私は繰り返し「作用反・作用は大宇宙大自然の法則であり、誰もそれには逆らえない」と書いてきました。つまり、「アクション・リアクション」です。但し、この法則は次元により、違った形で表現されている。それは、「作用・反作用」は「原因・結果」で表現されているからです。先ず、「作用・反作用」の基本は「善・悪」であり、その法則は全てにおいて、確実に反映されています。要するに、善なる行為は必ず善で報われます。悪質行為は必ず悪質を迎えます。もっと具体的に言いましたら、「原因・結果」の段階、要するに、実践段階では、人間には「自由意志」が委ねられているが故、何が「原因」であり、何が「結果」であるか分からなくなり、結局、その「自由意志」で、ご都合に解釈し、自己正当化ばかりするようになっているのです。

 

ある有名な心理学者は「原因論」は原因を固定化し、それによって物事の正確な判断が出来なくなっていると説明している。そのため、彼は「原因論」を否定し、「目的論」が正解だと言っています。即ち、簡単に説明しましたら、「原因論」では相手に責任を押し付けることで、何も問題解明にならない。しかし、「目的論」では、物事全て、自分で決めた目的であり、自己責任であるとのことです。これは、心理学として正しい解釈だと思います。又、神理学としても、「作用・反作用」は確実に反映しています。「原因論」であれ、「目的論」であれ、「作用」には変わりなく、其れにて「反作用」が結果的に反映されているに違いありません。

 

その心理学者の「目的論」はニート少年を事例に、ある哲学者が説明しています。ニート少年の「引こもり」は両親の虐待、社会のいじめ等々が原因とされていますが、仮にそれらが原因だったら、何故、異なる結果が出ているのだろうかとの疑問を訴えています。同じ環境、同じ状況を受けても、必ずしもニート少年になるとは限らない。結論としては、ニート少年は自らその「目的」を実行しているに過ぎないと説明している。即ち、彼は自らニート生活を目的として選び、実践しているのであり、決して、家族や社会の行動が原因ではないとの解釈です。 これは、正に神理学である「作用・反作用」の法則を、心理学としての実践方法であることには間違いありません。相手を「悪」と仕立てたら、必ず、自分が悪質な結果を迎えることになる。

 

次回に続く。。。