明けましておめでとうございます。
この初日の出、僕が見たわけじゃあありません。ただ、我が家から見た元旦の風景によく似ているからアップしました。
なんで、初日の出を見なかったかって?
ネフェルの仲間と近くの広畑八幡宮(徒歩で5分)に初詣に行き、帰宅したのは元旦の午前二時半だったのですから・・・。
実は、最後のNefertitiは、怒涛の三日間でした。
思い残すことがないよう、ド派手に、ぎゅぎゅぎゅっとネフェルの思い出を頭の中に詰め込もうと、呑んで食って演奏しまくりの三日間にしたかったのです。
大勢の、実に大勢のミュジシャンが参加してくれました。
怒涛の三日間、僕の人生の中で最高の時間でした。これより前にもそしてこれから先にももうこんな三日間はないと思います。
ふと、こんなことを思いました。
人が死ぬときは、きっとこんな感じじゃあないかなあ〜、と。
人が愛おしくなってくるのです。ひとりひとりを抱きしめたくなるのです。(実際に抱き締めましたが・・・)
2ヶ月くらい前までは、《惜しまれつつ辞めるのが、男のダンディズム》《後ろ髪引かれる思いで》なんて思っていたのですが、徐々に『その日』が近づいてくるにしたがって、男のダンディズムなんてそんなかっこいいもんじゃあなく、『ああ、もうこれで会えなくなる・・・』寂寥感というか、ぐぐぐっと胸に迫ってくる辛さのようなものが、津波のように押し寄せてくるのです。涙が出てきそうでした。
でも、それを通り越したら、ザザザ〜と引く潮のように平かな気持ちで人が愛おしくなってくるのです。実に不思議な感覚です。
そこに、ぼくは《死》を感じました。
人はみんな死ぬのですね。どんな善人でもどんな悪人でも、みんな死ぬのです。この地球上で150年生きた人は誰もいません。150年後には、新たな人がこの地球に居るのです。そんなことを考えていたら、たまらなく人が愛おしくなってくるんです。
多くの方々に、「マスター、9年間お疲れ様でした。ネフェルでお会いできて本当によかったです」というお言葉をいただきました。中には、「ネフェルは、教会か神社のようでした」なんて嬉しいお言葉もいただきました。
今ぼくはお客さんに頂いたウィスキー《知多》を飲んでいます。
グラスをグルグル回しながら、独り自分なりにぐるぐると9年間を振り返っています。
Nefertitiに集った人を思い出しています。
Nさんは、この5年間毎週三日間通ってくれました。雨の日も嵐の日も自転車で通ってくれたのです。
72歳のHさんは、「ネフェルカレーが今まで食べたカレーの中で一番旨い❗️」と言って、毎週一回は食べに来てくれました。
月2回のプロミュジシャンのライブの日に必ず聴きに来てくれる3組のご夫婦、いつもミュジシャンが持ってきたCD を購入してくれました。
「先生、私の恋の話を聞いてください・・・」と言ってネフェルに入ってくる教え子もいました。
N小の53歳の教え子が大勢ネフェルに集い昔話に花を咲かせました。教え子の親が、そしておばあちゃんまでもが、ネフェルに来てくれました。
「ネフェルのコーヒーは、チョー美味しいです。もう一杯お代わりください」と、その日に3杯お代わりしてくれた人もいました。
松戸セレージャのサンバ仲間もステージで踊り、パゴージ演奏してくれました。
お客さんを守るために、何人か出禁にしたこともありました。(本当は、Come Come Everybody でなくちゃあいけないのでしょうが・・・)
教員仲間も来て、憂うべき教育界の事情を教えてくれました。《ハチャメチャ・センセー、奮闘記》を書こうかなあ・・・❗️
あそうそう、言い忘れていました。
ネフェルフレンドリーライブで、和気藹々とミュジシャン同士がネフェルを基点にして一層フレンドリーの度合いを深めていったこと、とても嬉しく思います。
また、川嶋哲郎さんや類家心平さん、そしてスガダイローさん、山本剛さん等の日本を代表するジャズメンが、
「第二ネフェルを再開したら、演奏しに行くからな・・・」
なんて嬉しいお言葉もいただきました。
彼らは、「Nefertitiのお客さんは、一音も聴き逃すまいと耳をダンボにして真剣に聴いてくれる極上のリスナーですね」
と褒めてくださいました。
佐藤允彦さんは、
「真ちゃん(加藤真一さん)、ネフェルのカレーは超旨いよ😋」
無口な本田珠也さんに焼酎のおかわりをなみなみと注いであげると、
「マスター、気が利くねえ・・・」
と嬉しそう。
プロミュジシャンとも親しくなりました。ぼくの財産です。
《国立時代》の青春をともにした大学の友達が、ネフェルでビートルズの曲を演奏してくれました。
「ああー、人生は楽しい・・・」(ちょっと、酔っ払っています。現在午前1時40分❗️)
これから先も、笑いと涙の人生を歩もう・・・❗️
Goodbye, Friend
See You Again!‼️