不親切にするのは子どものためでもあるんです。 | かずえ☆since2016.4 大崎上島、親子で移住、古民家暮らし。

かずえ☆since2016.4 大崎上島、親子で移住、古民家暮らし。

平成28年3月に19年勤めた小学校の先生を辞め、広島の大崎上島に家族で移住しました。
子どもは、8才と7才の男の子です。子ども達はずいぶん大きくなりました。

そんな我が家の子ども達の成長や、私の気づきを記録していきます。

「AI vs 教科書の読めない子どもたち」を読んでから、実験の際、「教科書や資料を自分で読もうとする力をつける」という視点で、意識的に不親切にしている。


すると、見えてきたこと。


すぐに「先生。」とやってくる人は、自分で考える前に教えてもらおうと思っている。たぶん、それも無意識に。
(自分自身もこのタイプだった。小学校は優等生だったが徐々に頭打ち。)


確かに聞いたら早い。
教えてもらったらすぐにできる。


そういう力が必要な時もある。
(だからいつでも試行錯誤させているわけではない。)


でも、自分で試行錯誤してできるようになったことは、忘れにくい。
(ものすごく脳を使ってると思う。)
そして、何かあったときに、自分で答えを探す力になる。


理科の実験は、やり方が教科書に書いてあるし、それをみんなで音読している。
私に、
「質問はありませんか?」
と、聞かれ、
「ありません。」
となってからスタートする。


でも、本当は分かってない。
(イメージできている子が質問するわけで…。)
から、困る。


この、
「困る」
がだいじ。


最近は、すぐに友達の助けを借りさせないようにしてみている。
(要領のよい子は、すぐに助けを呼ぶ。それも力なんだけど。)
助ける側の友達に、
「口だけで何とか説明してみよう。」
と、やってあげることは極力避けるようにお願いしている。


「教科書に書いてあることをもう一度読み返したり、図に書いてあることをヒントにしたりすればいい。」
と伝える。
「実験キットの箱にもヒントが書いてあるよ。」
とか、解決のヒントはちょこちょこと伝える。


先生という仕事は、教えるのが仕事なので、困っていたら手を差しのべたくなる。
だけど、長期的に見たときに、子どもたちの力にならない。


困ったときに自分でなんとかする力。
あきらめない力。


時間を区切って、試行錯誤の実験タイムの後は、ちゃんと説明する。
たぶん、頭に入る量が違う。
分からなくて苦しかった分、
「そういうことかぁ。」
というつぶやきが聞こえてくる。


「なんとかしよう、と、一所懸命取り組むことがだいじなんだよ。あきらめないことがだいじなんだよ。」
と、改めて伝える。
(実験タイムの後、あきらめず何度もトライしていた子のすばらしさを伝え、学校は失敗しに来ているということも重ねて伝える。)


やってみてわかったことだが、実験途中にかけてくる声が具体的で、本人たちには解決できないことになってきた。
(「わかりません。」だったら、「教科書に書いてあります。」と、突き返されるので、「ここがどうしてもできません。」みたいなことを伝えてくるようになりました。)


「意図的に不親切にすること」
今は、教科書や資料を自分で読もうとする力をつけるためにやっているけれど、本当にだいじなこと。


家庭でも、すぐに教えず、まず、
「どうしたらいい?」
と、質問で返す。
やってみてほしいと思います(*^^*)
ながーい目で見たときに、大切な力なんですよ(*^^*)


No.981