高瀬は市立尼崎高校時代、無名の選手だったが、山梨学院に入学をして力をつけてきた選手だ。第84回箱根駅伝予選会では、チーム5位で走ると、第39回全日本大学駅伝は、9位でタスキを受け取ったが、区間14位で初の大学駅伝デビュー戦は洗礼を受けた。迎えた第84回箱根駅伝では、5区山上りを任され、トップでタスキを受け取った、当時、早大・駒野亮太と駒澤・安西秀幸と宮ノ下周辺で競り合いを見せたが、3位で芦ノ湖にフィニッシュをしたが、2区で区間新記録を樹立したメグボ・ジョブ・モグスの前で涙を流す姿が印象に残っていた。
2年生は故障で棒に振ってしまったが、出雲と全日本は出場出来なかったが、復帰戦となった第85回箱根駅伝では再度5区を任せたが、宮ノ下で早大・三輪真之と併走したが離されてしまい、中盤以降は、東洋大・柏原竜二、日体大・竹下正人、中央学院大・辻茂樹に抜かれ、往路5位と高瀬自身は区間22位と1年のリベンジを成し遂げる事が出来ずに悔しさを残した。香川・丸亀ハーフでは、駒澤勢の高林祐介・星創太に食らい付き、62分台に突入する走りを見せた。
3年生では三大駅伝では高瀬自身はフル出場をし、3区では区間5位とチームの準優勝に貢献、全日本大学駅伝では2区を走り、区間4位と駒澤・宇賀地強、東海大・村澤明伸、明治大・鎧坂哲哉に負けたものの区間4位の好走で連続シード死守と高瀬自身は早大・八木勇樹に勝つ走りを見せて自身をつけたのだ。自分から見た、高瀬は「これは箱根駅伝で、『花の2区』と『海岸線の3区』を走ってもおかしくない子や、平地だったら2区でも3区を走る事もあるんじゃないのかな」と絶品をした。その高瀬は、第86回箱根駅伝で2区を走ることになった。過去2年間の悔しさをぶつける走りを見せて区間7位だったものの十分に生かして、3位入賞に貢献をした。高瀬は月陸のコメントでは「自分としては、山上りより2区は楽なコースの印象で、権太坂も楽に行けました」と言った。丸亀ハーフマラソンでは、日本人学生で最速となる61分57秒を叩き出し、山梨学院の日本人選手の中で最速のランナーとして、ロード強化の練習では、モグスと一緒に練習をしている日々を送り、チームでは主将として、引っ張る事になった。
高瀬は誕生日が1月31日生まれだ。私の父と同じ誕生日の日であり、これからの高瀬無量の飛躍に注目をしたい。
【高瀬無量の学生駅伝の戦跡】
1年:第84回箱根駅伝予選会75位・第39回全日本大学駅伝2区区間14位・第84回箱根駅伝5区区間6位
2年:第20回出雲駅伝、第40回全日本大学駅伝不出場・第85回箱根駅伝5区区間22位
3年:第21回出雲駅伝3区区間5位・第41回全日本大学駅伝2区区間4位・第86回箱根駅伝2区区間7位