のんびりと・・・・・

のんびりと・・・・・

平凡のようで平凡でない。そんな私の歩く道。

ガン患者も・・・・・


その家族も・・・・・


違う病の人も・・・・



自分の歩幅で今日を生きよ!

Amebaでブログを始めよう!
未だ実家と自宅の行き来をしております。

朝実家から娘を学校へ送り(車で送ります)

その後私は自宅へ帰り、自分たちの分の洗濯を持ち帰ってきて洗濯。

掃除。愛猫と遊び・・・・そしてお昼寝。

娘が自宅へ帰ってきたら、次の日の準備をして実家へ。

実家で夕飯を食べ、お風呂へ入り、寝ます。

もうこんな生活を2ヶ月しております。

でも、今はこの生活に満足しています。

母も同じ想いです。

何度か実家へ引っ越そうか考えました。

しかし娘が転校を嫌がるので、それを理由にさけてきました。

でも、私自身も正直実家へ引っ越すのへ抵抗があります。

母の面倒を見ることに苦痛は感じません。

母の病院への付き添いも、多少疲れながらも行っています。

問題は姉達の付き合い方・・・・

やはり、一月に姉が亡くなってから、私がした姉達への行動を考えると

私が、後を継ぐのはどうかな・・・・・

と思うのです。

私の場合、大勢の中に入るのが苦手とし

家族が多い我が家はイベント事に集まることも多く、

これからも、父の法要などで集まると思います。

そんな時私はどんな状態になるのだろう・・・・・

また、人を傷つけてしまうのではないか・・・・

姉達が嫌な思いをし、実家と疎遠になってしまったらどうしよ・・・・

後を継ぐ人間としてはふさわしくない・・・・

そう思うのです。

実際、私が今実家に行っていることを

姉達はどう思っているのだろう・・・・・

そんな事を今から気にしているのに、実家へ引っ越すともっと大変です。

母も、私がアパートを引き払い実家へ引っ越すことは

私の病気にもよくないと言ってくれています。

だから、今は二重生活になりますが

この生活を続けていければと思いますが・・・・・

土地の財産分与の件がまだ手付かずなので

そちらの手続きも済ませなくてはなりません。

今度皆で集まって話し合いをする予定です。

土地はあっても、雑種地になっているので

価値はほとんど無く

土地の名義は母に全部切り替える予定でおります。

その話し合いの時に

今後の後継ぎの話もしなくてはと

長女の姉が言っていました。

祖父からの仏があるので、母以降誰が守っていくのか・・・・・

それを話し合う予定ですが・・・・・

これまた一波乱おきそうな予感です。

どっちにしても、私は

母の面倒と先祖のお墓を守っていっても良いと思っています。もちろん彼も。

やっぱりこれって後を継ぐことになっちゃうのかなぁ・・・・・

長女の姉がこんな時後を継ぐのかもしれませんが・・・・

姉もそんな思いで居るようですが・・・・・

姉もうつ病を発病したようで、なおかつお金の管理を苦手とする姉・・・・・

今までも数々の問題をおこしてきました・・・・・

”片付けられない症候群”などの症状もあり

これこそ、周りの姉が何と言うのか・・・・・・・

夢の中で父が

「お前が後を継げ!!」と叫んだことを思い出しながら

父はどうしたかったのかな・・・・・・

と思う毎日です。


そんな事もあり、きっと落ち着くのはまだまだ先になりそうです
父の百箇日法要が9月16日にあり、納骨を済ませました。

母が淋しくなると思い、一週間ほど泊まっていましたが

娘が帰りたくないのと

母も淋しいようで中々帰れず

自宅と実家を行き来している毎日です。

日曜日に一度自宅に帰ってきたのですが

やはり母が淋しいようで

月曜日からまた実家にお泊まりです。

娘はおばあちゃん子なので凄く喜んでいます。

このまま実家に暮らそうかとも思いましたが

娘が転校は嫌だと言うし

私も、今は体調が良いのでいいですが

週末に姉妹が集まると

やはり体調が崩れるのが分かります。

経済的に考えれば、二重生活はきついですが

しばらくは、実家と自宅を行き来するつもりです。

彼も実家に泊まっていて

疲れないか心配していますが

彼も事情を分かってくれているので

本当に感謝しています。

母は生活費を受け取らないし

逆にガソリン代や商品券を渡してきます。

多分気をつかっているんでしょうね・・・・

父が遺したわずかな貯金と年金でやりくりするんだから

迷惑をかけたくないので

母の銀行にこっそり振り込む予定です。

母が元気になるまでは親孝行のつもりで頑張ります。

リレー・フォー・ライフは、がんサバイバー、ケアギバー(家族、遺族、支援者)を讃え、地域社会全体でがんと闘うための絆を育むための、啓発サポートキャンペーンです。日本国内では2006年9月、つくば市で第一歩を踏み出しました。現在は全国に広がり、実行委員会や地元ボランティアの協力で各地で大いに盛り上がっています。

ともに歩き、語らうことで生きる勇気と希望を生み出したいという思いを込め、1985年にアメリカで始まったこの催しは、参加者がリレー方式で24時間歩きながら寄付を募る形式で定着し、現在は全米約5,000カ所、世界20カ国で開催され、年間募金額は400億円にのぼります。
(日本対がん協会HP 抜粋)



8月28日・29日と室蘭市で行われたリレフォーライフに参加してきました。


2008年北海道で初めてこのリレフォーライフを実現させたのは、1月に亡くなった

私の姉です

それから毎年、北海道の室蘭市で行われています。

今年は石狩でも行われたそうです。

一昨年は家族全員で参加しました。

24時間歩くという事は容易ではなく、交代で歩くのですが

終わった後は足が痛くてひどかったのを覚えています。

一昨年、実行委員長を務めた姉。

抗がん剤の副作用に耐えながら毎日忙しくしていたのが昨日のようです。

当時の私はそんな姉が羨ましくもあり妬ましくもあったのも事実です。

何故、辛いのにそんなにまで必死になれるのか?

私には分かりませんでした。

でも参加してみてわかりました。

多くのサバイバー(ガン患者)が病と闘い、そして仲間と共に歩き励ましあい

また来年も一緒に歩こうと約束している姿・・・・・・

患者にとって、”来年”という言葉どれほど重いか・・・・・・

でも、このイベントで再会を約束することで

生きる希望を持てる。

つらい闘病生活を耐え生き続ける事の意味がそこにあるのだから・・・・

私は、そんなサバイバーを見ながら生きる勇気を貰いました。

だから私は体調が悪くても、足の痛みをこらえ歩き続けたのを覚えています。

昨年は、彼のお父さまが亡くなった直後だったので参加はできませんでしたが

今年少しの時間ですが参加することができました。

父が亡くなってから四十九日法要にも出られないほど体調は最悪でしたが

参加することで、また学べるものがあるかもしれない・・・・・

そう思ったからです。

がん患者の力にならなければならない立場にありながら

がん患者から教わる私でした。

今年は、もう姉もビデオカメラを持って歩かずにいた父もいません・・・・・

姉が築き上げたイベント歩く事の意味。

沢山のルミナリエに書かれた言葉。
$のんびりと・・・・・



その一つ一つを読み

姉を亡くした私、父を亡くした私が歩く道。

何だか姉に教えて貰った気がします。

生きる事は辛くもあり、苦しくもある。

それでも私達は生きていかなければならない。

何故なら、自分の歩いた人生を子供達に教えていかなければならない・・・・・

そして、後世に”私”という存在を残しておかなければならない・・・・・・

たとえ平凡な人生でも、私が生きる事で後世に繋がっていくのだから・・・・・


沈みゆく夕日を見ながら娘と2人手を繋ぎ歩きました。
$のんびりと・・・・・

今年も私に生きる事の意味を教えてくれたリレフォーライフ。

来年はもっと元気な姿で歩きたいなと思いました。
昼夜逆転の生活が続いておりますガーン

眠剤を飲んでも全く寝れず、結局は朝まで起きています。


娘を見送った後に布団に入り寝ている毎日ですしょぼん


それでも、最近は夕方からの活動ができるようになり


掃除や洗濯、買い物に夕飯の支度ができるようになりつつありますチョキ


少し前までは全く出来ずに、夕飯もお弁当やお惣菜ばかりでした・・・・・


こうやって少しずつだけど・・・・・


ホント少しずつだけど


回復しているようです。


時々、父が居なくなった現実を突きつけられる時があります。


父は何を思い亡くなったのだろう・・・・・・


そう思います。


父が生前


”死んだ人間より生きている人間の方が大事だ”


と言っていたのを思い出し


私は生きている自分を大切にしなくてはいけないんだと思い知らされます。


今の私達が幸せに暮らせることが父の唯一の親孝行なんだと思います。


毎日育児にも闘病生活にも思考錯誤の日々ですが


今日という日を生きていられることに感謝していきたいと思います。
この一ヶ月以上パソコンを開いてもおりませんでしたあせる

調子が最悪で引きこもり状態でした。


お盆に4日ばかり入院しました。


もうどうにもこうにもならずに・・・・・・汗


最近は、家の事も出来るようになり少しよくなってきております。


まだまだ不安定になることもありますが


少しずつ・・・・・・


少しずつ・・・・・・


生きていこうと思います。
毎日色んな事を思う。


もう父は死んでしまったこと


もう私には父親がいないこと


もう父から愛されることもないこと


もう父と喧嘩も出来ないこと


もう・・・・・・・



結局毎日父を想う・・・・・

あんなに憎んだ父なのに

やっぱり私には必要な人だったんだと気づかされた。

一度で良いから父に

「生まれてきてくれてありがとう」なんて

言われたかったな・・・・・・
ホテルで一人になって少しは落ち着いたものの、

相変わらず、何もしたくない・・・・ガーン

ほとんど、お弁当やお惣菜だし、掃除も出来ないから部屋は汚いし


洗濯もやっとだけど、乾かないから臭いし・・・・


何もかも最悪ダウン


それでも、彼が家の事をしてくれるので助かりますラブラブ


昨日はカウセリングと診察。


先生からは、今までの反動だよと言われ、何も考えずゆっくり休んだ方がいいなんて

言われたけど、実際無理だし・・・・



娘にも「もうお弁当は嫌だよ」なんて言われる始末あせる

今日は以外に出来る。

掃除して、洗濯して乾かないからコインランドリーに行って

今のうち夕食も作っておくかなべーっだ!

多分ダウンするな・・・・・・汗


そう思いながら今日も一日すぎてゆくんだろうなぁ・・・・・
父が亡くなって3週間・・・・

色んなことを考えすぎてしまって思いっきりダウンです。


一人になりたくて夜釣りをしたり

雨が降れば、家出をしたくなり夜中に家をでたり・・・・・


一週間前に眠剤を多めに飲んで
(ODなんですけどね・・・・・・)

しばらく眠りについたり・・・・・・


このままでは自分がおかしくなりそうで・・・・・・


それで、昨日からビジネスホテルに一人で泊まっています。

娘は、母に預けています。


ここにたどり着くまでかなり不安定の日々でした。


何故ビジネスホテルか・・・・・・


それは一人になりたいから。

気持ちをリセットして、色んなしがらみから自分を解放したかったから。



わがままといえばわがままですね。


母だって、父が亡くなって不安定なのに・・・・・


でも私の場合、ひどくなると自傷行為をとめられなくなってしまう・・・・・


それだけは避けたかった・・・・・・




一人になり、色々感じるものがあります。

自分と向きあういい時間だと思っています。


今回こんな事を出来たのも彼のおかげです。


感謝しなくては・・・・・・
以前に書いたかもしれませんが


父は、毎年健康診断はかかさずしていました。

肺がんだと告知された半年前にも

肺がん健診をしていました。


なのに・・・・・・

なのに・・・・・・


肺がんを見つけてくれたのは、かかりつけの整形外科の先生・・・・


健診では、”異常なし”の文字がはっきりとはがきに書いてありました。


父はその事をずっと悔しがっていました。


時々その話を思い出します・・・・


もっと早くから分かっていれば・・・・・


ガンは早期発見、早期治療が大事です・・・・


主治医は、「難しいところにあるので、見つけられなかったのだと思います」


そう言いました。


健診を否定するつもりはありませんが


もう少し健診の質の向上を願うばかりです・・・・


父のようにならないためにも・・・・・


意味ある健診であってほしい・・・・・


と思うのです。