毎日、朝起きる、起きないも自分自身が決断した行動です。例え、社会的責任を果たす為とは言えども、其の責任を果たす、果たさないも、自分自身が決断し、行動したことです。自分が起こした行動も、何れの動機も、自分自身が選択したものです。確かに多くの人は、通常の常識に従った行動を取るでしょう。しかし、その常識に従わない人も居ます。この様に、自分の日常の行動全て、自分が決断し、行動したものです。

一歩歩くか、右に回るか、物を食べるか、どの服を着るか、全て、自分自身が決めて行動したことです。即ち、自分がその時、例え仕事場でも決断し、日常の行動一つ一つの積み重ねで、自分の人生を築き上げたことには間違いないです。

この真実に対して、納得できない人たちも多いと思います。特に、自分の人生に不満を持っている者たちです。その不満は、他人のせいにする意識が原因です。しかし、自分自身が不満を感じること事態が自分が選択した意識の結果ですので、結局、自己責任です。

多くの人は、自己責任と言われたら、受け入れがたいでしょう。又、多くの人は、自己責任と言われたら、自己保存心が根付いているが為、反抗的に反応するでしょう。それも、又、自分自身が選択した行動であり、自己責任です。

では、何故、自己責任であることが受け入れがたいのでしょうか。それは、自己責任をデメリート、即ち、自己保存心があるが為、他人のせいにすることが楽だと、誤った発覚を起こしているからです。しかし、実は、逆です。それは、自分自身の人生を変える、又は、因りよくするには、他人に頼らず、自分自身の行動で達成できることです。人は、他人を変えることは、その人は変わろうとしない限り、絶対変えることは出来ない。つまり、他人も、自分自身と同じく、自己責任的な立場に立たされているからです。

結論として、結局、自分自身の人生は自分自身で築き上げることが出来る、即ち、自分自身しかできないと言うことです。

この掛け替えのないメリートに芽生え、頑張りましょう。

とは言え、それを今語るも知識的であり、意識的に行為に出せない愚かな私です。