私たちが普段意識している自分は本当の自分でしょうか。このような問い掛けを自分自身にしたことは余りないだろう。本当の自分はこの肉体ではないことは、多くの人は、知識的には知っているに違いない。しかし、普段の生活の中で、それを意識的に生きることは難しいものです。朝から晩まで、この世で生活する為に尽くし、又は、様々な問題を背負いながら、苦しい思いに明け暮れる人生を送り、立ち止まって自分自身を冷静に振り返ることさえ忘れ去っているのが現状ではないでしょうか。又、少なくとも満足できる地位や名誉を獲得し、何不自由なく生活している人たちも居るでしょう。そんな世の中で、本当の自分を意識することを語っても、それに興味を持つ人は少ないだろう。私も、30年代後半までは、私は直面している問題の原因は自分自身の中にあるとは意識していなかった。又、その原因が自分自身にあると聞いても、そう簡単にそれを認めることは出来なかった。

 

自分に関連する全ても問題の原因は自分自身にあると言ったら、多分、自分自身のプライドに傷つけることになるので、最初は抵抗性が生じるだろう。「お前が悪いのだ」と親から言われた時の反抗と同じ様なものです。当たり前のことです。しかし、その抵抗性を生んでいるのは、本当の自分ではなく、生まれた時から自分自身が築いてきた偽りの自分です。要するに、生まれ育った環境の中で、自分自身が現象化した器を自分だと発覚しているが故の解釈です。でも、そう言われても、中々、本当の自分と偽りの自分を分離することが出来ないのが現状です。

 

唯物論的に考えたら、偽りの自分を自分で築き上げた器だとしたら、それを脱ぎ捨てらた、問題解決するだろう。しかし、この問題は意識世界で起きているので、そう簡単に過ぎ捨てることは出来ないだろう。そこで、私の勝手な解釈ですが、その偽った自分を脱ぎ捨てる必要はないと思うのです。只、その偽った自分を改築し、間違ったところを修正し、本当の自分と合併させることです。そうすることで、今までの人生の経験を、新たな修行に置き換え、本当の自分をより大きくすることが出来るのではないかと思っているのです。

 

次回に続く。。。