しょうらいのゆめ
娘が小学校低学年の頃でしたから、12,3年前のこと。女の子の間で、小さなバインダー型の手帳がはやっていました。プロフィールのページが何枚かあって、ともだちと書きあって、交換するのです。母の家に泊まりにいったとき、娘は「おばあちゃんもかいて」と母にも1枚渡しました。当時母は70歳くらいでした。名前、生年月日、星座、血液型、好きな色、好きな食べ物、好きなペット...下のほうに「しょうらいのゆめ」の欄もありました。母は「天使になること」と書いて、娘に返したのです。2010年の秋口から、母の認知症状が明らかになり、近所に住む叔母たちや友人たちの負担はどんどん増していきました。当然、一人っ子であるわたしにプレッシャーがかかってきます。大学病院のメンタルクリニックの受診と前後して、わたしは往復5時間かけて、母の家に通うようになりました。大学病院にいくには、母の家からまた2時間以上かかります。わたしは予約の前日にいって泊まり、翌朝付き添って受診、家まで帰ってくると二人ともぐったりしていました。晩御飯を作って出したら、また2時間半かけて国立に帰る元気はありませんでした。そしてもう1泊。わたしにとっては、2泊3日の大学病院受診ツアーです。それを4週間ごとにしていました。地元でも、既往症の治療で、内科に通っていました。入れ歯を作っているところでしたから、歯科にも付き添わなければなりません。内科は6週に一度、歯科は痛いといわれたらその都度。家からタクシーでいって、またタクシーを呼んで帰ってきます。その日のうちに帰宅する日もあったし、ケアマネジャーさんとの打ち合わせなどを入れて泊まってくることもありました。通院のローテーションをこなすだけでも、わたしはすぐに音を上げたくなりました。母には、自分が一人ではいけないからついてきてもらう、ということに対しては自覚はほとんどありません。わたしと「いっしょにいった」という感覚なのです。したがって、次の予約を入れても、よろしくお願いします、というような言葉は出てきません。それが認知症状ゆえなのか、母のもともとの、人にものを頼めず、そうするように仕向ける癖のせいか、当時はまだ曖昧でした。頼まれたらたいていのことは引き受けるけれど、仕向けられるのは嫌だ、というわたしの性癖も、母との関係によってできたもの。付き添いの予定が近づくたびに、いらいらしていました。そんな愚痴をこぼすと、ある友人はいいました。「おかあさんは天使よ」わたし自身の当時の現状を打破する力をもたらすために遣わされた天使だと思いなさい、という意味です。不承不承、わたしは彼女の言葉に従い、二人のあいだで、母の名前に天使らしく「エル」をつけて呼ぶようになりました。そのときはまだ、母が娘に乞われて書いたプロフィールのことは忘れていたのです。思い出したのは、母が倒れて手術を受け、予後の回復が遅れていた1年半前の秋。母は天使になろうとしているんだ。いま夢に向かっているんだ。そう気づきました。きれいごとではなく、気休めでもなく。ただ、これでいいんだ、という静かな思いがありました。本名の天使名は個人情報なので、ここでは、母にもペンネームのような天使名をなのってもらいます。かつて彼女の俳号は「浮子(うきこ)」でした。浮き世を浮き草のように生きてきたから、だそうです。そこから取って、わが母、ウキエル。これから折々にお話しする「ウキエルの場合」が、みなさんのお役にいくらかでも立ちましたら、幸せです。