迷いとは、目的に辿り着く方向性が分からなくなったことを意味する。要するに、目指す目的に依って、その迷いの偉大さが異なる。現代では、カーナビを利用して目的地を目指し、保々迷わず到着できる。又、専門学校で必要な知識を学び、目指す職業に就任する事も可能になっている。或いは、長期間の実体験で技術を身につけ、一人前の職人としての座を獲得する事も出来る。何れにしても、この物質的現象世界では、色んな方法で、目指す目的に辿り付くことが出来る。しかし、この物質的現象世界の範囲で、自分の人生の目的を明確に決めきれない人たちも少なくないに違いない。このような人たちは、確かに迷いを実感しているだろう。一方、自分の人生の目的を決める事事態を避け、只、世の中の流れに身を任せて一生を終える人も少なくないだろう。多分、このような人たちは、目的が無いが為、それに伴う迷いも意識していないだろう。

 

確かに多くの人々は、人生はこの世限りと思っているが為、この物質的現象世界だけを意識して物事を考える習慣がある。要するに、この段階だけの迷いを実感して、それによって苦悩に落ち込むことが多いのです。この地上界での人生は単なる一時的な修行場であり、その人生は保々100年以内の期間で終わってしまう。永遠と存在する生命の本当の人生行路を100年と例えたら、この地上界での一生は1日にも達しない程度です。いや、1時間に達しないかも知りません。結局、この物質的現象世界に伴う迷いは、如何なる巨大な迷いでも、本の一時的なものに過ぎない。ついでに付け加えておきますが、如何なる巨大な問題でも、苦労も同じことが言えます。

 

その一方、神がこの地上界に大勢の高級霊や聖霊たちの送り込んでいる狙いは、そんな一時的な迷いから救う為ではないのです。只、残念ながら、多くの人々は彼らが説いた法を、単なる物質的現象世界で得る一時的な幸せに当てはめようとしているのです。そして、それを得ることによって、神々の信仰を高めようとしているに過ぎないものです。だから、その”酔い”から覚めた後、”二日酔い”で再び苦難に陥っていくのです。

 

次回に続く。。。