こんにちは。
自然とつながるヨガ
クーヨガのクッペです。


東日本大震災から丸10年、震災の年の夏、私がボランティア活動をするようになったきっかけになったブログ記事を転載します。ここから全てがはじまりました。動いたことで、最後に書いていたことも叶いました。





2011年8月、お盆休みを利用して、東北へボランティアに行くことにしました。


ずっと行きたかったボランティア、時間もお金も無いけれど、今しかないという衝動に駆られ、宮城県南三陸町にあるお風呂運営の仕事を申し込みました。


はじめての東北、大阪から夜行バスに乗り、仙台に向かいました。翌朝、仙台から南三陸町まで電車で移動しました。柳津までは電車が動いているのですが、そこから先は、復旧していない地域。バスの振替輸送で移動しました。


バスに乗るまでは、外の景色は田園風景が広がり、地震の爪跡は一切ありませんでした。


しかし、海岸に近づくと、所々にガレキの山が広がり、バスを降りた地点では、建物の土台しか残ってない場所も多くありました。


そこから目的地まで、徒歩で3kmほど。思ったより道路が整備されており、ガソリンスタンドは、青空市場のような感じで営業していました。


塵が多く、マスクを忘れたことを後悔しましたが、途中スコールのような雨に洗い流され、落ち着きました。山側を歩くと、住宅はそのまま、空気も良くてハイキングをしているような感じでした。


到着した頃には、汗で大変なことになっていました。まだお風呂のお客さんが少ない時間帯だったので、ご好意でお風呂に入らせてもらいました。お湯は、消火栓から引き、綺麗なお湯がたっぷり、至福の湯船に浸かることが出来ました。


近くにローソンがあるということで、散歩がてら見に行きました。途中、ボランティアの方達が寝泊まりするテントゾーンがあり、大型バイクで来た男性達が滞在していました。


郵便局は移動式のトラック、美容院、携帯ショップなどのお店は、プレハブで営業していました。先にはスーパーがオープンしたところで、沢山の花が贈られていました。


こちらに3ヶ月ほどいらっしゃるボランティアの方のお話では、GWの時期には一日600人もの方が集まったそうです。チームを組んで1軒に20人ほどのボランティアさんが撤去作業をされていました。


こちらのお風呂施設、1日100人以上の地元の方が訪れます。ボランティアさんのご好意で、お風呂の後に冷たい飲み物が振る舞われ、皆が楽しそうに話す姿が印象的でした。ボランティアは十数名。私のように短期で参加する人から、3ヶ月滞在している人まで様々です。


仕事はお風呂班と作業班に分かれます。作業班は車で移動して、畑の開墾作業を行います。木を切ったり、草刈りをします。夏の炎天下、大変な作業です。


私はお風呂班として参加しました。朝からお風呂の準備をして、13時~19時の営業に備えます。


お風呂あがりにマッサージしたら気持ち良いだろな、より地元の方と密接してお話が出来そうと思い、そのことを周りの方に話すと、快く聞き入れてくれて、お風呂の横にターフとパレット、マットを準備してくれました。


段ボールで看板を作ると、即席マッサージ店の出来上がりです。


お風呂上がりのサービスとして、無料でジュースを配布したり、かき氷を振る舞いました。ボランティアさんの中には、沢山のジュースとロック氷を持参して、バーカウンターのようにしている方もいました。お風呂上がりの冷たいジュースと楽しい会話に皆さん大変寛いでいらっしゃいました。


私も地元のおじいちゃん、おばあちゃん達に話しかけました。皆さん初対面の私にも気さくにいろんなお話をしてくれました。


マッサージをしながら、最近運動不足とおっしゃる男性は、マグロ船に乗って世界中の海を渡り歩いた話をしてくれました。趣味の釣りが出来なくなったというおじいちゃんは、津波で船を流されたそう。


今朝、避難所で転けてしまい、腰の辺りを見て欲しいとマッサージを受けてくれたのは、おしゃれなタンクトップのおばあちゃん。


孫が帰ってくるので、ジュースを多めに持って帰ってもいい?あと、バスで送って来てくれた運転手さんにもジュースを渡してと気遣うおばあちゃん。


お盆休みは家族が帰ってくるんですか?と聞くと、みんな今仮設に住んでいるんですよとおばちゃん。


みんな大変な生活ですが、それを受け止め、生き生きと暮らしています。みんなこの土地が大好きです。


8月111446分、私は南三陸町の82歳のおじいちゃんにマッサージをしていました。


震災から5ヶ月、バスからこの地に降りた時は、津波の爪痕が大きく、一人で歩くのは心細かったけど、こんなにも地元の方々が優しくて、元気に過ごされていることを知り、少し安心しました。


しかし長い目でみると、住む場所、雇用など課題は多いです。


夜の10時半頃、テントで寝ていると地震が起こりました。ゴゴゴゴ、地響きのようなものが聞こえました。翌日、震度3ぐらいだと分かりましたが、震源地が近いということで、いつも感じる地震とは違って、迫力がありました。


翌日、温泉がやって来る日。いつもは、消火栓の水をボイラーで温めて入っています。今回2つある浴槽の1つを温泉にするという初めての試み。お湯は、なんと飛騨高山から源泉汲みたてをトラックで運んで来ます。


この一大イベントにお風呂班は、いつもより2時間早く動き出しました。掃除を始めたところで一報が。


なんと、温泉を運んでいるトラックが故障したとのこと。


温泉が届かない!!


皆の顔に不安がよぎりました。しかし、こちらではどうすることも出来ません。トラックを信じて、消火栓でも温泉でも、どちらになっても良いように準備を進めました。


13時オープン、遅れてしまった場合は、途中でお湯を入れることは出来ません。また、翌日に回すにも温める手段がない。


楽しみにしている地元の方、ご好意で運んで来てくれる飛騨高山の方々のことを考えるとなんとか間に合って欲しいという気持ちでいっぱいになりました。


タイムリミットは12時。


そして


11時半、なんと温泉を積んだトラックが入って来ました!!


そこからは、皆の見事な連携プレイ。スムーズにお湯を移し替える作業が始まりました。結局、12時半には、温泉がたっぷりと入り、オープンに備えることが出来ました。


温泉を運んで来てくれた方は2人。夜に源泉汲み、夜通しかけて運んで来てくれたので、とってもお疲れの様子でした。


そのうちのお一人が、わたしのマッサージの看板を見て受けてくれました。


長時間車に乗っていたので、気持ち良さそうに寝てました。疲れている部分を念入りにマッサージ、その間に一番風呂に入りに来たおじいちゃん達が、喜んでくれたのを確認した後、彼らは来た道を元気に帰って行きました。


昨日、マッサージを受けてくれた82歳のおじいちゃん。今日も来てくれました。あまり強くすることは出来ないのでハンドマッサージを行いました。漁師さんだったおじいちゃんの手。指の一部は曲がってしまったり、短くなっていました。


きっと色んな海、現場を経験されてきたのでしょう、私は更に気持ちを込めて、丁寧にマッサージを行いました。


私が大阪から来たと話すと、大阪や神戸にも魚を運んでいたことを話してくれました。おばあちゃんと一緒に大阪に旅行に来た時のことも話してくれ、


「大阪は、活気があっていいね~!」


とおじいちゃん。きっと若い頃は、粋な漁師さんだったのでしょう。


明日は、海岸で花火大会あるとのこと。今年は特別な花火になりそうです。おじいちゃんと話していて、またこの地に戻れたらいいなと思いました。


似顔絵を書いている地元の方がお風呂に入りに来ました。流れで、私の似顔絵を書いて貰えることに。


彼は2年前から、家業の養殖の仕事をしてました。ワカメやアワビを育てていたそうです。しかし、津波に流されてしまいました。あと数年は、ここで漁師をすることは困難だろうと。まだ若い彼は、避難所を回って似顔絵を書いていました。


笑顔いっぱい、元気なおばちゃん。肩凝りでしんどそうなおばちゃんを連れて来てくれました。肩が痛くて、夜も満足に眠られない様子。顔の表情は強張って全身に力が入っていました。全身をほぐし、ヘッドマッサージも行いました


とっても頑張り屋さんなおばちゃん。自分より周りの為に働いています。仕事終わりで早くお家に帰らないといけませんが、せっかくなので温泉に入ればいいと元気なおばちゃん。


その間、私は元気なおばちゃんと話ました。おばちゃんはお店をやっていましたが、津波で流されてしまい、現金で持っていた分のお金が流されてしまったそうです。銀行に預けていれば、通帳が無くても無事だけど、現金は誰のものか証明が出来ない。お金は、銀行に貯金するよう強く勧められました。


家、財産が流されてしまっても前を向いて強く生きている。そういう姿が印象的でした。


お風呂からあがったおばちゃん、とってもいい笑顔で帰って行きました。



営業を終え、私達もお風呂に入りました。最後でも、お湯はしっかり残っており待ちに待った飛騨高山の温泉に浸かりました。


気持ちいい〜。


色は少し濁っており、塩気、鉱物の匂いがあります。そして、身体がスベスベに。やはり、消火栓のお湯と全然違います。


お風呂から上がったら、月明かりの下、みんなで輪になって線香花火をしました。


最終日の朝、お世話になった皆に別れを告げ出発です。


最寄りの駅は電車が復旧していないので、来た時と同じルート、振替輸送のバスに乗ります。また大荷物を持って1時間歩くのかと思っていたら、なんと隣のベイサイドアリーナ(体育館)からバスが出ているとのこと。徒歩5分です。


しかし、行きに津波の被害にあった港を一人で歩くことに意味があったと思いました。


バスに乗り、漁師のおじいちゃん、おばあちゃん、おばちゃん達のことを思い出していたら、非現実的な光景が目に飛び込んで来ました。みんなが大好きなこの土地の変わり果てた姿。


来た時は、あるがまま、特に感情は生まれなかったのですが、帰りには、自然と涙が止まりませんでした。


遠く離れた土地、訪れたことのない街に勢いで一人でやって来た初のボランティア。


帰り際、アリーナでヨガイベントをすれば良かったと気づき後悔もしましたが、短期間の滞在で、マッサージをさせてもらい、沢山の地元の方と交流が出来たことは、一生の宝物です。


ニーズは、常に変化する。


私の滞在中に仮設住宅の鍵の引き渡しがスタートしました。このお風呂も22日まで、23日には解体することが決まっています。


私の使命は、皆が元気に活動するためのサポートをすること。


先入観を無くし、まずは動くこと。そうすれば、その次の瞬間に何をすればいいのか自然と見えてきます。


数年後、またこの南三陸町を訪れ、海岸沿いに立っていたホテルに泊まりたいです。海水浴とか海鮮料理を食べたいな。


がんばっぺ、東北。



この記事を書いた後、毎年東北に行くようになりました。












東日本大震災から丸10年が経ちました。

かつてないほどの大きな災害。あの日を忘れることは決してありません。この10年、人の繋がりを感じ続けた日々でした。


鎮魂の意を込めて、この後、21:30からオンラインでキャンドルヨガを行います。どなたでもお気軽にご参加ください。


3月11日(木)21:30〜22:00【Zoom】