乗り継ぎのため48時間だけ日本に一時帰国中です。

 

旅先や海外で日本のラジオを聞くためにいろいろ試行錯誤中です。とくにニュース番組系が聞きたいのです。

 

方法1 ラジコ

ラジコは大変便利なソフトで、日本にいるときは大変お世話になっています。

http://radiko.jp/#!/timeshift

スマホ用のアプリもあり。

 

何がすごいかというと、

1)FMのみならずAMも聞ける

2)ライブ放送のみならずタイムプラス機能で(1週間に限り)過去の放送も聞ける

3)基本的に無料

 

ただ、以下のような問題があります。

1)パソコンやスマホが海外にあることが検知されると使えない設定

2)エリアフリー(有料)は日本国内でのみ可能(例:東京で九州のFMを聞く)

3)ラジコが海外で聞けるとうたう有料VPNサービスも試したが、うまくいかなかった

 

方法2 リスモウェーブ

 

こちらはスマホのアプリで提供されています。エリア制限がなくて海外でも使えるのですが、以下のような問題があります。

 

1)FMは聞けるがAMは聞けない

2)ライブ放送のみでタイムフリーはない

3)基本的に有料(月500円)

 

1)2)をぜひとも改善していただきたい。1000円超えても需要はあると思いますが、2000円超えてしまうとCTV・BSに負けてしまうかもしれません。

 

方法3 ユーチューブ

ユーチューブには、いくつかのラジオ番組が公式にアップされている。

例えば、日本ではタイムプラスでよく聞いていたニッポン放送の辛坊治郎ズームが、海外でも聞けます。

https://www.youtube.com/watch?v=-RT3bWJ5ggo

 

どなたかほかにいい方法があれば教えていただけるとありがたいです。

 

 

BBCのニュース

なお、英国BBCのニュースは24時間全世界で聞けて、無料、しかもチャンネルがいくつもあります。スマホのアプリもあって便利。

http://www.bbc.co.uk/radio

日本のラジオもインターネット放送をもっと強化してくれるとありがたいのですが。

 

J-Wave、Jam the world:

海外で私が一番聞きたい番組は、J-waveのJam the World。

超有名とは必ずしも言えないジャーナリストが、日替わりで話題のニュースを取り上げたり、ゲストとともにその人の専門分野の議論をするのですが、時々すごくレアな情報が入ります。

 

大手マスコミや売れっ子タレントではとても危なくて触れられないようなテーマも。

例えば、昨日(7/7)は、C**エージェントだった岸信介や児玉誉士夫の情報が米国公文書館でどのように保管されているかなど話していました。

 

他のおすすめ番組

・岩瀬恵子スマートNews(ラジオ日本)

http://www.jorf.co.jp/?program=smartnews

日本では毎朝起きたらこれを流していました。

 

・荻上チキ (TBSラジオ)

ただ、ちょっと弱者保護(左系?)の視点が強く、いじめ対策とかの話題が多いです。

 

・J-wave ブックバー

書籍の紹介番組。杏と大倉さんのトークがよい。ニュース系じゃないけど面白いです。

 

・J-wave Traveling without moving (野村訓市)

基本的に音楽番組ですが、この人の自由翻弄な旅を通じて感じたこと的なコメントは面白いです。私も「実際に動かずして旅をする」境地に至りたいような、決してそうはなりたくないような・・・。

 

 

 

 

 

 

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2017.6.29の読売新聞の報道によると:

 

http://www.yomiuri.co.jp/national/20170629-OYT1T50064.html?from=ytop_main1

 

1 日本人の出入国に、指紋認証に替えて顔認証が導入される見込み

2 現在自動化ゲート利用に必要な事前登録が不要になる

3 パスポートのページはかざすだけでガラス面に乗せなくてよい

4 約15秒で「審査」が終わる

5 来年度(2018.4-)から実施

 

のようだ。

 

このうち、1・2はすでに発表されていたが、3については公表されていなかったのではなかろうか。

 

外務省の報告(H29.3)では、日本人の出入国に顔認証を導入する方向であることは言及している。そこでは、従来の自動化ゲート同様パスポートを開いて読み取り機に乗せる「接触型」を想定してる。

http://www.moj.go.jp/content/001220308.pdf

 

これに対し、今回の読売新聞の報道では、接触型ではなくページをかざすだけの非接触型を想定している。スイカやパスモなどの非接触型カード導入により、かざすだけで処理が一瞬で終わるようになり、日本の交通機関や買い物が飛躍的に便利になった。この技術を入国管理に適用できるなら利用者にとっては喜ばしい。

 

顔認証技術を入管に生かすだけでもすごい技術だけれど、審査時間の短縮化により貢献するのはおそらくこの非接触化ではないだろうか。

 

4の「約15秒」というのもうれしい。

いつも日本の自動化ゲートを利用している私だが、指紋の読み取りは瞬間ではできないことが多く、「審査」完了(ゲートが開く)までに1分くらいはかかっている印象だ。

シンガポールでは、EP(ワークパミット)所持者は、自動ゲートで審査が終わり、現在の日本の自動化ゲートよりも処理が早いけれど、こちらも指紋(右手親指のみ)認証なので45秒くらいはかかっていると思う。

この前(2017.5)使ったオーストラリアの自動入国システム・SmartGateは、顔認証のみ(指紋認証無し)で驚いたが、パスポートを接触型でキオスク機械で読み取らせ質問に答えて出てきた「チケット」を、顔認証ゲート(写真撮影)に入れるという二段階式なので、時間短縮効果はなかった。

 

認証精度に問題がないこと前提だけれど、日本の入国審査が15秒で終わるようになるなら本当にすごい。

 

 

 

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先日国の定義の話を書きましたが、常に問題になるのが台湾が国なのかという点。

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[2017.6.13追記]

パナマが本日台湾と断交を発表しました。
ついに台湾と国交を持つ国が20国以下になってということです。

19国連加盟国+バチカン


*近年台湾と国交を断行したのは

2007 コスタリカ
2013 ガンビア
2016.12 サントメプリンシペ
2017.6 パナマ

*残る20の内訳は:


アフリカ(2): スワジランド ブルキナファソ
カリブ(5): セントキッツ セントルシア セントビンセント ドミニカ共和国 ハイチ
中米(5): エルサルバドル ガテマラ ホンジュラス ニカラグア ベリーズ
南太平洋(6): キリバス マーシャル ナウル パラオ ソロモン ツバル
南米(1): パラグアイ
欧州(1):バチカン

・・・見事に弱小国家のみです。

GDPトップ100にかろうじて入るのは(データのばらつきあり)、ドミ共・ガテマラ・パラグアイのみ。

中米5か国の中国への寝返りも続きそうです。とくに、ニカラグアは時間の問題か・・・


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[2010.10.24記」

日常的に様々な形で影響しています。ビビアンスー、東京映画祭で涙

台湾と外交関係を有する国は現在23.(2013.11現在22)バチカンは国連未加盟なので国連加盟国に限定すれば22(同じく、21)。

2007年、コスタリカが台湾と断交して中国と外交関係を結んだ。それまで経済的に支えてきた台湾をコケにするような記者会見で、台湾人でなくても心が痛むものだった。コスタリカは中米有数の経済大国で、他の中米諸国への影響も予想されたが、他の国に台湾外交見直しの波は押し寄せなかったようだ。大局的に見れば、見直しは時間の問題かもしれない。

Belize (1989)
Burkina Faso (1994)
Dominican Republic (1957)
El Salvador (1961)
Gambia (1995)
Guatemala (1960)
Haiti (1956)
Honduras (1965)
Kiribati (2003)
Marshall Islands (1998)
Nauru (1980–2002, 2005)
Nicaragua (1990)
Palau (1999)
Panama (1954)
Paraguay (1957)
Saint Kitts and Nevis (1983)
Saint Lucia (1984–1997, 2007)
Saint Vincent and the Grenadines (1981)
São Tomé and Príncipe (1997)
Solomon Islands (1983)
Swaziland (1968)
Tuvalu (1979)
Vatican City (The Holy See) (1942)

以上 Wiki英語版より

地域別に整理すると中米・アフリカ・南太平洋に集中している。

アフリカ43: ガンビア サントメ スワジランド ブルキナファソ
カリブ5 セントキッツ セントルシア セントビンセント ドミニカ共和国 ハイチ
中米6 エルサルバドル ガテマラ ホンジュラス ニカラグア パナマ ベリーズ
南太平洋6 キリバス マーシャル ナウル パラオ ソロモン ツバル
その他2  パラグアイ (バチカン)


【2013.11】

ガンビアが台湾との外交関係を断ち切り、中国と国交を樹立しました。Wiki英語版。 この国は、台湾・中国を行ったり来たりで、また政権が変われば、国交関係が復活する可能性はありますが。


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今朝メールを開くと、Linked-in(ビジネス版SNS)経由でInvitationが来ていた。11年前にイランで出会ったAliからだった。イランの某名門大学の英語教師になったようだ。感慨深い。

 

* * *

2006年8月、私はアルメニアから陸路国境を越えてイランに入国し、アフガニスタンに向かう途中にあるイラン第二の都市マシャドに滞在していた。

 

通りを歩いていると英語で私に挨拶をしてくる声が聞こえた。相手は通行人ではなく、その声の主は小さなボックスの窓口の中の男だった。イランの街角ではどこにもあるキオスクのブースだ。

 

「中の男」は「カモン」というと、キオスクの裏口を開け放ち、私に中に入るように促した。

 

イランのキオスクの中を覗いてみるのも面白かろう、私は招かれるまま中に入った。

 

キオスクの中の男は、Aliという20代前半くらいの青年だった。Aliは、近所の子供に小銭を渡し、私のために紅茶を買ってこさせた。

 

キオスクにはひっきりなしに客が訪れる。新聞・煙草・ナッツ類・ポケットティッシュなどの小物、ブースの外にもかけてあるが、狭いブースの中にもいろいろなものが置いてあった。小さなコンビニだ。

 

ブースの中から小さな窓越しに外の客の相手をしながらも、Aliは振り返って私にいろいろ聞いてきた。流暢に英語を話すAliは外人との会話に飢えているようだった。

 

Aliに聞かれるままに私は、日本人旅行者であること、アフガニスタンに陸路で抜けるためにマシャドに来ていること、マシャドのアフガニスタン領事館でビザを取りたいのだが情報がなくて困っていること、などを話した。

 

外人に話しかけてくるイラン人は多いが、挨拶以上の英語になると会話は続かないことが多い。ところがAliの英語は格調高かった。

 

英語はどこで勉強したのか、と聞くと、Aliは「セルフスタディだ」(独学)だと言った。見せてくれた教材には、「Yesteryear」(昨年・過ぎた年)などという、日常使うことのない古めかしい単語が並んでいた。独学でこれだけ話せるのだとすると大したものだ。

 

キオスクは、Aliのものではなく、オーナーにやとわれて日中ここにずっといるという。エアコンもない小さなブースで12時間。相当な重労働だ。おそらく賃金も多くなかろう。

 

ブース内の窓の上方には、見慣れない人物の白黒写真が飾ってあった。

誰かと尋ねる私にAliは答えた

「シャーだよ」

 

写真の人物は、イラン革命でホメイニが追放したシャー(王様)だった。

1979年の革命後今日に至るまで、イランでは革命政権(反欧米)が続く。

シャーは、イランの近代化や英語教育を推し進めた点でひそかに評価する人も多いが、英米の傀儡でありイラン人民の犠牲のもとに石油利権を欧米に渡していた反革命のシンボルでもある。キオスク内部とは言え、シャーの写真を飾っていることは、イラン、しかも保守的な街マシャドではかなり勇気のあることだった。外人である私を信用して、ブースの中の彼の秘密を見せてくれたのだろう。

 

秘密はこれだけではなかった。続いてAliは私にもう一つの重大な秘密を話してくれた。実はAliはイラン人ではなかったのだ。アフガニスタンからやってきたアフガン人(タジク族)であるという。

 

2001年911事件後にビンラディンを匿っていたという口実の下アメリカによる攻撃を受けタリバン政権が崩壊、無政府状態になったアフガニスタンから逃げてきたのだった。どうりでAliはアフガニスタン領事館への行き方など、誰に聞いてもわからなかった情報を持っていたわけだ。

 

アフガン人であることは、紅茶を買ってきてくれた12歳くらいの少年を含め周りの人も知らない秘密だという。イランではアフガン人差別がひどいので、見た目がイラン人とさほど変わらないタジク族は身元を隠すのだろう。

 

Aliからもらった情報をもとに後日アフガンビザを取得した私は、Aliに捕まえてもらったタクシーでアフガン国境まで行くことにした。内戦状態のアフガンに私が入国できるかは半信半疑だったので、国境越えが失敗したらまた戻ってくるよ、と言い残して。

 

国境越えはうまくいき、私はそのままアフガニスタン、パキスタン、と陸路で旅をつづけ、Aliと私が再び顔を合わせることはなかった。

 

しかし、Aliはその後も折に触れてメールやFBの招待状を送ってきた。一時期はUAEで証券会社のサポートをしていた。どうにかしてイランのパスポートを取得してイラン人になったのだろう。イラン当局に読まれる可能性があるため、この辺りのやり取りはAliとメールで連絡したわけではなく、私の推測だ。

 

労働ビザが取得できなかったのか、UAEでの仕事は長くは続かなかったようで、Aliはイランにもどって英語教師をしていた。FBのInvitationを私は受諾しない(つながることでイラン当局にスパイと思われるので)けれど、Invitationが来るたびにステップアップしていくAliを遠くから応援していた。

 

アフガン難民が独学で英語を勉強し、イランの名門大学の講師になった。これは素晴らしいサクセスストーリーであるとともに、英語を勉強する環境に恵まれながらも使える英語が話せない日本人にとっては身につまされるようなストーリーだ。

 

 

 

 

 

ベネズエラ情勢がやばくなってきている。

 

マドゥーロ独裁政権とその息がかかる司法により、野党リーダーの政治活動が禁止され、反政府デモが首都を覆いつくしている。

 

日本のメディアは殆ど報じていないが、

米系はもちろん、BBCやアルジャジーラでも大きく報じられている。

http://www.bbc.com/news/world-latin-america-39542181

http://www.aljazeera.com/news/2017/04/massive-anti-maduro-protests-continue-venezuela-170408192621810.html

 

大人気だった反米チャベスから政権を引き継いだマドゥーロ大統領。大きく政策が変わったわけではない。彼のリードが悪かったというよりも、原油価格の下落が、産油国ベネズエラの経済に与えたダメージが大きかったということではないか。チャベス暗殺も狙ったU国が裏にいることもあるだろう。

 

私が2008年のGWにベネズエラを訪問したとき、ちょうどメーデー(労働者の日)だった。メーデーは共産主義や左派政権の国では非常に盛り上がるが、このときはチャベス人気もあり、陽気で平和的なパレードでカラカスの通りは埋め尽くされていた。今同じような規模の群衆が大統領退陣を求めている。政変が起きる日が近い、のか。

 

政変が起きれば、この国で治安は維持できない。旅行は控えないといけない。メディアにはもっと報道してほしいと思う。

旅のハイライト

1 ビルマ白骨街道 

2 インド東北地方再訪 

3 ミャンマー モニワ・モーラミャイン

4 インド 全州(29)訪問。 インド11回目にしてラスト3州を巡る

5  バングラのヘリをめぐる

 

1 ビルマ白骨街道
ついに行ってきました。白骨街道。
太平洋戦争末期、補給を無視したインパール作戦の大失敗により、インド国境からミャンマーに続く道は日本兵の屍が連なり、白骨街道と呼ばれた。少数民族とミャンマー政府の対立により、白骨街道のあるチン州は長らく外国人が立ち入ることはできなかったが、アウンサンスーチーが実質的に率いる民主化により、「許可証が取れれば」外国人も立ち入れることになった。
 
どのようなルートで旅ができるのか、そして許可証を何処でどのように申請するのかに関する情報は錯綜し、日本を出国する時点では許可が取得できていなかったが、国境越え前のぎりぎりのタイミングでようやくおりた。
 
2 インド東北地方再訪
興味が尽きないインド東北地方。
 
Meghaalaya:
ダブルデッカーのかずら橋(Living Root Bridge)
 
Assam:
アッサムの建築は非常にユニーク。シブサガールの王宮?(写真1-4)、
 
Nagaland:
市場では犬肉や蚕の幼虫(食用)が並ぶ(写真3-2,3-2,3-4)。
 
Manipur:
文化的宗教的多様性に衝撃を受けた。別途レポートしたい。
写真7-4、キッパを被った少年(マニプール州モレー)。キッパというのはユダヤ教徒の男性が被る小さな帽子。インドの辺境でまさかと思ったが本当にユダヤ教徒だった。翌朝はシナゴーグを訪問。まだ若い男性(見た目は東南アジア人)のユダヤ教徒は、黒いテープを右腕に巻いて、トーラを額に巻いて(トーラの現物初めて見た)、ベールをかぶり、そして旧約聖書を静かに読み始めた。
インパール郊外のRed Hillにある日本兵慰霊碑(写真4-1)、いわば白骨街道の起点の1つ。
 
3 ミャンマー
インド国境からタイ国境まで陸路で移動する際に立ち寄った町で、予想外に良かったのが、モニワ(モンイワ)とモーラミャインだった(郊外含む)。
 
モニワには、タウンボッデー寺(金色のみ、白色のみ、地味な木造、が多いミャンマーの寺の中で、金と赤の鮮やかな色合いが出色。写真6-5)、世界一高い立仏(116m)、もう一つのパガンとも呼ばれる遺跡(名前失念。見捨てられたように佇むかんじがいい。 写真6-3,6-4)、Phowin洞窟(写真6-1,6-2)など見どころたくさんなのだが、マンダレーと異なり観光客は少ない。
 
モーラミャインはモン州の首都。英領ビルマ時代の最初の首都であり、現在でもミャンマー第三の街。どこの仏像も似たような感じのミャンマーにあって、モビルスーツをまとったようなモン式の仏像はユニーク。丘の上の寺から見下ろす川景色の素晴らしい。褪せた色あいの街は散歩や海辺の夜市も楽しい。1hバイクタクシーで南下したところには、泰緬鉄道の起点になった町。
 

4 インド 全州(29)訪問。 インド11回目にしてラスト3州を巡る

インドには29の州があるが、未訪問だった3つの州を一気に回った。

 

Odishaオディーシャ州(昔のオリッサ州):

観光地のビーチPuri, 寺の街(City of the temples)Bhubaneswarブバネーシュワル、スリヤ寺院のあるKonarakコナーラク。(写真7-5, 8-1,8-2,8-3,8-4)

 

Andhra Pradesh(アーンドラ・プラデーシュ

分離前のアーンドラプラデーシュは、ハイデラバードを訪問していたが、2014年にアーンドラ・プラデーシュからテランガナ州が分離独立。新生アーンドラ・プラデーシュは未訪問だった。

ブバネーシュワルから列車でAP州のヴィシャーカパトナム(Visakhapatnam)に入る。南隣はもうタミルナード州だ。茅葺の家が結構多い。軽食の皿にバナナの葉が使われ始める。(写真8-5)。ブバネーシュワルからの列車は大幅に遅れて未明にヴィシャーカパトナムに到着した。

 

Chhattisgarh(チャッティースガル州

2000年にマディヤ・プラデーシュ州から独立した。独立した理由は、言語が違うからだという。これといった大都市や観光地がないチャッティースガル州。州都Raipurライプールでグーグル検索しても、Jaipurジャイプールに誘導されてしまう始末。オディーシャ州の大都市ブバネーシュワルからバスはないといわれた。ヴィシャーカパトナムからRaipurまでは地図の上では道がつながっているが、一旦オディーシャ州にはいり、かつ、東ガーツ山脈を越えていく必要がある。直線だと500km足らずの道のりで、3度バスを乗り継ぎ、24時間がかりでライプールにたどり着く。どこにでもあるシーク教のコミュニティだが、他のコミュニティが小さい内陸州では彼らの存在がことのほか目を引く。彼らの取引銀行であるPunjab National Bankも頻繁に目にする。

 

5  バングラのヘリをめぐる

今回のバングラ訪問は、チッタゴンハイツ(仏教徒チャクマ族を含む少数民族の宝庫)が目的だったが、許可証が取れず断念。許可証を出さない理由は、「テロなどで治安が安定しないため」だと、チッタゴンのDCオフィスの担当者は言う。確かに、政府が水力発電のために人工湖を作り、正当な補償もないまま村を追い出された少数民族が多いので、反政府感情が強い地域だと聞くが、近年テロ(とくに外国人を狙ったテロ)があったと聞いたことはない。けれど、窓口の役人の権限ではいかんともしがたいことはよくわかった。

 

Rajshahi ラジシャヒ:

バングラ北西部、インド国境に近い街。外出時はポリスの護衛が強制的に付いた(ポリスのトラックで)。日本のxxxを含む多くのメーカーの服がバングラ産となっているが、シルク工場を見学させてもらった。3hほど離れたショナモスジット(SonaMosjit)国境からインドに入り、その少し北のHili国境からバングラに戻る。

 

 

日本のパスポートが初めて発行されてから150年になるという。内閣府のビデオで知った。

 

・1866年(慶応2年) 日本初のパスポート(海外渡航文書)発行

・1878(明治) 「旅券」という呼称になる

・1926(大正) 旅券が手帳型になる(それまでは紙ぺら)

・【戦後しばらく 海外渡航禁止】

・【1964 海外渡航自由化】

・1995 10年物パスポート登場(それまでは5年限定)

・2006 IC旅券発行

 

パスポートの歴史=偽造防止技術の進化の歴史

紙幣に使われるような技術(潜像・すかし)が使われている。

 

2019 最新型旅券発行開始予定

24pの一枚一枚が違う、浮世絵の富士山のデザイン

楽しみだ。

 

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現在使用中のパスポートは私にとって13冊目になる。

幸い紛失したのはガテマラで盗難にあった1冊だけ。

コンゴでピストル強盗にあった時も、タンザニアで身ぐるみはがされた時も、

一度取られたパスポートを頼みこんで返してもらった。

金では買えない愛着がある。

 

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日本人に成りすましている中国人と疑われることがこれまで何度もあった私。

パナマ・オーストラリア・アイスランド・韓国・・・。

パスポートの偽造防止技術が進むのは大歓迎だ。

 

一方で心配なのは、ビデオでも言っている「なりすまし」。

非アジア人にとっては日本人の顔も中国人の顔も区別がつかない。

指紋や虹彩などがICチップに取り込まれるのが国際標準になる日は近いかも。

 

 

 

 

 

 

 

pakistanのチャイ売りがスカウトされて、ファッションモデルになったサクセスストーリーが話題のようだ(デイリーメール)。

 

そんな話を意識してか、アルジャジーラが記事にした、インドのチャイワーラーへのインタビュー。


何歳か、

どこの出身か、

いつからここで、

どうしてチャイワーラーになったのか、

家族はいるのか、

小さいころの夢はなんだったか、

将来したいことは、

今はハッピーか、

 

・・・答えはまちまち。

胸打つようなセリフがいくつも出てくる。チャイ屋の親父一人一人にストーリーがある。


例えば

 

シャルマさん。55歳。

「俺がネパールからインドに来たのは15歳の時だった。

最初はホテルで働いて金ためて、やっとの思いでチャイ屋を開いたんだ。

ここで店をだして、もう24年になるけど、毎日こうやって300人近いお客さんにお茶を出しているんだ。

朝8時から、夜8時までね。

 

ここは通り沿いだから、ありとあらゆるタイプの客が来るよ。

俺は思うんだ。

チャイ屋っていうのは、カーストだとか地位だとかそんなこと関係なくなってしまうところなんだってね。

金持ちと貧乏人が並んでチャイを楽しんでたりする。

そんなとこ見ると俺はなんだか幸せな気持ちになるんだよ。」


バブさん。28歳。

「俺がじいちゃんとここで働き始めたのは、俺が7つか8つのころだったよ。

今はじいちゃんは年取って、俺がこの場所を引き継いだんだ。

 

俺は貧乏な家にうまれた。

貧乏人に夢なんかないさ。

貧乏人は1日2食が食えればそれで満足しなきゃいけないのさ。

 

俺の唯一の望みは子供を学校にやることさ。

俺は学がないけど、子供らには明るい未来を与えてやりたい。

家族食わせるためにこんな風にあくせく働かなくてすむようにね。」


サビールさん。42歳。

「俺がここでチャイを売るようになって、もう20年もたつ。

俺が幸せかって?

もちろん幸せだ。

 

神様が俺の生業を決めたんだ。

俺はそれを満ち足りた気持ちで受け入れているよ。

 

世の中には、物乞いしたり、空腹抱えて眠らなきゃいけない人たちが何百万人もいるんだ。俺は家族を食わせているし、子供を学校にもやれている。

この人生でこれ以上何を望むっていうんだい。」

インドネシアに行ってきました。今回で5度目の渡航ですが、島マニアの私にとって、世界最多(1.3万)の島を有するこの国は興味が尽きることはありません。

 

旅行期間:延べ15日間

シルバーウィークに前半戦、一度日本に帰って、すぐに体育の日休暇に後半戦。

 

ルート:

前半戦は直行便が高かったので香港経由CXで6万、後半戦はJL直行便でしたが6万円でした。インドネシア国内線も適宜使用。インドネシアはLCCが乱立していてチケット予約が面倒なのですが、Nusatripが便利です。

 

訪問地:

今回も「歩き方」にないところ中心です。

1)北マルク(モルッカ)諸島: テルナテ・ティドレ・ハルマヘラ・モロタイの各島

2) 北スラウェシ: マナド・ビトゥン・サンギ島

3) 東ジャワ:マラン ブロモ山 イジェン山

 

写真(#は左上から右下へ)

#1(一列目左端) 小舟 @モロタイ島 

港から小舟が出ていく。目的地を聞いてみたがどこにあるか見当もつかない離島のよう。とりあえず乗って行ってみたかったが、片道90分はかかるというのであきらめた。

 

#2 タルシウス(猿) @ビトゥン

ガジュマルの木の中にいるのは、世界最小の猿タルシウス。夜行性だが、朝5時スタートで見ることができた。国立公園のレンジャーはどこの宿に泊まるかで指定されていて、宿の主人がスケジュール調整してくれる。森のダニ?にかまれ、そのあと1週間は膝下に痒みが残った。

 

#3 丁子(クローブ) @ティドレ

これが世界史を大きく変えた香辛料クローブ(丁子=ちょうじ)。冷蔵庫のない中世において肉の保存料となり、調味料となり、薬になり、宝石のようにもてはやされた。アラブ・ベネチアの香辛料独占貿易をインド航路「発見」により崩したポルトガルは、ついに香料諸島(モルッカ諸島)を手にする。ポルトガルから覇権を奪ったオランダは、周辺の島にも生えていた丁子の木々を切り倒し、テルナテ・ティドレの2島以外で栽培を禁じた。徹底的な統制をすることで価格を維持するために。北マルクの島々ではいたるところで干していて、道行けばスパイシーな香りが漂ってくる。齧ってみると、虫歯治療の詰め物のような苦味。

 

#4 犬の肉 @マナド

ミナハサ族(周辺7部族の総称)のトモホン市場に並ぶ犬の肉。イスラム教国ではタブー(「ハラム」)のはずの豚肉はもちろん、コウモリ、野ネズミ、ヘビの肉、何でもありだ。大きな檻の中には、薬で眠らされているのか、4-5頭の犬が重なっていて動かない。すぐ隣ではものすごい火力のバーナーで犬を丸焼き。毛もむしらずそのままなのか、毛はむしっているのか、いずれにしてもやりすぎではないかと思うほど真っ黒焦げだ。高熱で体内の脂肪が溶けていくためか、焼かれている犬の首がガクッとしたに崩れ落ちた。5年ほど前なら、闇で猿の肉なども買えたそうだ(宿の主人談)が、今は政府の規制が厳しいのでおとなしくなっているという。

 

#5 蛇の肉@マナド

宿の主人曰く、ヘビはスラウェシ中部のムスリム地域で捕獲され市場に運ばれてくるという。イスラム教の教義上、ヘビ食などタブーだから中部で蛇肉の需要はない。地元で蛇が取れないわけではないが、地元で食べられてしまって市場に並ばないのだ。ムスリムが8割を占めるインドネシアにありながら、ミハナサ族がキリスト教徒になったのは、豚をはじめとする豚・獣・昆虫食をやめられなかったというのが大きいのではないか。


#6 Waruga 屋根付き石棺 マナド
Warugaというのはミハナサ族のキリスト教化される以前の屋根付きの石棺(墓)。死体は写真のように屈葬のような形で石棺内に納められていた。全てが中国の方に向けられているのは、祖先が中国方面から渡ってきたという伝説に基づく。以上は墓守の説明をもとにしているが、どこまで正確なのかは疑問。墓守は紀元前からあったというが、Wikiによれば9世紀くらいからということだしhttps://en.wikipedia.org/wiki/Waruga、そこまで古いものが残っているようには見えなかった(せいぜい18C以降ののみ?)。オランダ人またはポルトガル人や、舶来品がかたどられた石棺などもあり興味深い。

#7(2列目左端) 夜景@マナド 

数年前にできたという陸橋
#8 ひよこ@マナド
#9 マグロ水揚げ@マナド
  はだかのマグロを海の中で発泡スチロールに詰め、そして魚市場へ

#10 漁船@サンギ島
フィリピンのミンダナオ島ジェネラルサントスまでわずか150km。この海域がマグロ漁の盛んなところだが、サンギ島の市場に並ぶマグロは少ないく、多くはジェネラルサントス(地物人はジェンサンと呼ぶ)またはビトゥンへ運ばれる。

#11 バイクタクシー@サンギ島
#12 赤い魚@サンギ島
#13(3列目左端) サゴヤシ@サンギ島
#14 ミシンを操る女性 @サンギ島
#15 市場@テルナテ
北マルクの市場は、北スラウェシと比べてとてもカラフル。果物の種類が多く、巨大なビンロウ(パプアでいう「ブアイ」)も並ぶ。

#16  テルナテ島を臨む @ティドレ
ティドレ島の港からテルナテ島を臨む。円錐状の山が美しい。この小さな二つの島は、世界を熱狂させた香料貿易のライバルだった。ポルトガルを味方につけたテルナテに対抗し、ティドレはライバルのスペインを味方につける。いずれの島もほどなくオランダの支配下に入るのだが。テルナテ島のスルタンの影響力は近代でも北マルク一帯に及んだ。ハルマヘラ島で日本語が話せるという老人の家に立ち寄った時も、壁に飾ってあった写真は、地元ハルマヘラ島(ジャイロロ)のスルタンではなくテルナテ島のスルタンだった。

#17 古城 @ティドレ
古城のイメージそのまんまの廃墟のようになったオランダ時代の城がここにある(英語ガイドブックLP)、と書かれているが、きれいに修復されていてがっかり。同様に、ティドレのスルタンの王宮もきれいに修復中だった。

#18 ナツメグ@ティドレ
丁子と並んで貴重だったスパイスの一つであるナツメグ。赤い部分は、茶色のクルミ状の種を覆っていたもの。

#19(4列目左端) モスク@ハルマヘラ(ジャイロロ)

#20 村の憩いの場@ハルマヘラ
ハルマヘラ島のジャイロロ近郊のキリスト教徒の村々には、伝統的な集会場が今なお残る。つくりは、南太平洋のキリバスの伝統的集会場(マネアバ)によく似ている。マルク諸島の南では、キリスト教徒・イスラム教徒の対立・虐殺(1999-2002)でこのような集会場は殆ど消失してしまったので、大変貴重。ただ、北部でも焼かれた教会はあるようで、村々は、暴動に備えて教会を要塞化しているように見えた。

 

#21 「最後の残留日本兵」@モロタイ島

バイクタクシーが言う。「パトン ナカムラは見たか?」。ナカムラというのは、1973年にこの島で発見された「最後の残留日本兵」の中村輝夫のことだ。「パトン」とは一体何だろう。潜んでいた洞窟のことか?よくわからないが行ってもらう。果たして、パトンとは銅像のことだった。

マッカーサーが日本に奪取されたフィリピンを取り戻すための拠点にしたモロタイにはマッカーサーの銅像もある。観光局のポスターでは、マッカーサーと中村の銅像の写真が並べてあり、なんだか微妙。「General Nakamura(中村将軍)」と呼んでいた地元民もいて、マッカーサーと戦った日本の将軍と思われているのかも。中村氏は日本兵といっても(当時は日本領の)台湾の原住民(アミ族)で、この人の数奇な運命が大変興味深い。

 

#22 「3ケツ」の少女たち@モロタイ

インドネシアは、17歳にならないと運転免許が取れないとガイドが言うが、子供でもバイクに乗っているし都市を除けばヘルメットの規制も緩い。女子中学生3人がさっそうとバイクにまたがって疾走している場面に遭遇。

 

#23 スピアフィッシング@モロタイ

アウトリガー付きの伝統船に人々が乗り込んでいる。フィッシングにいくという。漁師だろうか。乗せていってくれと頼む。合計13人も乗っている。巻き網漁業だろうか。船はそのまま無人島に行き、4人(および私)を残して島に上陸した。漁にでるといっても、船頭と助手だけが潜ってスピアフィッシングで魚を取ってくるのだ。あとは、その取れたての魚を浜で焼いて食べるというシステムだった。スピアフィッシングは本格的で、エアコンプレッサーで細いチュウブから送り出される空気を使って潜っていた。スキューバダイビングの原型だ。浜では焚火がたかれ、クッキングバナナやサラダがもうできていた。

 

#24 地元民@モロタイ

 

#25(5列目左端) 26 ブナケン島でスノーケリング@マナド

ダイバーの憧れの地だが、ダイビングができない(「耳抜き」ができない)私はスノーケリングするだけ。

 

#27 中国寺@マナド

 

#28 29 朝食ビュッフェ@マラン

自分が泊まっていたのは安宿だったが、オランダ屋敷を改装したTugu Malangホテルに朝食を食べに行った。ホテル全体が博物館のよう。

 

#30 鳥市場@マラン

フクロウだけで7種類も売っていた。オウム・インコなど観賞用のものも、七面鳥・鶏のような食用のものも売っている。ウサギ・ハムスター・猫もあるし、観葉魚も豊富。隣は花市場。

 

#31(6列目左端) ヒンズー寺院@マラン

マラン近郊に残るヒンズー寺院。素晴らしいのだが、観光客も参拝客もいない。住民の大半はイスラム化しており、ヒンズー文化が生きているバリ島とは事情がまるで違う。 

 

#32 夜の通り@ マラン

 

#33 たばこの乾燥 @ブロボリンゴ

 

#34 ドラゴンフルーツ @ブロボリンゴ

 

#35 硫黄鉱石とカルデラ湖 @イジェン山

 

#36 Blue Fire @イジェン山