行きの飛行機は成田空港発のエティハド航空最終便でした。エティハド航空はドバイのお隣の土地であるアブダビの新しいエアラインですが、こちらもドバイに負けじと石油がじゃぶじゃぶ出るので飛行機はめっちゃ綺麗!当時は日本でも知名度が低く、また3月の平日ということもあり機内はガラガラでテンションはアップ↑↑↑
特にタイ焼き屋においては国内外問わず初めての飛行機だった様で機内の取れるリモコンですら「ファミコンか!!!」とテンションはアップ↑↑↑

 

 

更に食事のメニューがアラビア語表記で出てきたときには、これから異国へと旅立つんだな感は大変な高まりを見せ、更にテンションはアップ↑↑↑

 

 

ならばウェルカムドリンクのオーダーにおいてもアルコールを頼む以外に無く、各自酒を矢継ぎ早に注目していきます。

「俺ビール!」
「俺も」
「ぼくも同じで」
「じゃあオレは、バカルディ・ラム!」

地上での仕事や各自が向き合わなくてはいけない事など、もはや遠く彼方に遠ざかり、この空の上ではしゃがないワケにはいかない。映画は何を見ようか、機内食は肉と魚どちらにしようか、そんな話と共に楽しい宴がスタートしたのです。

しかしその後ほどなくして、我々は予想だにしないトラブルに巻き込まれることになります。仲間のうち一人を早くもここで失う事になったのですから...

【続く】

2012年の3月、スペインから帰ってきてワンステというライブを挟んだ後、タイ焼き屋・けんけん・たろすとトルコに行きました。
なぜトルコに行きたかったのかというと、イスラムの文化に密かな憧れを抱いていたからです。旅行というものはカルチャーショックを訪ねに行くものだと思う僕は、日本にいながらも感じられる西洋的な文化より日本では殆ど感じられないイスラム的エキゾチックさを求めていました。

 

2017年の今では悲しい事にクーデーターやテロによりやや治安が心配される地域となってしまったトルコですが、2012年の当時では東の隣国シリアは内戦により危険地域となっていく一方で、トルコ西端のイスタンブールは平和そのもので観光客ドンと来い状態でした。

 

トルコでの旅程はイスタンブールのみでしたが、飛行機が途中降機を許してくれるプランだったので、砂漠の国、アラブ首長国連邦(UAE)のアブダビという町で1泊して、隣町のドバイに寄っていく事にしました。

 

※写真はけんけんが録ってくれたものを拝借していきます

 

モーニング氏はメザマ氏から政治の世界におけるイロハを学んで行きました。メザマ氏は既に政治家としては地位を得ていましたから、彼の側近としてついていく事で結果として多くのメディアにモーニング氏も露出していく事となりました。

モーニング氏はテレビ越しにも大きな存在感を示し、時折見せるその太陽の様な笑顔や、真摯にメザマ氏をサポートする姿勢から、気づけば選挙に出馬する以前の段階で高い認知度と人気を得る様になっていました。

他方、イブニング氏はモーニング氏の様に師の側近としてメディアに出る事はありませんでした。
ですが、ニドネ氏がイブニング氏を自陣に引き入れてからはニドネ氏のライバルが大事な講演の直前に急病で倒れたり、ニドネ氏の反対者が一晩のうちに賛成者に変わったりと、少なからぬ変化があった様です。
勿論、こういった事件は偶然によるものでしょうが、その後政界の中で表だって何の実績もないイブニング氏の発言力が強くなっていった事に、これ等の事件との関連性を主張する者は少なくありませんでした。
しかしそんな人間たちも気づけば今ではほとんどいなくなっている事はあまり知られてはいない様です。

【続く】