小さい頃、親は全能の神であり聖人君子だった。
強くて優しくて、間違った事など決してしない完璧な存在だった。
それが年を重ねるにつれて「ん?何かおかしい」と感じ始め、
思春期を迎える頃には「なんだ、うちの親もそこらへんの薄汚い大人と同じじゃないか」と
軽く絶望するのと、友達と親には言えないような遊びをする方が面白くなるのとで
親との距離が出来ていく。
自分もそうだったし、一般的にもそうやって親離れ子離れしていくんだろうと
頭では理解しているつもりだった。
しかしいざ自分が親になってみて、この子が大きくなって話しかけても「別に」とか、
何処かに行こうと誘っても「友達と遊ぶから」としか言われなくなったら?
耐えられない!身悶えしそうになる!
何とかならないかと考えてみて、”親に失望”する度合いを少しでも小さく出来れば
その後の関係もちがってくるんではないかと思うようになった。
そんな時に観た映画、「8月のメモワール」
ケビン・コスナーとイライジャ・ウッド演じる親子の物語。
詳しい内容は割愛するとして、親子がならず者にからまれるシーンがある。
挑発されても取り合わない父親。
息子は父親が馬鹿にされるのが悔しくてならず者に食ってかかる。
怒ったならず者が息子に手を上げようとする。
するとそれまで黙っていた父親が、別人のような動きであっという間にならず者を組み伏せる。
「俺を馬鹿にするのはかまわん!だが息子に手を上げる事は許さん!」、
そして息子に「お前も謝れ!」と謝らせる。
”こ、こ、これだっ!!”
こういう出来事を経験した息子が父親に失望するか?
多分その日の父親の勇姿を一生忘れないんじゃないか?
胸の奥に小さな灯りを抱いてその後の人生を歩いていけるんじゃないか?
しかし、誰にでもそんな事が出来る訳じゃない。
ケビン・コスナー演じる父親はベトナム帰りの元軍人。
厳しい訓練を経て自分を律する事が出来る人間の深みをたたえている。
”まずい...。これは出来ないな。”
そして愚かで思い込みの激しい父親が、会社の隣の極真空手の扉を叩いた2001年の秋であった。
押忍!

※犬の血が仕事でお客様にお送りしているニュースレター
「激刊!M好」2006年12月号より転載