小次郎屋&よきとブログ
FC2  2009年1月24日〜
小次郎屋よきと
アメブロ 2016年8月31日まで

小次郎くんと
小次郎くんの為に描き始めた絵
そこから広がったアート活動
を書き綴ったブログです

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FC2初登場の小次郎くん

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病気でも頑張り続け大きくなった
小次郎くん

発作の度に励ましてくれた皆さん
絵を応援してくれた皆さんへ

沢山のありがとう

私は小次郎くんと共にこれからも
絵を描いていきます

本当にありがとうございました

小次郎屋よきと
小次郎くんと過ごした間も義父の入院、他界

母が脳梗塞で倒れひどくは無いですが認知症になったり

私も網膜剥離で失明する可能性もと言われたり

他にも生きてると沢山大変な事が起こります

小次郎くんの発作はいつまでも慣れず心が痛くなりましたが

小次郎くんはいつも私達を笑顔にしました

絵を描いてるとかまってほしくて手で私を
かきかきしたり

イタズラして気を引いたり、わざと離れて

呼びに来るよう仕向けたり、私と旦那が二人で話してると

やきもちですぐに拗ねました

私は暇さえあればギュギュと抱きしめ

抱っこしてテレビを見たり1日中話しかけてました

旦那がコンビニへ行くと帰って来るまで玄関に坐ってました

散歩の時に旦那を見つけると喜んで走って行きました

小次郎くんの発作は本当に酷かったです

よく、小次郎くんは私達夫婦に可愛がられ

幸せだねと言われましたが発作の酷さを知ってる私達は

そういう風には思えませんでした

しかし、確かに小次郎くんはいつも楽しそうで機嫌よく

私達を笑顔にしました

小次郎くんから貰ったものは数えきれないです

好きだったけど描けると思ってなかった絵が描けるようになり

アート活動から沢山の友達、仲間、繋がりが出来ました

それから、現在の私を知ってる人は以外でしょうが

私は人見知りでそれも小次郎くんの散歩で

沢山の人と話したり何より小次郎くんに

心開く事で誰とでも話せるようになってきたのです

ちなみに私の企画展、初出展の小次郎くんの2枚の絵は

企画展で1番に売れ2枚共お嫁入りしました

それから、私は旦那と付き合ってる当時に

原因不明の病気になり医者から結婚も

働く事も無理と言われました

縁あって旦那と結婚しましたが今でも時々

家事を放棄し寝込んだりします

有難い事に旦那は慣れたもの電話1本で

お弁当買ってきてくれます

そんな時に思います

小次郎くんは生きてると事が楽しくいつも
機嫌がよかった

小次郎くんに関わらず誰しも明日はすごくいいかもしれない

もしくは悪いかもしれない

先なんて分からないなら今を楽しく!

そうやって生きていこうと思ってます

私はずっと通院してるし不眠症だし、しょっ中無理!

とか思ったりする方ですが周りからは

とても楽しそうに活動的に見えるらしいです

これは小次郎ソウルですね  笑

目の前の事を楽しむ事を心がけてるので

いつも楽しそうに見えるようです

では明日、小次郎くんの写真でこのブログをしめます

小次郎くんから

人生良い事もあれば嫌な事も

きっとたくさん

だから、今を楽しく生きて下さい!


小次郎くんは最後は余命1年と宣告された

特発性脳炎の病気では無くお薬の副作用で

亡くなったような感じです

原因不明で脚がふらつきちゃんと歩けなくなり

腹水が溜まりだし、どんなに具合が悪くても

食欲だけは旺盛でしたが最後は飲み込む力も無く

注射器であげてました

腹水がひどく旦那の自転車の前かごに乗せ

私は後ろから付いていき銀杏がきれいでそれが

3人で出かけた最後になりました

病院から帰ったその夜に寝ていた小次郎くんが

自分の異変にどうしていいか分からない感じで

旦那の方へそして私の方へ歩くと倒れ

動けなくなりました

私が小次郎くんを抱き旦那は隣へ座り

小次郎くんの名前を呼び、そして息が遠くなり

途絶えそうになった時、旦那がもう一息頑張れと言い

最後にそれまでより大きな息をし小次郎くんは

息絶えました

実は先生からそれまでに安楽死の選択肢や

私達夫婦が諦めない限り小次郎くんは

頑張り続けるから、もう頑張らなくていいと

思うように言われてました

しかし、小次郎くんは数えきれないくらいの

発作を乗り越え私達を笑顔にしてくれました

小次郎くんはいつも機嫌の良い子でした

いつも楽しそうに布団の上で仰向けになり

体を揺らし

私は小次郎くんはいつも楽しそうだねと言ってました

私達夫婦が二人で話してると拗ねて遠くから

ちらちらアピールし迎えに行くとうれしそうで

ほんとにかわいい子でした

小次郎くんはいつも楽しく機嫌がよく

だから生きたい!生きてると病気になっても

楽しいこといっぱいあるから生きたい!と思い

その強い気持ちが何度も発作を乗り越えさせたと思います

だから、私達は小次郎くんが

ごはんが食べられなくなっても

小次郎くんにもういいよとは言いませんでした

それは小次郎くんには酷だったかもしれませんが

最後にやはり私達の気持ちに応える形で

大きな息で最後を迎えました

最後まで生きる!という事を小次郎くんは

諦めなかったんだと思います

小次郎くんとの暮らしは綺麗事だけでは有りません

どちらかが小次郎くんの側にいる為

私達は留守が出来ず用事もままならない感じで

夫婦喧嘩もよくしました

夜中に発作がある為二人共すぐ気付かないと

いけないと睡眠も浅かったです

そして、何よりいつ発作になり亡くなるかもしれない

という緊張感は私達の神経を疲れさせました

しかし、それを超えて小次郎は愛くるしい子でした

結果、生後10ヶ月で余命1年と言われた子は

8年4ヶ月生きてくれました

小次郎くんと暮らし感じた事を明日は書きます

そして、小次郎くんの為に始めたこのブログも

終わりにします