自分の間違いを認め、相手に謝罪するだけでは反省とは言えません。その間違いを起こした原因を根本的に追究し、修正し、そして、二度と同じ間違いを起こさない努力が伴わなければなりません。他人から間違いだと言われたから認めるでなく、自ら間違いだと認識しなければならない。それには、先ず、正しい物差しが必要となる。仏教では、「八正道」、即ち、六根「 眼根(視覚); 耳根(聴覚); 鼻 根(嗅覚); 舌根(味覚); 身根(触覚); 意根(意識)」を正しく行う事です。要するに、極端に偏らない行いです。しかし、これだけでは、一般の人たちには理解し辛いでしょう。 実は、この物差しは、長い転生輪廻で、全ての人たちの本当の自分にインプットされているのです。だから、本当の自分を意識することが重要となるのです。

 

相手の立場で自分の行為を見つめる事、要するに、仮に自分の行為を、相手から自分に向けられたら、どのように自分自身が受けるかである。又は、全く第三者の立場で物事を判断する事です。言葉を言い換えると、自己中心的に物事を判断するでなく、相手の立場、又は、全く第三者の立場で物事を見て判断する事です。この事を、私の論説では、偽った自分も相手とみなし、本当の自分の意思で物事を判断すると言っておきましょう。これを日常生活の中で徹底して取り組み、習感づける事で、自分自身の人生、又は、自分を囲む世の中の感覚が調和し、それが、自分自身の心に平和と安らぎとして反映するようになる。そして、自分の感情が治まるり、相手への恨みや怒りが消え去り、如何なる相手でも、許す志を自分の心の中に芽生えさせる事が出来るのである。

 

結局、相手を変えなくても、自分自身が変わる事で、自分自身が徳するのです。実を言いますと、相手が自ずから変わろうとしない限り、絶対出来ない事です。しかし、自分自身か変わることで、相手は変わらざるを得なくなるのです。でも、相手が変わる、変わらないは相手の課題であり、それに土足で浸入するのも、自分自身の間違いの繰り返しになり、自分自身に苦悩として跳ね返ってくるのです。