天使ママ小町~テディとミーシュカのママ~

天使ママ小町~テディとミーシュカのママ~

2012年2月、第1子テディを死産しました。妊娠39週2日、予定日目前の青天の霹靂ともいうべき出来事。

2013年6月、第2子ミーシュカを緊急帝王切開にて出産。低酸素脳症により、いくつかの障害を抱えることになりました。

Amebaでブログを始めよう!

約4年ぶりの更新です。

 

久しぶりにのぞいてみると、ずっと気になってたブロ友さんが大変な思いをしながらも無事に出産されてたり、小さく生まれた赤ちゃんがすくすく成長してたり、さらにもう一人出産されてたり、嬉しいニュースにたくさん出会えました。

 

早いもので、うちのミーシュカは5歳になりました。テディは生きていたら小学校1年生です。

 

今でも「大槽拡大」というキーワードで検索するとこのブログが上位に表示されることもあり、その後のことを書かねば…という責任のようなものは感じていたのですが、2年ほど前から生活が大きく変わってしまってなかなかブログを書くこともままならず。

 

赤ちゃんの大槽が大きいかも…と指摘された妊娠中の方にはあまり喜ばしいニュースではないことを先にお断りしておきます。

 

ミーシュカは3歳のときに気管切開をして、現在は在宅で人工呼吸器を使って生活しています。

 

ただ、これは大槽の拡大と直接関係があるわけではありません。

 

これまた3歳のころに研究機関で遺伝子の詳しい検査を受けることができました。テディの胎盤も出産した病院から取り寄せてもらい、死んだ細胞の検査はとても大変だったそうですが、なんとか遺伝子を取り出すことができ、兄弟の病気が見つかりました。

 

非常にレアな遺伝子変異を原因とする心疾患でした。私たち両親がそれぞれ別の変異を持っていて、その2つの変異がたまたま息子たち二人に両方とも遺伝してしまったことにより、胎内で心不全を起こしたのではないか?ということです。

 

それがもとで低酸素状態になったのがテディの死とミーシュカの仮死の最大の原因だろう、と推測しています。

 

低酸素脳症で大脳の広範囲と脳幹、脳梁が損傷を受けたのに加え、大槽が拡大しているように見えたのは結果的に小脳の低形成があったので、かなり重度の麻痺や失調、呼吸障害、嚥下障害が見られます。

 

ただ、いろんなお医者さんに繰り返し言われたのは、小脳だけでこんなことにはならない、といういこと。なので、大槽拡大だけでみんながみんなミーシュカのようにはならない、ということをご理解ください。

 

息子たちの遺伝子検査を受けたことで私と夫の心疾患も見つかることになり、妊娠中に私の心臓のポンプが十分でなかったために赤ちゃんに血液が回っていなかった可能性も高く、そのせいで脳がうまく形成されなかったのかも?ということです。

 

このように様々な要因が複雑に絡み合ってしまったために、二人とも元気に生まれてくることは叶いませんでしたが、少なくともミーシュカはとても朗らかで陽気な男の子に育っていて、どの瞬間を切り取っても私の大切な大切な宝物です。

 

これを書いている今も呼吸器をつけたまま暴れ回っていて、自分で回路を引っ張って外してしまうやんちゃ坊主。夜も外れてアラーム鳴ることしょっちゅう(;^ω^)

 

2歳の終わりから経管栄養になりましたが、療育園の給食の先生に教えてもらいながら家で作ったミキサー食も注入したり、それもけっこう楽しんでいます。

 

気管切開から半年ほどして、仕事は泣く泣くやめました。結果的には私に時間的余裕ができたことでミーシュカの生活リズムを整えやすくなり、てんかん発作が減ったような気がします。

 

2歳ころから年に6~7回は発作で救急搬送されて入院していて、そのうちの何回かはICU管理になったりもして、障害児街道まっしぐらな感じだったんですが、5歳になってからちょっと落ち着いてきました。

 

相変わらず言葉は喃語程度で首はすわらず、座位も立位ももちろん取れません。自分でおもちゃで遊ぶこともままならないけど、iPadを触るのは好き(笑)

 

うーたん、ワンワンも大好きだけど、いちばん好きなのはミニオン。何か月も前から計画を練りに練って、4歳の時にUSJにも行ってきました!

 

できればあと2人子供を産みたいと願っていましたが、今のところそれは叶いそうにありません。私に心疾患が見つかったことで、母体の安全が確保できないと産科の先生に大反対されていること、そして、私の命は助かったとしても、赤ちゃんに血液をうまく送れない心臓で妊娠する限りはまた赤ちゃんの命を危険にさらすこと、そんな事情であきらめざるを得ない状況です。養子縁組や養育里親をちらっと考えています。

 

あと、3年ほど前に父が亡くなりました。突然のことでした。苦しいと夜中に電話がかかってきて慌てて病院に連れて行って、そのまま入院して2日後に。その頃免許を取ったばかりだった私が父を助手席に乗せた最初で最後のドライブになってしまいました。テディの遺骨と並んで今もうちにいます。

 

呼吸器をつけているというものの、ミーシュカはとても元気にしています。私も苦労も多いけど幸せも多い毎日を送っています。障害児ママ以外の人付き合いがほとんどないのが目下の悩みかなあ。

 

Amebaの見た目がすっかり変わってしまって絵文字どうやるのか分からなくて文字ばっかりになってしまいました。

 

ここで出会った皆さんの幸せを画面のこちら側からお祈りしています。

 

また来ます!

いつの間にやらお空のテディは2歳に、地上のミーシュカは1歳になりました。

1歳の誕生日はホテルで盛大にお祝いしました。なかばやけっぱち(笑)

まだ首はすわりません。

寝返りもおすわりもハイハイもつかまり立ちもしません。

身長と体重は標準サイズなので、一言で言うなら大きな新生児って感じ。

離乳食もドロドロを1日2回がやっと。

若干の視力障害があることも判明し、なんだかんだで週に2~3回は療育に通ってますあせる

育休も終わったし忙しい~~(泣)

1歳の誕生日を機に手帳を申請。身障手帳と療育手帳と両方。今は判定待ちだけど、主治医の先生いわく、間違いなく1級&A判定でしょうと。

手帳ができたらバギー(車イス)やら座位保持イスやらいろいろ作ります。

手帳用の証明写真が可愛く撮れたからとりあえず満足(笑)

この1年で私はずいぶんたくましくなったはずなんだけど、最近PTSDの症状に悩まされ気味。

去年の今ごろ不安な気持ちで病院に通ったことを思い出すとどうもダメで…。

ちょっとずつ大丈夫になってたはずの子どもを亡くした人のニュースなんかもここのところ見ていられません。

こんな気持ちとは一生付き合っていくしかないんだろうと諦めてます。

ミーシュカが泣いたり笑ったりしてくれるおかげですぐに我に返れるからなんとかなってます。

アンパンマンとおかあさんといっしょが大好きで、歌を歌ってあげると大喜び。そこらへんはよその子と変わりないです。秋になって涼しくなったらアンパンマンミュージアムに行きたいな音譜

てんかんは発作はおさまったものの、高度な脳波異常は変わらずです。お薬の副作用か、でっかい石が2つ、腎臓にできてしまい、たびたび血尿が出ます。腎臓外来にもお世話になることに。脳神経に腎臓にフォローアップに、通院もなかなかヘビー汗

以上、駆け足での近況報告でした~。



しばらくAmebaにログインしていなかったので、その間にアメンバー申請してくださった方がいらしたら、もしかしたら気づいてないかもしれません。そのまま申請取り下げになってしまってると思います。

なんで承認されなかったんだろう??って方がいらしたら、すみませんが再度申請してみてください。


4ヶ月ぶりの更新になってしまいました。

息子たちにブログネームをつけました。

お兄ちゃん クマテディクマ

弟くん クマミーシュカクマ

今さらですがよろしくですラブラブ

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

ミーシュカ6ヶ月のときに「てんかん」と診断されました。
もともと脳を損傷しているし、高度な脳波異常ということで、まあまあ難治性のようです。
難しいてんかんである「ウエスト症候群」も完全には否定できず、お薬を飲みながら様子をみています。

振り返ってみたら、4ヶ月頃から発作が出ていたように思います。しばらくはただの反射だと思ってました。

抱っこしてないとずっと泣いてとにかく不機嫌、いつまで経っても夜間も頻繁に起きる。

こんなところからてんかんを疑って検査してみたら、脳波に異常が見つかりました。

生後2ヶ月のときは脳波に異常はなかったから、後になって出てきたのは残念だけど、早めに気付いて治療を開始できてよかったと思っています。

発達は超スローです汗

今8ヶ月。修正6ヶ月。まだちょっと首がぐにゃっとしてます。寝返りなんてまだまだ。

身長と体重は標準範囲内の小さめ。現在6キロ台。

春からは療育の園に入園することになりました。ちょっと遠いけど頑張って通います。
リハビリ付きの保育園って感じだそうです。でもママも1日中一緒にいなきゃいけないそうで。

最近はなんだかんだで週に2~3回は通院やら療育やらリハビリやらに出かけてますあせる

育休終わったら仕事どうしようガーン

前回はおっぱい出なくなってきた…って書いてたんですが、あれからなんとか盛り返し、今は哺乳瓶も搾乳もなしの完全母乳です。むしろ哺乳瓶は完全拒否するようになってしまったので、どこに行くにも連れて歩いてますショック!

こうなったらなったで、哺乳瓶で飲んでくれたら預けられるのに、と不満に思うべーっだ!

てんかんのお薬を飲むようになってからは機嫌がいいときも増えて、あやし笑いをしたり声を出しておしゃべりしたりもしてくれるようになりました。ますますかわいいですラブラブ

年が明けてからは離乳食も始めてますナイフとフォーク

栄養士さんの教えてくれたプラン通りにはなかなか進まず、バナナやリンゴといった甘い果物に偏ってますあせる

おかゆにこだわってたら一向に進みそうになくて。泣くし舌で押し出すし、全然食べてくれなくて…。

一旦思い切って中止したんですが、何かは食べさせないとよくないと小児科の先生に言われたので、
甘いものからでも飲み込むことに慣れてくれればと。甘いシロップのお薬が大好きだからなあ…。

尾木ママが「赤ちゃんは好き嫌いがあって当たり前」って言ってたから、そのうちなんでも食べられるようになるだろうと気楽に考えてます。だって、私はかなりの食いしん坊だもん。一緒に暮らしてたら食いしん坊に育つはず(笑)

なんとか予防接種も順調に終えたし、春まではシナジスのみ。

ミーシュカサイレンが鳴ったのでおしまい~~。

移植のことなどまた今度アップします。北海道か四国の病院に行ってみるかも~~。←備忘録。
退院して早くも1ヶ月ほどになります。

皆さんにご心配をおかけしているのにお知らせが遅くなってすみません。

おっぱい飲むのはへたっぴちゃんで、直母だけではなかなか難しく、今でも搾乳生活です。

直母練習→搾母乳を足す→次回分の搾乳

1クール1時間以上かかるので、これだけで日が暮れますあせる

乳腺炎以降どうもおっぱいの出が悪くなって焦りでイライラする日が続きました。1日1回ぐらいはミルクも足していました。NICU入院中は1日1000mlぐらい搾乳できてたのに。

どうやら『さし乳』に変わって搾乳では出にくくなったみたい。

それでも直母が苦手な我が子のためになんとか搾り出さねば。

ドイツのマリエン薬局のハーブティーとAMOMAのハーブティーをがぶ飲み。藁にもすがる思いで。

どちらも少しは効き目があったと思います。味は個人的にはマリエン薬局の方が好みなので、リピするなら多分マリエン薬局。

それでもやっぱり劇的な変化はなくて、なのにだんだん哺乳瓶が嫌いになってきた弟くん叫び

おっぱい出ない、直母がへたっぴ、哺乳瓶嫌い。三重苦ハートブレイク

現在ナウゼリンをお試し中です。

これは短期間でかなりはっきり効き目が現れました。

おっぱいの量さえ増えれば直母でやや流し込み気味にすれば搾乳と合わせて必要量を飲めます。哺乳瓶も完全拒否ってほどでもないので。

早産児だし、口が小さいし、体が大きくなって口も成長するのを待つしかないという助産師さんのお話なので、それまでなんとかこんな感じでやって行こうかと。

来週はお宮参り音譜

やっとやっとです。もう体重5キロもあるんだけど。首もほとんどすわりかけ。

(首もすわらないかもしれないって言った医者出て来いよ!!ってたまに思うw)

障害らしき障害は今のところありません。喃語が出なかったり声を出して笑わなかったりがちょっと気にはなるけど、個人差の範囲かもしれないし、発育遅延を疑うには早過ぎるかも?

最近はベビーカーでお出かけするのが楽しくて、昨日もベビー服のお店に連れて行って冬物を当ててみてるうちになかば衝動買い。本人は裸が好きみたいだけど。

ひいおばあちゃんもかなりのフィーバーぶりで、しょっちゅうおもちゃやら服やら食器やらを買ってくれます。

もういつお迎えが来てもいいと思ってたけどやっぱりもっと長生きしたくなった、って。

赤ちゃんの力ってすごいなって日々感じてます。

全然寝る暇もなくて大変だけど、弟くんとのおうちでの生活、ホントに楽しいですラブラブ
母子入院開始から一週間近く経った火曜日。

朝から寒い、だるい、気持ち悪い。

熱がぐんぐん上がって最終的に38.7℃。

あ、弟くんではなく私の熱です。

どうやら乳腺炎のようです汗

こんな高熱は人生で2回目ぐらい。

早くなんとかしたいのに母乳外来の予約が金曜日までいっぱいダウン

病院にいるのに解熱剤1錠さえもらえない状況。私は入院扱いじゃないからね。

抱っこもできないほど関節痛がひどくて、こりゃもう我慢の限界だと感じて、おっぱいは搾乳して捨てることにして市販の解熱剤を飲みました。

真っ赤な顔してふーふー言ってたら、助産師さんが特別に小児科病棟まで出張母乳外来をしに来てくれました!!

しかも、産科の先生に確認してもらったら薬の成分的に授乳もOK。

助かったアップ

ミルクの缶を開ける寸前でした。

2日経った今も体はだるいしおっぱいは痛いけど、だましだまし頑張ってます。

熱が出た日は夫に早く来てもらったのですが、薬を飲んでもまだ熱が下がり切らない私を尻目にベッドに転がってイビキをかく始末!

腹が立つより悲しくなって、でも朝早く叩き起こされて呼び出されて疲れてるのも理解できるから責めるわけにもいかないし…。

その日の晩は悶々としましたが、あることをひらめきました。

そうだ、簡易ベッドを借りようひらめき電球

病室にベッドを3つ並べて川の字です。

これで問題解決。

責めないように、悲しかったことだけはやんわり伝えました。このままだとケンカふっかけることになるからベッド借りることにしたよ、私って賢いでしょ?と(笑)

しかし、また熱が出てきたような気配。今日だけ夫も泊まって夜のお世話を手伝わせてもらえないか、ダメ元で看護師さんに聞いてみる予定。

最初は二人で泊まっていいって話だったんだよね、そもそも。一人で夜は全部やらなきゃいけないって分かってたらさっさと家に帰ったっちゅーの!
昨日GCUを出て小児科病棟に移り、母子入院中です。

24時間付き添いで育児練習。

看護師さんにはあまり手を借りず、家と同じような生活を体験してみてます。

夕べは思いのほかよく寝てくれて助かった~♪

ただいま添い寝中ラブラブ

お母さんしか付き添いできないので夜は全部のお世話を一人で。

お昼から夫が来てくれるのでバトンタッチしてお昼寝したいです。

トイレに行く暇もないほど日中は泣き続けてますあせる

さっきやっと寝てくれたけどもう起きそうな気配。

来週中には退院できそうです!!
久ーしぶりに少しゆっくりパソコンの前に座っています。

弟くん、生後2ヶ月ちょっと。

これまで1回の搾乳に小一時間かかっていたことを看護師さんに話すと、準備から片付けまで入れて30分で終わらせるように言われました。

そしたらめっちゃ楽!!

空いた時間に洗濯したりゴロゴロしたり、こうやってパソコンに向かったり。

しかも、驚愕の事実。時間短縮しても1日のトータルの搾乳量に変化なし叫び

もっと早く相談しとけばよかった~~~ショック!

授乳も弟くんが吸い続けるもんだから1時間とかあっという間に経ってしまうけど、最後の方は遊んでるだけで全然飲めていない模様。最近は30分以内で切り上げてます。それでは足りなくてすぐに泣くけど、泣いたら再度授乳。あるいは哺乳瓶で搾乳をあげてます。

妊娠中は完全母乳にこだわってたし、哺乳瓶は使わないつもりでいたけど、NICUやGCUで哺乳瓶使わないわけにはいかないし、なぜかたまにミルク足されてるし、もう開き直りました(笑)

そのうち完直母になればいいかな~って感じ。夫も哺乳瓶であげるの楽しんでるし。

早産児なので、まだまだ直母オンリーでいけるだけの体力もないようです。タイプ的に頻回授乳が必要な子っていうのもあります。そしてかなりよく泣く方だそうで、カロリー消費が激しいからなかなか体重が増えず、体力もアップしない…。

でもおっぱい星人になりそうな気配はむんむん漂ってます。

授乳室に入って私が服をめくると鼻息荒くはぐはぐ言うのがたまらなく可愛いラブラブ

今のうちに飲んどかないと次はいつおっぱいにありつけるか分からないぞ!って危機感はてなマーク

だとしたら可哀想。

早く連れて帰っていつでも好きなときに飲ませてあげたい。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

気になる後遺症については、早速リハビリに取り組んでます。

体操しようね、って身体に触ると大泣き。まともに全部のプログラムをやりとげられてはいないけど、これも限られた面会時間の中で機嫌のいいタイミングを探して全部やろうってのが無理な話で。そこまで頑張らなければいけない状態でもないそうです。

リハビリの中でうつぶせにしたらちゃんと首を持ち上げるのを見て感動目

首もすわらないかもしれないなんて単なる脅し?とか思ってしまいました。

ある日の帰り道、夫がぽつりと言いました。

「普通じゃない面白い子育てができそう。」って。

「ウチでよかった。」とも言っていました。

あれができた、これができた、って小さなことでも喜べる育児。弟くんのいいところを一生懸命探す育児。できないことじゃなくて、できることを探して伸ばしてあげる育児。

私たち、意外と障害のある子を育てるのが向いてるのかも?なんて今は話しています。だからウチに来てくれたんじゃないかって。

目の前が真っ暗な時期はもう抜け出したように思います。

リハビリ以外に独自にベビーサインも少しだけ取り入れています。将来もし言葉が話せなくても意思表示ができるように。手の動きを真似ることができたら知能の発達にもいいかな?って思うし。

今週は退院に向けて最後の眼科検診もあって、未熟児網膜症は完治しているようです。怖い検査だから、もう1回受診ってことにならなくてよかった。あとは内服薬の飲ませ方を教えてもらったら帰れるんじゃないかなあ?と私は思ってるんだけど、なかなか具体的な退院日が決まりませんあせる

でももうすぐです。待ち遠しい音譜

あ、ちなみに私、自分が退院してから7キロ痩せました。妊娠前からマイナス4キロ。弟くんが帰ってきたら引きこもってまた太りそう汗
生後7週間ちょっと。
先週NICUからGCUに引っ越しましたクラッカー

あと1週間ぐらいで人工呼吸器外しましょうって言われたのが先週月曜日。そんな記事をちょっとずつ書いてたんですが、翌日病院に行くと顔まわりがスッキリした息子。なんと翌日に呼吸器が外れていましたビックリマーク

さらにそこから1週間で動脈カテーテルを抜く予定でしたが、2日後にそれも抜け、いつの間にやら栄養の点滴もなくなり。

先週は怒涛のような1週間でした。記事が追いつかずあせる

最近は抱っこし放題ラブラブ

ただ、残念なことに、肝機能障害や黄疸の治療のために特殊ミルクが必要になってしまい、母乳NGな日々が続いていますしょぼん

それでもミルクの時間に合わせて病院に通って、1日に1回は私と夫で授乳しています。哺乳瓶で口から全部飲めることが増えてきました音譜

黄疸が落ち着いたら退院かな?と思っていたのですが、次は未熟児網膜症の検査に引っかかってしまい、再検査やらでまだしばらく入院が続きそうです。

薄暗くて物々しい雰囲気のNICUよりはるかに(親の)居心地がいいGCU。あそこならゆったり面会できるし、お世話も自分でできることが増えてきたし、もうちょっと頑張れそう。

おっぱいが待ち遠しいです。今日はお腹が空いて泣いてるって分かってるのに抱っこしてあやすしかできないのが切なくて、私の方が泣きそうでした。直母だったらいつでもあげられるのにしょぼん

親としての自信をちょっぴり失くす瞬間です。治療上必要な我慢なんだけど、それでもね…。

だけど、『退院』の二文字の後ろ姿がかすかに見えてきてるって気がしてて、それはすごく嬉しいことですニコニコ

今月はいろいろありました…。

2週間ほど前に母の自殺未遂→入院→退院。

息子のところにいたら母の訪問看護師さんに呼び出されて、駆けつけて救急車呼んで入院させて。

その後も通院に家族の同伴が必要と言われて付き添ったり。

退院後少し実家に帰っていた母の荷物を、車で自宅と実家の往復運んでくれた夫にお礼も言わなかったことにブチ切れ。

さらに20キロはある巨大な荷物二つを術後6週間の私に車から運ばせて、自分は黙ってエレベーターで先に自宅のある階へ行ってしまったことにブチ切れ。

病気のせいにしてもひどすぎる。荷物の中身も目覚まし時計3つに体重計など意味不明。実家に体重計持って帰るって??

もう母のことはどうでもいいやって感じ。少しは夫に気を使ってくれないと、私の立場がないです。母のために何かしてやってほしいってもう頼めません。

母が自分で種をまいてくれたおかげで、母のことは放置して息子のことに集中できるって思うようにしてます。

今回の件では妹も全然協力してくれなくて、それについても言いたいことはあったけど、もうそれもどうでもいいです。

母はタイミングを図って計画的にやってるので、心配したら思うツボ。反応しないに限ります。この大変なときに迷惑かけるなよって感じ。

そんなこんなで7月も終わります。

以上、愚痴半分の近況報告でした。
今日はいつもより少し早めの面会。

1時ちょっと前、そろそろ帰ろうかというときに、突然「1時からミルク始めますね~。」と看護師さん。

えーっ!?

ちょっと待ってあせる

病院に保管してもらってた冷凍母乳、もう期限切れで廃棄になってるよねはてなマーク

当たり前のようにミルクをあげようとされたことにちょっとショック叫び

やっと鼻から栄養入れられる喜びはもちろんあるんだけど、せっかく家に山ほど母乳を置いてあるのにミルクをあげられてしまうという状況に戸惑う。この状況だからこそ、早産児だからこその完全母乳を目指してたから。

産科の看護師さんは全員、私が完全母乳を目指してることを把握して協力してくれていました。小児科には伝わってなかったのかな…。

明日までミルクでも仕方ないな…と諦めかけてふと思いつくひらめき電球

今ここで搾乳すればいいひらめき電球ひらめき電球ひらめき電球

少しだけ待ってもらって急いで搾乳しました。明日までに必要な分だけ大慌てで。

なんとか最初に母乳をお腹に入れてあげられましたラブラブ

たまたま早めに行ってなかったら知らない間にミルクを入れることになってたのかと思うと、すべて偶然ギリギリのタイミングで上手くいくのは弟くんが私を呼んでくれてるからなのかな?なんて考えちゃいます。

突然始まった初めてのおっぱい、しっかりビデオに残すこともできました。

まだまだ始まらないと思ってたのに、日々できることが増えていくから置いて行かれそう。

そろそろ2回目のおっぱいをもらってる頃かな。