんな方向から自分以外の人を見、そして自分でとことん納得してから人と接するようなことばかりだった。

なんでそんなことになったか?というと、冒頭にも書いたように、「裏切られるのが怖い」という思いからだけだった。

それがふっきれたのが、コンテンツを創出しているクリエイタの人たちとの出会いからだった。
創出されるコンテンツたちは、裏切ることはなかった。
もちろん、興味深いコンテンツを創出する人。というのはとても魅力的な人ばかりだったからだ。

それからの私。は、コンテンツに限らず、いいアウトプットをする人をそのまま信じるようになった。そのまま信じることができるようになった。
というのが正しいかな。

そうして、気がつくと、私は社長という立場になっていた。
自分の仲間として受け入れる人は、全て信じるもの。
そして信じるべきもの。と確信していた。
私は信じているよ。
それを個々に対しできる限りわかりやすい手法でできる限り個別に表現する。
でも、でも、それにいくら時間をかけても、実はわかってもらえておらず。
そして、私が必死になって、自分があなたを信じているんだよ。
と口にだそうが、相手には信じられない行動をもたらすことになるようだ。

人を信じること。
それで全てがはじまると思っている。
私は、自分の仲間になってくれた人を信じて、これまできている。
その思いは、必ずや、相手が私を信じている。ということにイコールなのではない。ということを感じる。

この衝撃的な顎はずれ事件は、私が社長になってから数回おきている。

ものすごくパワーを使うこの「信じる」という行為。
100万、500万の案件をまとめたり、こじれにこじれた案件を解消することなんて、痛くも痒くもない。さくっといけてしまう。
でも、人一人一人に対し信じてもらう。ということは、とんでもなく大変なパワーを使い、信じてもらえなかったときに、信じていない人が起こす行動というものは、これまでに私が使ったパワーの100倍以上を使って元に戻そうとももう戻れない。ということになっているものだ。

まわりくどいことを書きました。

私は意外とというか、まさしくアホなんだなぁと。
飼い犬にかまれる。とはこのことをいうんだなぁ。と思う今日なのです。

人を信じることにはとてもパワーを使う。
人を信じずに大きなものをまわすことなぞ、できやしない。
でも信じていたはずなのに、思いっきり信じられていなかった。
それを知ったときに感じる人への不信感。

私の心はどんどんとすさんでゆく。
そしてさらに裏を裏をと読む日々が深まり、必要以上の心労がかさみ、本来使うべきパワーをもっていかれてしまう。

もう、これ以上心が荒れるのはいやだな。
もっともっとピュアでいたい。
もっともっと素直に感情表現し、ウレシイ、楽しい、素敵だ。の日々にありたい。

娘からの指摘

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19日から20日夜遅くまで、娘には会わない時間があった。

今朝おきて、娘と会話をはじめたところ、この48時間くらいの間に
さらに成長をしたことを感じる。

会社にでる前に、旦那と会話していたときのことだ。
あんまりにもイライラしてきたので、娘の顔をみながら、旦那の話をきいていた私。
そんな私にむかって、娘はこういった

「ママ、お話をきくときは、お話をしている人の顔をみるでしょう?なのちんは、パパの顔をみてきくよ。ほら、こうやって...」

といって、旦那のほうをむいて、うなずきながら話をきいているしぐさをするのだ。

とてもとても驚かされた。
彼女は、もともとそれが苦手だった。
誰かが話しをしていても、しらんぷりしながら、それでも話は耳から聞いている。という感じだった。
多分ルームか、お教室かなんかで、それを教えられて、ちょうど吸収したばかりなんだろう。

それが、ママである私がやっている。
ということを理解し、それを指摘してきたのだ。

恥ずかしいなぁ。
でもほんと、こうやって自分のできていないことを子供に指摘されつつ一緒に成長するってすごいなぁ。と人の親になることの重みを改めて感じた朝でした。

そして、今朝は、私と一緒に登園することを拒否されて、ショックをうけつつも時間がないので旦那にゆだね出勤。

「ほら、いくわよ。」
と、着替えをすすめればすすめるほどいやがり、登園することがいやなのではなく、私のすすめかたがいやらしい。
「パパといくぅ」
となきながらいってきたので観念。

イライラしているママも嫌いだろうし、
ちょこっといなかった私が、カリカリして接しているんでいやなんだろうな。
なんて感じて反省もした。