先ず、己自身を救うと言うこと事態がはっきり意識されていないのが事実ではないでしょうか。約2千五百有余年、釈迦が「生老病死」の謎に悩み、城を捨て、家族を捨て、一人旅を始め、その謎の解明修行に挑戦し、「悟り」に到達しました事は、もう言うまでもない。しかし、多くの人々は、その「生老病死」の事事態を当たり前に受け入れていたが故、何の悩みも抱いていなかったのではないでしょうか。只、ひたすら、それによる苦しみに流され、一生を終えていたかもしれない。現代の人々も、それと同じ意識状態で人生を送っているのではないでしょうか。

 

自分が神の子である事を心から悟ったならば、本当の幸せを実感することが出来る。しかし、多くの人々は、その本当の幸せではなく、幻の幸せを求めているのが現状です。幻であるが故、それを手に入れる事に苦労しているのです。地位や名誉的な物事を求め、それが幸せだと自分自身を誤魔化して、この地上界での人生を送っている。知識的には知っているが、中々、この習慣から解脱する事が出来ないものです。酒やタバコがどれだけ体に害するか知識的には知っているが、それを止められないのと同じ事です。

 

しかし、本当の幸せは幻ではないが故、それを得るためには、そんなに苦労する必要はないのです。又、その本当の幸せは、自分自身の一番手元にあり、即ち、己自身の心の中に生存しているのです。其の事は、誰でもが、この地上界での人生行路の中で、数え切れない程、既に経験しているのです。只、幻を追い求めるが故、それを見逃しているだけの事です。私は、「その当たり前の中に神は愛を表す」と述べたのは、其の事でもあります。

 

人類を救う、即ち、己自身を救うと言うことは、その真実に目覚める事です。幻の幸せを追い求めるのではなく、真の幸せに目覚める事こそ、己を救う事です。別の言葉で言いますと、己は神の子であり、神のDNAを受け継いでいて、神そのものの愛、即ち、エネルギーの塊であり、無限の力が自分の心の中に宿っているということです。その力を復帰させる事で、己を迷いの世界から救う事になるのです。