『子ども達が連れて行かれる!!』

ベッドに横になっていても、そのことしか頭に浮かばない…
母は「連れてなんか行かせない」とは言うけれど、不安で~不安で仕方がない。
居ても立ってもいられず、主治医に事情を話すと…なんと!外出を許可してくれたのです♪
IVH(中心静脈栄養点滴)で24時間点滴しているわけでもなく、副作用の強いステロイドの服用量が多いわけでもないので、問題はないとのこと。
思いがけない、主治医の計らいに心躍る私です。
この時には“連れて行かれる”よりも
『子ども達に会える!』
という想いが強かったな~(笑)

その日早めに家に戻って、子ども達と過していると“ピンポーン”ドアベルが鳴り…
いよいよ“彼”が乗り込んできました!
なんとまあ~“両親連れ”で!!ぷっ(爆)
『1人で交渉できないのかーっ!』
って感じです(苦笑)
到着早々“彼”とその“両親”が久々に会う子ども(孫)達と、散歩に出掛けて行きました。
その間、我々実家組みは相談タイム!です。

父は「子どもなんかやってしまえ!」と一言!!
以前から「お前がこんなに体が悪いのに、子どもなんか置いてくれば良いじゃないか」と言っていた父…
その言葉に、思わず私は大声で泣き出してしまった!

「なんで、そんなヒドイ事言うのよーっ!!」

たぶん、はたで聞いていたら“悲鳴のような叫び”に聞こえたのではないでしょうか…

そんな私に対し父は

「こんなんじゃ、相手が“お前が病院で暴れた”って言ったのは、嘘じゃないんじゃないか?」

そんな父の、あまりの言葉に
『もうこの人に何も言うまい』
そう思った…この上ない絶望感でした。

そんな時に母が
「あなたは“母親が子どもと離れるのがどんなに辛いか”分らないんですよっ!」
と父に反論してくれたことで、気持ちが和らいできて~
そこから、話しが進んでいき…最終的には

【2人は“絶対に”ココで面倒を見る】

という結論になったのです。
“かたくな”だった父も「お前がそこまで言うのなら…」と了承したのでした。

この日の夜、私はまた病院に戻らなければならない…
親戚同士での夕食が終わっても、子ども達の前で“親権争い”みたいなことはできず、本題に入れないまま…
後ろ髪を引かれつつ実家を後にしたのです。

実はこの日、私の妹夫婦も来てくれていて、義弟が車で送り迎えをしてくれました。
帰りは“彼(夫)”も一緒に病院に付き添ってきたのですが、病院で“仲の良い夫婦”を演じながら、私の心中は“穏やかではなかった”のは言うまでもありません。
ベッドに戻った私は、その後の実家での経緯が気になり、眠ることができずにいました。

それについては次回書きますね。

さて、後から聞いた話ですが“彼”は義弟に
【オレが一番悪いんだ】
と言ったのだそうです。

ペタしてね
婦人科の1件で、近くにある大学病院の“消化器内科”に入院した私。
『今回は、子ども達は自分の実家にいる!安心して入院できる♪』
なんと心強かったことか。
もちろん一応、彼にも連絡はしましたよ(笑)

「まずは食事をしながら様子を見よう」とのことで、今回の入院は“絶食なし”でスタートしました。
ところが、出てきた食事は何故か“すい臓疾患用の食事”…
土曜日の昼食には、当時「潰瘍性大腸炎患者が食べない方がいい」と言われていた(今もそうなのかな?)“そば”“焼きいも”“ひじきの煮物” などなどが、一緒に出される(驚)
コレには
【何食えって~~~~~?】
とマジギレ!!
それを何度看護師さんに言っても、
「ごめんね~」
としか返ってこない…
病棟薬剤師さんだけは「コレはないよね~」と同情してくれましたが…(涙)
仕方ないので、許可を貰って売店で“ゼリー”とか、食べられるものを買って、飢えをしのいでました…病院なのに…

でも、でも、口からものを食べるとトイレに駆け込む事が続くし、腕からの点滴も血管が“細くなったり”“もろくなったりして”うまく入らなくなってきたので、
「IVH(中心静脈栄養点滴)にしてください~っ」
と、意を決してお願いすると、主治医と同じチームの研修医が来て
「本当に管入れるの?食べ物で自己免疫力を高めて~なんとかかんとか~」
と言い始めたのです…
私の頭の中で
『ピキピキピキーッ!!』
と音がしました(爆)
【自己免疫力~?“自己免疫”つー言葉を使うな~~~!!】
て感じです。
なぜかというと、潰瘍性大腸炎は“自己免疫疾患”と言われているから。
多分、この研修医の言いたい事は違うのだろうけど、私には『配慮なさ過ぎ!』としか取れませんでした。
その上この研修医は
「自分は喘息で走っちゃいけないといわれていたけど、走ったら良くなった」
とか言い始めたから、聞いててあきれてしまった…
『なら、医者要らないじゃん!!』(爆)

この医療チームは3人で、もう1人いるのですが、その1人は、
「自分は分野が違うから、君の事は、○○先生(←主治医のこと)に任せてある」
だって!
『あの~チームの意味がないんじゃ…?』(苦笑)

さあ、こんな病院に入院した私に、ここから先どんな事が起こるかは、次の機会にしましょう。

さて、そんな入院生活を送っていた頃、実家の母から、
「(彼が)子ども達を九州に連れ帰るために、こちらに来る」
と聞き、焦る私!!
以前子ども達を“人質状態”にされた思いから、
『そんなことを認めるわけにいかない!』
『入院している場合じゃない!!』
と、病院にいながら、ただひたすら
『どうしよう…』
不安を募らせるばかりでした。

ペタしてね
“子宮筋腫”の診断を受け【子宮全摘】を宣告された私はそれに納得できず、近くの大学病院に足を運びました。
“セカンドオピニオン”というより、元々の病院では書類や検査結果などは出してくれないと判断し、独断での大学病院受診です。
そこで事情を説明すると、医師は
「その病院から、来る患者さんが多いんだよね、何かあるの?」
と聞いてきました。
『あーっやっぱり』
と思い、グチを言いたい所でしたが、それをココで言っても何もならないので、
「とにかく納得できなかったんで…」
と言葉を濁す(苦笑)

内診とエコーをしてから医師は
「う~ん筋腫は見られない感じだけどな~」
と首をかしげていました。
念のため、後日MRIをすることで婦人科は終了、今度はその足で内科へと向います。
『これを機に、消化器専門の医師のいる、この病院へかかってみよう!』と考えていました。

“消化器内科”で出会ったのは、潰瘍性大腸炎になって初めての女性医師でした。
「ステロイドを何とか離脱したい(服用を終わらせたい)!」
「そのためには、入院もいとわない!」
固い決意で伝えると、彼女は
「まあ、私に任せなさい!」
という自信ありげな口調で告げたのです。
その日に入院手続きをし、現在の“良くもなく、悪すぎるわけでもない”どっちつかずの状況から脱せるという期待感で心の中はいっぱいでした。
実はそれが、そのまま絶望感に変わるなんて…

さて、婦人科の方ですが、入院前のMRIにて、子宮筋腫はない事が告げられ、ホッとしました!
『あのまま、前の病院に行っていたら!?』と思うとゾッとします(怖)
そんな、恐怖の体験をしたことがきっかけとなって、この病院の“消化器内科”で、さらなる闇をさまようことになろうとは……(涙)

ペタしてね
実家に戻ってから、ダラダラと過ごし、いつの間にか夏になっていました。
子ども達は、自治会の夏祭りが珍しいのか、家の前を通る“子どもみこし”をジーッと眺めていたのを覚えています。
その間「東京出張のついで」と称し、彼が顔を見せるようになっていて“和解したような”状態でしたが、私はなかなか九州に戻る気にはなれず、『療養させてもらっている』そんな感じでした。
保育園は退園し“いつ戻るかは私の気持ち次第”と言ったところです。
『なぜ戻る気になれないのか…何かが心に引っかかっていて…なんだろう?』

そんな折、生理不順が気になっていた私は、普段お世話になっている内科がある病院の“婦人科”にかかりました。
すると、診察した部長先生が(今は先生とも呼びたくない!)

「子宮筋腫だね、ちょっと特殊なので、子宮を全摘しないといけない!」

と、エコー写真を見ながら言ったのです!

頭は真っ白になり
『さらに病気が増えた!?』
『それも子宮全摘って!!』
動揺を隠せません…

ところがその何日か後に、経過観察のため再診した際、若いDr.が
「うちの部長が“全摘”と言ったんですね?」
と聞いてきたんです。
『その言葉の意味は一体…?今診たら何ともないって事?』
『それにエコーと内診だけで、摘出宣告するのだろうか?』
と、大きな疑問が生まれたのです。

その頃、潰瘍性大腸炎の方も、ステロイドの服用量を減らすことができずに、悩んでいたので、
『実家にいることだし、この際入院でもして、一気に緩解(病状を安定させること)に持ち込もう!』
という思いもありました。

そんなことから、この辺りでは“唯一”と言っても過言ではない、大学病院婦人科へ“セカンドオピニオン”を試みることにし、その病院の【消化器内科】に転院しようとを決めたのでした。

ところがこの選択が、良かったんだか?悪かったんだか?
深い迷宮へと、迷い込む結果になったのです。

ペタしてね
さて皆さんは、私が“父を苦手”としていることを、覚えているでしょうか?
潰瘍性大腸炎発症前には、父と顔を会わせるのがイヤで、一晩中Barで飲んでいたことを…

子どもを連れて実家に戻った私は、孫の面倒を見てくれる父に感謝なのですが、どうしても“母を怒鳴る姿”を見ると、昔のように逃げ出したくなってしまうのです。
子どもを置いて逃げ出すわけにはいかないから、ハラハラしながらその成り行きを見守るしかないのだけれど、母に対して怒鳴っている父に“理不尽さ”を感じ、母をかばってしまう私。
するとさらに情況は悪化し…の繰り返し。

夏も近付いたある夕暮れ、やはり何か怒鳴っている。
その頃には、私の中はイライラで、どうしようもなく“ゆううつ”になっていました。
ステロイドの副作用も手伝っているのだとは思うけど、どうしようもないもどかしさです。
あまりにも怒鳴る父に対し
「私、今から精神科に行ってくる!こんなんじゃおかしくなっちゃう!!」
そう叫んで家を出て、自転車を飛ばしたのです。

以前から、調べておいたクリニック。
初めて門を叩く“そこ”は、夕方からの診察でした。
少し待って診察室に入ると、白衣を着るわけでもなくカジュアルな格好のDr.が座っていました。
先生は開口一番「自分が合わないと感じたら、遠慮なく他に行っていいからね」と。
『おもしろい先生』が第一印象です。
私が“今、自分が置かれている情況”を話すと、先生の口からさらに面白い話が飛び出しました。
「私も男女の双子の子どもが居るんですよ」
見渡すと診察室には、可愛い男の子と女の子が一緒に写った写真が、いくつか飾られています。
そして次に聞いたのは、
「ココの院長は潰瘍性大腸炎なんだよね」
と…
『このクリニックは私のためにあるようなもの!』その時、間違いなく思いましたよ(笑)
そして、ニコニコしながら話す私に対して
「笑わなくて良いんだよ、泣いたって良いんだからね」
の言葉が…

笑顔が最大の武器である私。
それが、染み付いて抜けないでいる…
その一言で“笑わないことの難しさ”を、この時感じました(苦笑)
何か、小さなトゲが刺さったような、嬉しかったような…

さて、この“院長は別にいるけど、実質この先生がメインのクリニック”は、以後たくさんお世話になります。
それは、もっと先の話ですが…
この先生に出会えたことは、私の人生においては、大きな出来事となりました。

ペタしてね