今回も外飲みの記事です。
 名古屋大曽根にて立ち寄った『“酒肴吟味”これから』様より頂いた『篠峯』(千代酒造)です。
 
 『篠峯』は各所より「美味い」と評判であるため、かねてよりマークしていた銘酒です。
 今回飲ませて頂いたものは海外に発注されるはずのものが諸々の事情で我が国で流通するようになったお酒であるらしく、百本ほどしか出回って無いとか。
 
 


 『磯自慢』『飛露喜』『新政』等もあり、これらも掛け値無しにいいお酒なのですが、噂のお酒の名を見て即決めた次第です。
 
 そしてちびりと……
 刹那、鳥肌が立ってきました。なんなんだこの作品は!
 いやそんな言葉で形容しちゃいけない……舞い降りている!神?精霊?霊魂?そんな感じのものが宿っている!
 神やら仏やらと非科学的なものを信じても意味がないと嘯く人達がいますが、そういう人は祈ることの意味を分かっていないと思います。
 
 口に含むと広がる上品な旨さ!米の旨味とリースリングのようなフルーティさの両方を兼ね揃え、それでありながら優しい酸味が体を流れていく感じ!
 こういう作品を「フィネスのある」お酒と言うんですかね。米とフルーティーさのテクスチャーがバランス良くありますので。
 日本酒の伝統を米の旨味に求めるのだとするのなら、フルーティさといったものだけに糊塗せず、米を感じられるような出来にこそフィネスの有無を求めるものですが、伝統文化とモダニズムの両立された奇跡ともいうべき出来に思わず感嘆……
 この銘酒は間違いなく、『花陽浴』などと並んで次代の日本酒業界を引っ張る存在になるのは間違いないでしょう!
 
 お店で出された自家製ソーセージ(これも美味でした)とも相性抜群。もはや異空間です。
 肴に頼んだソーセージの写真を撮り忘れ、ただこのお酒の味に感動し、感動するだけ。
 
 しかし、この『篠峯』の味わいって、瀬戸焼とかの陶磁器にも通じるものがあるんだろうな……




 瀬戸で買った織部とか黄瀬戸とか酉の置物とか。
 
 瀬戸焼はその時代ごとの先進の技法を取り入れ、伝統的な須恵器の枠を超えた陶器を次々に世に出してきました。釉薬の技術も日本では瀬戸焼が初です。また、磁器の技術を有田焼からラーニングし、磁器でも名品を作り出しています。現在における『TOTO』『日本ガイシ』といった企業も瀬戸の磁器工芸に端を発しています。
 
 そういえば、陶磁器の文化はおもてなしの文化なのだそうです。
 不定形というものが存在せず、それぞれが意味を持っています。厚さや形のひとつひとつにそれぞれ意味があり、それらを理解したうえでどう組み合わせたら訪問する人たちを楽しませることができるか。これが大事なのです。
 たとえばお茶碗。大食いの人は「なぜお茶碗はこんなに小さいのか」という事を言うかもしれませんが、ご飯は本来おかわりするもの。おかわりもせずにこんもりと大きな椀に入れたところでご飯が冷めてまずくなり、お客様に対し逆に失礼となってしまいます。そして、お客様がおかわりするときに自分が動くことこそおもてなしの精神というもの。
 そして瀬戸焼も、こうした伝統を考慮したなかで手造りの作品を今でも造っています。
 
 このように、瀬戸焼も伝統とモダニズムの両輪によって成り立ってきました。
 伝統が廃れたとき、文化は文化の体を無くし、風化していきます。
 しかし、伝統だけでは守られているだけの形骸化したものになりがちです。
 伝統と改革が両輪となり、文化とは正しく継承されていくのです。
 
 節操もなくお酒の感想を書いていた身としては、こういう精神性も大事にしていかないとな……と思うばかりです。

 改めまして、『“酒肴吟味”これから』様、貴重な作品を出して下さりありがとうございました。ごちそうさまです。
 大曽根に立ち寄ることがありましたら、また立ち寄りたいです。