ミスチルである。

もはや国民的大御所バンドである。

特にファンではないがまんざら嫌いでもない。

○○工場長の結婚式で「花~memento mori」を弾き語りで歌ったくらいである。

折りに触れその曲を耳にする中で、たまに妙な引っかかり方をする曲がある。

「HERO」という曲もその一つ。

歌い出しの一節。

♩例えば誰か一人の命と引き換えに世界が救えるとして

 僕は誰かが名乗り出るのを待っているだけの男だ

 愛すべきたくさんの人達が僕を臆病者に変えてしまったんだ♩


これはいただけない。

ちょっと承服出来ない。



気持ちは分らなくもない、自分にも”目の中に入れてみようか、こいつ”と思うほどの息子がいる。

4才、たまらない。

しかしこいつのそばにいたい、成長を見届けたいという気持ちと同じくらい

こいつに自分は何を見せてやれるのか?

どんな背中をみせられるか?

そんな気持ちがある。

”誰か一人の命と引き換えに世界が救える?”最高じゃないか。

世界は救わなかったけど傍にいてくれた父親と、傍にはいてくれなかったけど世界を救った父親。

自分は後者になりたい。

父親参観の日には寂しい思いをするかも知れないけど、

きっといつか息子は父親を誇りに思ってくれると信じたい。



実際に出来るかと言われたら自信はなかったりもする。

でもそういう時に手を挙げられる人間になりたいとずっと思ってきたし、

息子にもそういう人間になって欲しいと願っている。

宗教のことはよく分からないけど、誰かのために自分を捨てられた時に人は神の懐に

抱かれるんじゃないか?なんて想像したりもしてしまう。

「所詮男の青臭いヒーロー願望でしょ?私はどんなことをしてもこの子を守るからね!」

って奥さんには叱られそうだけど。



ちなみにこの曲、

♩人生をフルコースで深く味わうためにいくつかのスパイスが誰もに用意されていて

時には苦かったり渋く思うこともあるだろう

そして最後のデザートを笑って食べる君のそばにぼくは居たい♩


と結ばれる。

それより「君の人生のデザートのほろ苦い、でも極上のチョコレートムースに僕はなりたい。」

っていう方が素敵だと思いませんか?



観音寺道場DIARY


※犬の血が仕事でお客様にお送りしているニュースレター

「激刊!M好」2006年11月号より転載