ハルとばば~二人の闘病日記~

ハルとばば~二人の闘病日記~

線維筋痛症を発病、ワーキング母から、半寝たきり状態の母になりました。ところが、20才の息子が同い年の彼女と授かり婚。あっという間にばばちゃんになりました。そして、我が家に来てくれたのは、小さくて可愛い男の子、通称ハル。病気持ちのばばちゃんとハルの闘病日記です

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皆さま、本当にお久しぶりです。

ブログを休止してから、何年?3年?4年?

実は私、線維筋痛症寛解したようです。去年の秋から、痛みからは解放されております。ずっと苦しんできて、同病さんの辛さも知っていてその過程を何故お知らせしなかったか、、、それは私の場合は決して真似できない、真似してほしくない状況だったからです。

実は、去年も私は相も変らず痛みの渦の中にいました。義父の介護もあり、状態は最悪でした。ハルは今夏5歳になりました。過食も少しずつ始まりカンシャクを起こしたりなかなか大変になってきました。

義父の主治医と私がもめて、新しい主治医を探すべきか、今までの主治医と頑張って付き合うかなやんでいた去年の秋

9月、地域のお祭りがあった夜、私は義父と2人でおりました。ひどい吐き気で吐いてしまいちょっと尋常じゃない体調の悪さに旦那に連絡してすぐ帰ってくれるように話し、そのまま救急車を呼びました。途中で話すことが辛くなり、「このまま電話を繋いで置くのでとにかく来てください」と言った直後、後頭部を誰かに殴られたような痛みがありそのまま意識を失いました。

意識が戻った時には5日ほど経っておりました。くも膜下出血でした。命は助かりましたが、左の手足の動きが不自由になりました。

去年の年末に退院し自宅に戻りました。義父は緊急事態ということでショートステイで預かって頂くことができましたが、私自身要介護認定2となりました。杖をつきながら歩く状態でした。

年が明けすぐに義父が亡くなりました。88歳でした。お葬式などを終え、やっと今まで通っていた病院での診察となりました。ドクターに経緯を話し「それで体の痛みは?」と聞かれ、その時初めてそういえば痛みは感じなくて、痛かった部位が痺れているだけだと気がつきました。それをドクターに話すと「くも膜下出血で神経回路のどこかが途切れ痛みを感じなくなっているのでしょう」とのことでした。確かに意識が戻ってから左耳が聞こえなくなっていることに気づきましたが、原因はよく分かりません。それから今にいたるまで痛みを感じることは無くなりました。痺れだけです。線維筋痛症は寛解したようです。

体に不自由はありますが、痛みがない毎日というのは嬉しいものです。車の運転もできなくなり家族にかける負担も増えましたが、「痛い、痛い」と言ってしかめっ面をしている私を見ているよりはいいと言ってくれます。

薬は圧倒的に減りました。胃腸薬と睡眠導入剤くらいでしょうか。

これは良い結果なのか分かりません。そして今痛みで苦しんでいる方にとっても、何の希望にもなりません。ただ、これから治療を進めるなかで もしかしたら、何かつかめるかもしれません。ブログも続けるかどうか分かりません。今はとにかくストレスを溜めず今の状況を保っていくことが目標です。家族に介護の負担はかけられないですし、この寛解の状況も保たないと体の不自由さと痛みの両方は我慢できませんから、、、少しずつ少しずつ以前のように家事ができるように車の運転もできるようにリハビリしていきます。

ハルは今夏5歳になりました。現在は普通の保育園でみていただいてますが、学校をどうするか段々考えていかないといけません。今のところは特別支援学校かな。現在二級下のクラスにいますから、、、。1年かけて考えていきます。

まずは簡単に現況をご報告です。暑い夏も間もなく終わりかな。皆様ご自愛くださいませ。