こんにちは。
そんなに頻繁に更新はしていなかったのですが
ワン達のブログを読み直してブログで書き残すのも良いものだなぁ。なんて最近思いました。
いつかのマルちゃんの写真をちょいちょい挟みながらお話ししますね。笑。
ブログを読んでいたら
沢山忘れていた事を沢山思い出しました。
当時はデジカメからパソコンに画像を入れてパソコンでブログを書くというとても面倒な作業でしたが、今はスマホで撮ってスマホで書けるんだもんね。
短くても少しまた残そうかなぁ。
なんて考えたりしました。
思い出すのは辛いのですがマルちゃんの話の続きです。誰も読まないかもしれないけれど必要な誰かに辿り着いて少しでも参考にして貰えたら幸いです。
2度の虚脱から、これは一過性のものではなくて心タンポナーデなのでは。と確信して沢山ブログを検索し、これからどういう経過を辿っていくのかを調べました。寝る前に心タンポナーデの子のブログを読んで泣いて泣いて不安で眠れなくなりました。仕事中はいつも携帯をぽっけに入れて家族から連絡があったらすぐ帰れるようにしました。常に不安が心の中にあって気持ちの晴れない日が続きました。
先生は好きなものを食べさせてください。と言っていたけれど、心タンポナーデだとしたら炭水化物は腫瘍の栄養になるので、マルの大好きなお煎餅をあげるのをやめました。心臓に腫瘍があったとしたらそれは興奮で爆けるらしい。なのでお散歩をお休み中だったマルの唯一の楽しみだった、ベランダから外を覗く事が出来ないように布を張りました。
向かいがアパートで人がいたりすると吠えたり、猫が見えると興奮して吠えたりするので心苦しかったけれど塞いでしまいました。
来とマルは歩くスピードが違っていたので、朝のお散歩は来の後にマル。夕方は調子が良ければ一緒にカートでお散歩していたのですが、朝さんぽから来が帰ってきて“次だよね?”ってドアの前で順番を待つマルを見るのがとても可哀想でした。
とっても苦しくて友達に相談した時、一番救われたのが“あんまり悲観的にならなくて大丈夫よ。”
“辛くても沢山知識を入れておくといざという時に正しい決断ができるよ。”という言葉でした。
その言葉の通り、最期の選択は正しかったと思うし、愛された犬達は私たちの願うようにギリギリまでそんなに苦しまずに頑張ってくれるのだと思います。
3回目の虚脱は友達がお見舞いにマルの顔を見に来てくれた後でした。寝ている所に急に部屋にマスクを付けた二人が入ってきたので驚いて飛び起きて吠えました。大丈夫かととても心配したのですが、案の定友達が帰ってからおしっこをした後に倒れました。
ポロポロとうんちをしたのでもう危ないかと心配したのですが何とか持ち直し、病院に問い合わせると回復を待つより、起きれなくてもすぐ病院に連れて来るように。との事で急いで病院に向かいました。
心嚢水が25ml溜まっていました。
抜くとすぐ元気になり回復室にいる間も帰るー帰るーと吠え続けました。声がカスカスでした。
2度目の虚脱から5日後の事でした。
家に帰ったマルは元気ではあったけれど、夜はあまり眠れず翌朝のごはんも吐いてしまいました。
咳もありました。
3回目の虚脱から1日目。
呼吸が浅かったものの夜はよく眠ってくれました。
2日目。
朝のウンチも良く午前中もゆっくりゆっくり歩いてお散歩出来ました◎
3日目。
朝と夕散歩出来ました。
昼間夜中も咳なし。
4日目。
夕方に咳。
息は荒い。
5日目。
咳なく良く眠れている。
夕方声めっちゃ大きくて元気!
ご飯の時ジャンプ!!
6日目。
朝から咳。涙。
咳がひどくて5分以上眠れず。
夜も眠れなくて子どもたちが起きてる部屋にきてウロウロ。“マルー。チュウ。”というとみんなに順番にチュウをして回ってくれました。
夜中もずっと咳で5分おきに目覚め可哀想でなりませんでした。朝方になると少し眠れました。
7日目。
朝ご飯を食べたら吐きその後スープ多めのご飯を食べました。りんごは食べず。鹿肉ジャーキーは食べました。病院へ行こうとしたら眠ってるから少し眠らせておいたけれど、マルが起きて来てドアの前で私を見つめ病院に行くのがわかってる様子でした。一人で行こうと思ったけれど長女を誘ったら一緒に来てくれました。
病院でおやつが欲しいとバッグを漁ったけれど、心嚢水を抜く時に吐いてしまったら困るので“あとからね。”とおあずけ。
先生の話だと心嚢水と胸水が溜まっていて咳が止まらないとの事でした。狙ってできる事ではないけれど、心嚢水を抜く時に肺の方に破く事が出来れば、心臓に溜まった血液は肺に流れるから心臓からじわじわ出血しても楽になります。心臓より肺に溜まる方が苦しくないと。やってみます。との事でした。
マルは嫌だった事は忘れない子なので、4回目の今回は心嚢水を抜く時に暴れて大変だったそうです。
心嚢水は血液混じりのお水からほぼ血へと変わっていました。お水を抜いたマルは先生に抱かれて部屋から出てくると床に降りて一目散に私の方に走ってきました。
“マルー。”と呼んだことは覚えています。
抱きしめてあげられたかどうかは覚えていません。
“帰ろうー。”と声をかけて服を着せながら先生と話をしているとマルの力がふっと抜けて伏せをしました。
先生は心音を聴き目を見て、酸素室へ!と言いました。私はもうここでいいです。これ以上はマルが可哀想だから。ただ、看取るのが初めてで怖いから一緒にいて欲しいと伝えました。
マルはそのまま横になりウンチとおしっこをしました。少したら呼びます。と先生が抱いて中へ連れて行ってくれました。娘は助かるかもしれないと号泣していましたが、マルにはもう苦しい思いはさせたくなかった。
少しして呼ばれるとマルは心拍と、呼吸器をつけられて台の上に横たわっていました。マルに声をかけると心拍が上がり、何度も下がった心拍を戻したいと、止まりそうな呼吸をしようとフガフガと息をしようとしました。生きようとしました。
私はマルをここで逝かせてよかったのかと後から何度も考えました。
マルちゃんとお別れをし、家に帰ってからもマルの体温が残っているうちは冷やさず、長男が帰ってマルの温もりを最後に感じてもらってからお腹を冷やしました。
今もマルとのお別れの写真は辛くて見れません。
ただ、もしこれから愛犬とお別れをしなければならない人が読んでくれているなら私が最後にマルを抱きしめてあげれなかった事をとても悔やんでいます。
どうか、お別れの時は抱きしめてあげて欲しい。
後から思えばお別れ前の数週間、腫瘍の餌になるからと炭水化物をあげないなんて何の意味もなかったと思います。好きなものを好きなだけとは言わないけれど我慢させる必要はなかったなぁと思ってます。
以前のブログよりマルの30日と40日の写真。
さて。この後マルは不思議な体験をさせてくれました。今度は間を空けずに書けたらいいなー。