前回、私は「偽った自分を捨てる必要は無い」と語りました。多分、多くの人は私が今まで述べてきた「本当の自分を意識する」,と矛盾していると思うだろう。ここは、一つ、説明しておきましょう。先ず、私は、事前から語ってきた「基本的基本」を基準にして解釈しています。例えば、「この世には絶対無駄な事はない」、「この世で偶然に起きる事はない」、「神は私たちに絶対必要なもの全てを既に与えている」、「私たちは神の子であり、神のエネルギー(愛)の塊であり、神のDNAを受け継いでいる」、「私たち魂の修行を目的としてこの世に生まれている」等々です。

 

この基本的基本から解釈しますと、私たちがこの世で現象的築いた偽った自分も無駄ではない、偶然ではない、私たちの修行の一環であることになる。従って、仮に偽ったものとして捨てたら、只、そこまでの経験を無駄にすることになる。例え間違った行動や意思でも、その間違いを素直に認め、修正し、二度と同じ間違いを繰り返さないように努力するために生かすことで、何も無駄にはならない。一方、その偽った自分を捨てて、只、今後から偽った自分を否定するだけでは、何のためにこの制限された物質的現象世界に生まれる価値も意味もなくなる。

 

この物質的現象世界に肉体を持って生まれてきた人全て(高級霊も含み)、間違いは起こします。高級霊たちも、やはり、一定の人生を振り返り、本当の自分に目覚め、悟りの座に到達するのです。又、偽った自分に気づくにも、やはり、本当の自分を意識する必要があるのです。そして、その本当の自分に記憶されている正しい尺度で、偽った自分を修正し、その貴重な経験を、又、本当の自分の意識にインプットし、更に成長し続けるのです。これが、本当の意味の反省です。神は「反省」という手段を、神の慈悲として、全ての人類に与えてくださっている。

 

次回に続く。。。