神が大勢の高級霊たちや聖霊たちを通して伝えている神理方は、確かに、この物質的現象世界での限定的な迷いから導く事も出来ます。何故なら、神理法は大宇宙大自然界全ての法であり、其の中には必ずこの物質的現象世界での人生も説かれている。そして、その神理法を確実に実践する事で、実在界である魂の世界に導く事も出来る。只、私が問題するのは、人間がこの地上界に肉体を持って、物質的制限された環境の中で、たった10%の意識で修行をする意味、即ち、その価値を棚に上げ、単なる楽質な修行を求めるている事です。最近の動画サイトで見る限り、「悟り」、「第三の目」、「霊道開き」等々に到達するために、色んな技術(テクニック)を教えているものを見かける。これは私の「迷い」かも知りませんが、果たして、テクニックを採用して、例えば、本当の悟りに到達する事が出来るでしょうか。それが可能とするなら、何故、人間は、自分で好んで、このような制限された物質世界である地上界に、態々修行に挑むのだろうか。

 

インドで、あるグルと名乗る高級霊が7歳までの子供たちに「第三の目」を開かせる教育施設を設立し、その教育に挑んでいるともされるサイトを見ました。要するに、7歳までの子供は未だこの末法の世界に汚染されていないが為、その段階で教育したら、一生輝く人生を獲得し、世界中を救うであろうと言うことです。このプロジェクトは現在、どのように進んでいるかは報道されていませんが、果たして、計画通りに進んでいるのだろうか。私の疑問は解かれずにいます。又、「悟り」に到達したと語る人たちの動画も沢山存在します。しかし、「霊脳力」を獲得した事で「悟り」と解釈している人たちも少なくありません。果たして、「悟り」とはそんなものでしょうか。この課題に対しても、私の疑問は解かれずにいます。

 

現段階では、この様な「テクニック」で、この地上界での修行を済ますのは、入学試験を受けるための学習塾で、テスト内容のみの勉強をしているようなものに見えて仕方がありません。又は、試験場で相手の答えを「カンニング」しているようにも見えます。果たして、そのようなテクニックで、この地上界での人間社会で本当に立派に活躍できる勉強になっているだろうか。これと同じく、果たして、「悟り」や「霊能力」をテクニック式に学んで、大宇宙大自然界での一員の人間として、神が一人ひとりに与えた使命を果たせるのか。これが、この課題に対しての疑問であり、未解決の「迷い」かも知れない。