2週連続で放送された ザ ドキュメント の 私生きていていいですか? というサブタイトルの番組
見た方も多いと思いますが、主人公の方がバドという埋め込み型の人工心臓を使いながら心臓移植を待つという内容でした。
今までも何度もブログに書いてきましたが、母は拡張型心筋症で天国へ旅立ちました。
60歳になった誕生日に診断され、80歳の誕生日に天国へ。
20年の長い間、一度の手術も受けず、治験には果敢に参加して、海外にも日本にも同じ病気の人を訪ねては「私みたいに元気にあっちこっち行ける人間もいるんだから、頑張れ!大阪で再会できるのを待ってるよ」が口癖でしたね。
移植の事は、当時はまだ日本では非現実的でしたが、アメリカ人の友人たちから「移植に渡米したら?支援するから」と言ってもらったり、当時は花形だった『バチスタ手術』を受けにメキシコにおいでと呼んでくれる友人もいたんです。
けれど、母はどちらも首を縦に振らなかった。
移植に使われる心臓は限られているから、まだ若い人に順番が回るように、還暦まで生きた私には不必要。と言い、費用面が難しかったバチスタ手術も友人たちの尽力で日本の大学病院の研究費を使うということで解決できたのに、「その研究費は若い人の未来に使ってほしい」と断った。
日本と違い欧米ではキリスト教の教えが根付いていて、「体は神様からの預かりもの」という意識が高く、使える臓器を使わないのは神への冒涜とまでいう人が居たりして正直びっくりしたものでした。
母が旅立ってから13年。
あの時無理やりにでも移植に踏み切っていたら。。と思う事も多いし、今でも母のいない生活にはむなしさや寂しさを感じることも。
私のメッセージが届くことはないかもしれないけど、この番組に出ていたお二人は「人が死ぬことを待っているようで辛い」とおっしゃっていたけれど、「体は神様からの預かりもの。それで他の人の命が救えるなら最大の恩返し」という言葉を伝えたい。
なぜなら、母のモットーもそれだったから。自分はもらわなかったけど、亡くなった時、手作りのドナーカードを持っていて「皮膚でも血管でも何でも使ってください。死体のダイエットです」と書かれてたんですもん(笑)
だから、移植を受けた方は「有意義に個人の遺志を継いでくれてありがとう。」とご遺族もご本人も思っていると私は信じています。
きっと、ドナーの方は「生きてくれてありがとう」って伝えたいと思いますよ。