結局、メソッドなんてない! あえて言うなら「機能する心」を働かせること | 灯台からの光

灯台からの光

いつも良い気分でいよう。明るい良い気分は幸せへの道を指す灯台からの明かり。

カテゴリ『バクティ・メソッド』なのに、「結局、メソッドなんてない!」って見も蓋もないタイトルですが、バクティ的にいえば、結局何のメソッドをしても無駄無駄無駄ぁーっなんでしょうね。

このまえラメッシの本『誰がかまうもんか』を読み返した時に、そう思いました。


昔は、ハタヨガをやったり、座禅を何時間もしたりしたけど、私がそういうのをやるときには、やはり期待してやってたんですね。期待しないでそういうのをやることは何よりもすばらしいことだけど、そこに何らかの期待――悟りたい、幸せになりたい――がある限り、テレビ見ているのと変わらないのかもしれないです。何らかのメソッドをするときも動揺に、結果に期待している。だから、それがダメなんです。

でも、教えを学ぶことは意味のあることだと思います。でも、学ぶなら、良質な教えを学ばねばなりません。変な教えを学ぶくらいなら、『ジョジョ』でも読みましょう。もっと為になります。



さて、タイトルにもあるように、「機能する心」を働かせることは大切なのです。それがメソッドだと思います。
機能する心というのは、ラメッシの本に出てくる単語ですが、式であらわすと以下のようになります。

機能する心 = 心 - エゴ

例えば、「centerfold」という単語を見て、瞬時に「Jガイルズバンド」の歌を思い出したり、「袋とじ」という単語に訳せたり、「それ、なに?」と思いGoogle翻訳をするのが機能する心です。 

さて、その機能する心を暇にさせておかないのは重要です。
『ギーター』でも、行為をすることの重要性を言いますが、大抵人生が上手く行かないとか言うときは、何かはまってやれるものがないのだと思います。
やるべきこと――義務をやるのは大切だけど、それ以外の時間に趣味とかするのは重要だと思います。何かしら生きがいや趣味があると、義務をこなすもうまくいく。
義務を上手くいかせるためにも、余暇の時間に「機能する心」を楽しませて何かに従事させませしょう。
はまって読めるなら、ラメッシやラーマクリシュナを読んでもいいし、楽しくできるならヨガや座禅をしてもいいし、ジョジョを読んでもいいと思います。



どうでもいいけど、いつかスピ系の「インドもの」には萌えがないとの暴言を吐いたのですが、萌え発見。
このクリシュナの絵はDhrti Dasiという人が描いたそうなんですが、BLのキャラのようでツボです。

クリシュナ