「冒険への誘い」

「冒険への誘い」

栗原邦夫のアメブロへようこそ

栗原の活動について

栗原活動履歴






栗の木活動記録栗原



栗原への講演依頼はこちら
栗原邦夫への講演依頼はこちら



Amebaでブログを始めよう!

”あなたが手に入れたい未来”

をデザインするお手伝い

”あなたがデザインした未来”

に向かって行動するお手伝い

 

 

シンプルに言うと、栗原邦夫がお手伝いできるのはこのふたつです

 

例えばですが、あなたはこんなことで困ったことはありませんか?

  • 会社の売上が上がらず、夜も眠れない
  • お店やイベントに2~3人しか集客できない
  • 確定申告のやり方や説明が難しすぎる
  • こんな時代、自分には明るい未来があるのだろうか?
  • プレゼンテーション中に”ながらスマホ”された
  • 自分が成長できる人たちと、ご飯食べながらお話ししたい
  • 楽しいイベントやステキなお店を知らない
  • 自分の毎日がもっと楽しくなるための具体的な方法を知らない
  • 困った時に、周りに頼りになる先輩やオトナがいない
  • やってみたいことはたくさんあるのに一歩目が出ない

 

ではこれが、こんな風に変わったらどうでしょう?

 

  • 会社の売上が思ったように上がって、夜よく眠れる
  • 集客のやり方がわかって、たくさんの人が来てくれた
  • 確定申告って意外に簡単なコトだったんだ
  • 自分の未来がありありと描けてワクワクしている
  • プレゼンテーションでファンになってもらえた
  • おいしいパスタとためになる話ができる知り合いが増えた
  • こんなにたくさん楽しいイベントやステキなお店があったのか
  • 具体的な方法がわかったので、毎日が楽しくて仕方がない
  • 頼りになるオトナの先輩に、いざという時は助けてもらっている
  • 友達から「あなたって行動派だよね~」とか言われる

 

なんかちょっといい感じだと思いませんか?

 

では・・・

こうなること、つまりこれを実現するのって、難しいことなのでしょうか?

 

 

今の俺はこう思っています

 

”いくつかの条件を整えれば難しいことではない”

 

って

 

 

俺は38歳の時に、税理士として独立しました

でも実はそのころ、さっき上に書いたようなことで困っていたんですよ

(さすがに確定申告のやり方だけは知っていましたけどね・・・笑)

 

でも、

 

「いつまでもこんな状態ではいたくない」

 

って思って、いろんなことを学び、実践し、人に助けてもらいながら、今日までやってきました

 

で、気づいたことがあるんです

 

それは、さっき書いたようなことを実現するため、

ひとことで言えば

 

”うまくいくため”

 

には、

 

”正しい考え方”

 

があって、

それを実現するための

 

”有利なやり方”

 

ってのがいくつかあって、

で、それをたくさんたくさん

 

”実践する”

 

ってことなんだなぁ・・・

ってね

 

 

で、独立以来、それをずうっと、しかもいろんな分野に首を突っ込みながら継続してきました

 

税理士とか経営コンサルタントとかやってますと、もともと、

 

”お客さまから何かしらを聞かれて、それを解決できるような答を返す”

 

ということをやっていたんですね

 

で、それが段々、税務や経営のお客さま以外の方にも提供できるようになっていったというわけです

 

 

せっかくですので、このあとに、

 

栗原は

 

”こんなことをやっているから”

”あんなこともやってきたから”

 

”こんなことが提供できますよ”

”あんなことも手伝えますよ”

 

というようなことを、いくつか書いておきますね

 

気になる方、必要な方は、気軽に声をかけてやってくださいな

 

 

 

≪税理士として≫

 

【できること】

  • 法人の決算とその相談
  • 個人の確定申告とその相談

【過去から現在の話】

  • 平成5年からこの業界にいるので、かれこれ20年以上の経験がある
  • 平成16年にゼロから独立
  • その後、まぁいろいろありながらも笑、現在十数名の大所帯事務所へ成長
  • 平成29年に、税理士法人クリアーに組織変更(代表社員などつとめる)
  • 現在、税務の”現場業務”自体は信頼のおける社員に託し、自分ではセミナー・コンサル・エンターテインメント事業に集中

 

≪セミナー講師・コンサルタントとして≫

 

【できること】

  •  

【過去から現在の話】

  •  
 

≪プロデューサー・企画者として≫

【できること】

  •  

【過去から現在の話】

  •  

≪オスカープロモーション所属タレントとして≫

【できること】

  •  

【過去から現在の話】

  •  

≪エンターテイナーとして≫

【できること】

  •  

【過去から現在の話】

  •  

≪オトナの先輩として≫

【できること】

  •  

【過去から現在の話】

  •  
中学校時代、部活以外に熱中したコトは、生徒会活動でした。


以前にも、入学していきなり生徒会に立候補してみた話を書きましたが、

その時に味わった、

「特別な感じ」

が、とっても楽しかったのです。


それは、生徒集会などで体育館などに集まる時などに、

全員が立ったままじいっと、長ーい話を聞いていなければならない時に、

運営側として、裏でいろいろな仕事をしながらも、

かなり自由なことをしていられたという充実感。

そしておそらくは、少なからずの優越感(笑)


もうひとつは、今まではあまり誰も取り組んでこなかった、

オペレーション改革への取り組みなど。


例えば、全生徒が教室から体育館まで、

どれだけスムーズに移動できるか?などといったこと。

これの問題点を調べて、仮説を立てて、

各クラスの生徒委員に協力を仰いで、

本番で「実験」をする。

そしてそれをまた分析して、次はもっとスムーズにと・・・


これの結果が次々に出ていくのが楽しくてしょうがなかった。


今にしてみれば、pDSCサイクルを回してたんですね。


ちなみに一番生徒会活動に熱中したのは、3年生の前期でした。

通常は3年生の後期なのでしょうが、

なんと、このころ、受験勉強が「面白く」なり始めていたんですよ(笑)

なので、3年生の前期を自分の集大成としようと位置付けたんです。


そのために、今までの生徒会活動を通じて、

「一緒にやっていて信頼できた同級生と2年生」に対して、

各クラスの生徒委員の選挙の前に、

「生徒委員をやってくれ」と、声をかけに回ったのを覚えています。


「この半年間で、今まで出来なかったようなことを全部やってやろうぜ!」

みたいなことを言って、全クラスを、説得に回りました。


そして、俺のその妄想を信じて生徒委員になってくれたみんなのおかげで、

いろいろなあたらしいことがたくさん出来ましたし、

その期の生徒集会では、毎回毎回、移動時間の記録が短縮されていきました。

もっとも、自分たちの自己満足だったので、

なんら公式に残っているものでもなんでもないですけどね(笑)


この体験があって、

「1人でできることには限界があること」と、

「信頼できる仲間が力を貸してくれた時には、

とんでもないことがいとも簡単に起きること」

を学んだようです。


とはいいつつ、達成感に包まれた俺は、

後期には、予定通りサクッと身を引いて、

受験という、「次のお楽しみ」に向かっていくのですが。
ほんとに謳歌していた中学校時代。

ついには音楽部にまで進出します。


当時は、「アリス」ブームが吹き荒れており、

クラスの3人に1人がギター弾いてたんじゃないか?

というくらいの流行りようでした。


で、そこはやっぱりノりますでしょ?


というわけで、まあ、弾いてましたね、歌ってましたね。

で、音楽部に入ると、音楽室が使えるってんで、

やっぱりいつもの、「特権欲しさ」に入部するわけです(笑)

今にして思えば、真面目にやっていた方には失礼だったかもですね。

ごめんなさい。


そして、ある日、俺にとっての音楽における絶対的存在、

「Yellow Magic Orchestra」

YMOがこの世に登場するのです!


ギターは速攻で卒業し、

小学校で叩いてたドラムを復活させて、

高橋ユキヒロのもろコピーに走ったわけです。


前回書いた、天体好きの大親友がキーボード弾けたので、

そして、都合よくこれまたどっぷりYMOハマりしたので、

2人でコピーバンドを結成。

来る日も来る日も、狂ったようにYMO三昧な日々でした。

お昼休みとかも練習してましたね。


音楽室で活動する音楽部本体とは離れて、

音楽準備室で、ひたすらYMOでした。

思えばほんとにこのころから自由だったんだなぁ・・・


あのころも今も、俺を許して付き合ってくれてるまわりのみなさん、

本当にありがとうございます。

みなさんのおかげで、それはそれは幸せな人生を過ごしております。


結局このバンドは卒業まで続き、

卒業時には、当時としては画期的だった、

中学生の分際で、ホールを借りて(市民会館だから無料ね)自主LIVE興行をするという、

まあ、生意気な中学生活のフィニッシュを迎えたのでした。