「私の現状は私自身が望んだものである。私が好んだような私ではないのであれば、その様に私は実施しなたかっただけである」。私はこの様なことを、FACEBOOKで投稿したことがあります。これも、高橋信次先生が説かれた「正法」から得た小さな悟りです。

 

私の30代半ば程まで(高橋信次先生の教えに出会うまで」は、特に二十歳からの人生は失敗の繰り返しでした。自分自身としては、懸命に仕事をしていたと思い、失敗しては次の仕事に取り掛かって来ましたが、全て同じく失敗した結果を迎えることになりました。その原因を探るべく、色んな宗教や、哲学的な本等を読みましたが、何も納得する答えは得られなかった。最後に、車の窓を閉めて、神様に怒鳴りかけながら文句を言い放ちました。それでも、何にも答えは返ってこなかった。その時点では、私は既に結婚し、3人の娘に恵まれていました。その状態も、家族を支える責任感が強く伸し掛かり、益々苦労が重くなり、精神的にも休める状態ではありませんでした。

 

その一方、双子兄は着々と平凡な人生を送り、医科大学に入学し、医師となり、大学の教師も務めていた。意識的には負けを認めざるを得なかったが、無意識的には未だライバルとして見ていたに間違いないと思う。その証としては幾つかの事例がありますが、其れは、後程、語ることにします。

 

上記に語りました苦難の人生も、数えきれない程のエピゾードがあり、今では、高橋信次先生の「正法」に照らし合わせることで、実に意味、又は価値ある経験だったことを実感しています。70代である自分を振り返って見たら、正に、冒頭に書いたフレーズの通りだったことを証明できます。

 

次回に続く。。。