インド 週末旅行 カルナータカ州

 

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・Chitradurga

 

Mysore(マイソール)も行く予定だったが、トラブルで行けず。

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Trip136 中米Dec17 

テーマ:

 

訪問国

コロンビア ベネズエラ サルバドル ホンジュラス ガテマラ ベリーズ メキシコ 米国

 

新たに越えた国境:6か所

 

コロンビア: Medellin Cartagena Maicao

ベネズエラ: Maracaibo

サルバドル: SanSalvador

ホンジュラス: SanPedro, PurtoCortes

ガテマラ: PuertoBarrios Flores

ベリーズ: PuntaGorda Belopan

メキシコ: Palenque SanCrstobal LaPaz LosMochis Chihuahua CudadJuarez

米国: ElPaso WhiteSands

 

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シンガポールの家の近所にあるキリスト教の教会。日曜日には言語によって時間を分けて礼拝をおこなっている。

 

9am English Worship  英語による礼拝

11am  华语礼拜  北京語による礼拝

2pm  厦语礼拜  アモイ語による礼拝

 

厦语というのがアモイ語というのは想像がつく。私のホストファミリー(家族)に聞いたところ、アモイ語とうのは福建語(ビンナン語)のことに他ならないという。それならなぜ福建語と書かないのだろう。

 

シンガポールで北京語推進運動が進められたのは1979年からのこと。シンガポール華人は北京語ではなく、福建系・潮州系・広州系・客家系などそれぞれの母語で生活している。北京語は聞けばわかるが、読み書き・会話は苦手な人も多い。中華系の中で一番多いのは福建系だ。私の家族も、家族の麻雀友達もみな福建系だ。

 

但し、福建系といっても、福州(福建省北東部)あたりと、厦門(福建省南部)あたりでは言葉がだいぶ違うという。

そこで、福建系の公共放送はどは、シンガポールでも中国本土でも、福建語の中でも厦門方言で行うのが通常のようだ。

中国語版Wiki) >中國以及新加坡的廣播或電視節目的闽南语播音皆采用厦门话进行放送。

 

ガボンがG20 の国民に対して到着ビザを発行するようになったという。

在日ガボン大使館からのメールで知った。

ガボン大使館のHPにはそのアナウンスは公表されてない。

http://www.gabonembassyjapan.org/visas.html

 

ガボンはこれまでに3度渡航している。特に3度目の訪問はほとんど観光客が来ないような地方都市を回ったので印象ぶかい。

到着ビザが取れるようになったというのは朗報だ。

 

ただ、実際に飛行機や陸路でこの国に到着して到着ビザを申請して出してもらえるかは別の話だ。

賄賂要求の餌食になるだけだろう。

 

E-Vizaも申請可能になったようなので、事前申請していくのが無難ではないだろうか。

 

結局、到着ビザではなく、ビザ免除にしてもらわないことには、ほとんど意味がない朗報ということになりそうだ。

 

 

 

日本は衆議院選挙のニュースばかりだが、世界は激動していて目が離せない。

 

1 カタロニア

先ほどスペイン政府が、カタロニア政府のリーダー(州知事ら?)の罷免を決定した。この決定は議会の承認をまって確定するが、与党も主要野党も賛成する見込みとのこと。スペイン政府の発表では、カタロニア州の自治権を奪うのではなく、スペイン憲法に反して州独立の住民投票を実施し、違憲状態に導いたリーダーを排除するとのことだが、独立派住民の大きな反発が予想される。

http://www.bbc.com/news/world-europe-41704759

 

私が出会った旅人の中で最も多くの国と地域を旅した男、スペイン人のJはバルセロナ出身だ。私がバルセロナに立ち寄ったとき彼の家に泊めてもらった。彼曰く、「バルサ(スペインのサッカーリーグのバルセロナのチーム)が勝つと独立派が勢いづくから困る」。バルセロナ育ちでも、州の独立や国家の分裂を望まない人はいるのだ。

 

世界を旅していると、独立国・国の概念がいかにあいまいなものかを思い知らされる。どの国・地域も長い歴史を通じて、一つの国家・民族・国境線で確定していたわけではない。地域・民族・文化、多かれ少なかれ多様な要素を含んで現在の国家になっている。

 

住民の意思は尊重されるべきだが、歴史・文化が違うから独立、では、世界は対立・混乱するばかりだ。国家財政に占めるカタルーニャの貢献に見合う支援が受けられていないのも事実かもしれないが、完全に平等な配分などできるわけがない。北イタリアをはじめ多くの国の都市部は経済的に地方を支えているのではなかろうか。

 

どうなるのか大変気がかりだ。

 

2 クルディスタン

イラク軍(シーア派中心)が、クルド軍(ペシュメルガ)が支配下に置いていた、キルクーク地区(イラク最大の油田地帯のはず)を奪取したようだ。先日のクルド住民投票を受けての独立宣言(自称)を受けて、イラク・トルコ・イラン・シリアの中央政府をはじめ国際社会はクルディスタンに強い態度で反対している(ふり?)。

http://www.aljazeera.com/news/2017/10/iraq-forces-full-control-kirkuk-province-171021044707969.html

もちろん、本当の政策はわからないが、たとえばアメリカは自国のクルド民族の独立を恐れる同盟国トルコの手前、イラクからのクルディスタン独立を(表立って)支援できない。

 

もともとキルクークはクルディスタン州の外だし、トルコマン人も多いので、バルザニ(クルディスタンの「大統領」)の野心は行き過ぎがあったのかもしれない。私がアルビル(イラククルディスタンの「首都」)を訪ねたとき、ジュースをおごってくれたトルコマン人に対し、「ここにはクルド人しかいない」と言い切ったクルド政府のガイドに対する、トルコマン人の怒りの表情が忘れられない。

 

このさきイラクのクルディスタンがどうなるのか、さらにトルコ・イラン・シリアのクルド人や共存している民族がどうなるのか、大変気がかりだ。

 

3 南イエメン

イエメンは、冷戦下では、北イエメン(西側:資本主義)と南イエメン(東側: 共産圏)に分かれていた。首都サナアを含む旧北イエメンは現在Houti(シーア派の一派)勢力の支配下にあり、

旧南イエメン地域は、サウジ・UAEの支援を受けたスンニ派の支配下にあるようだが、サウジの意向に反してUAEが旧南イエメンの再独立を支援するかのような動きに出ているというのがアルジャジーラの報道。

http://www.aljazeera.com/news/2017/10/verge-splitting-yemen-171020063508888.html

 

しかし、アルジャジーラは、サウジ・UAEから現在国交を断絶されているカタールの報道機関

であり、他の報道機関もこのニュースをあまり取り上げていないので、どこまで信用できるのか疑問。UAEとサウジの仲違いを強調する政治的な背景すらあるように勘ぐってしまう。

 

いずれにしても、イエメンの内部分裂が長期化していることは事実であり、この先がとても気がかりだ。

 

以前、日本人の入国審査で顔認証が導入されるということについて書いた。

 

本日(2017.10.21)、羽田空港から日本に入国(帰国)したところ、すでに顔認証入国が可能になっていた。

 

まだ試験運用のようで、従来の指紋認証(事前登録必要)、通常の有人入国審査も可能だが、スタッフが「事前登録不要です」と誘導していたので、顔認証を試してみた。

 

読売新聞の報道とは異なり、非接触式ではなくパスポートの写真ページを広げてガラス台に置く方式だった。そのあと、目の前の鏡を見ると5-6秒で完了し扉が開いた。最初だった故tもあり、パスポートを広げて読み取らせるのに手間取ったので、合計30秒はかかった。

 

4台ほど機械が置いてあったが、他の列の人もすいすいと進んでおり、エラーメッセージなどで引っかかったりしていないようだった。

 

事前登録が不要で機械入国が可能になったのは大きな前進だと思う。

 

けれど、指紋認証と比べて顔認証による時間短縮はさほど感じられなかった。やはり、パスポートを開いてガラス面にきちんと置き読み取らせるのが手間だ。せっかくICチップ式のパスポートを導入しているのだから、非接触読み取りをぜひ実現してほしいと思う。そうすれば、10秒以内で入国審査が可能になるだろうし、そうでないなら指紋認証に代わる新たなシステムを開発導入するコストを正当化できないように思う。

2度に分けてインドネシア・東チモールに行ってきました。

 

ハイライト

1 Nias島

石飛(Stone Jumping)やBigHouseの伝統が残るスマトラ島の西の小さな島。知り合った博物館員の帰省に合わせて、山間部の村まで行く。歩き方などには全く出ておらず観光客もいないが、実はこの辺りがニアス文化発祥地だという。

村から山道を登っていくと、昔の石畳の跡が現れ、続いて昔の儀式の場所へ。 テーブル珊瑚のような台は、貴族をもてなすために侍女たちが躍る「お立ち台」だったという。石柱Megaltisは、キリスト教伝来前は、遺体を風葬するのに使ったという。

キリスト教が伝わり見捨てられた、古代遺跡のような旧聖地は、山奥で誰かを待つかのようにひっそり佇む。だいたい聖なる儀式の場は山の上に作られるが(典型例マチュピチュ)、ここもご多分に漏れず素晴らしい景観が眼下に広がる。

この山間部にキリスト教が伝来したのは100年前頃で、風葬は20世紀中ごろまであったという人もいた。こうしてみてくると、キリスト教の伝来が、その土地・その島に深く根付いてきた多様な文化を、わずか100年で、いかに崩壊させ画一的な文化に変えてしまった(少なくとも表面的には)のかが手に取るようにわかる。

ニアスの伝統家屋はとてもユニーク。家の形・入口の位置・装飾などで、貴族・平民・よそ者なのかが分かる。

 

2 Flores フローレス島

2度目。MaumereからLarantukaまでバスで移動し、そこからフェリーでレンバタへ。

 

3 Lembata レンバタ島

(インドネシア語の読み方は「ルンバタ」)

5-6人乗りの小舟にのり、竹竿の先に装着した銛(Harpoon)一本で、クジラに挑む男たち。

彼らが狙うのは、Ikan Paus(Hump Back Whale ザトウクジラ)だが、めったにとれるものではない。ちょうどベルギーのTV局スタッフ2名がドキュメンタリーを撮りに来ていたが、3週間滞在して一度もザトウクジラを見ていないという。一頭も捕れない年もあるようだ。クジラをあきらめてか、普通の網で確実に獲れる小魚を狙う「サラリーマン」漁師たちもいた。それでも、一攫千金のクジラをあきらめず、毎日(安息日の日曜を除く)漁にでる「ギャンブラー」漁師たち。飛び込みで彼らの船に乗せてもらう。ライフジャケットなんかない。船底の隙間から入ってくる海水を手桶で排出しながら小舟は行く。意外と簡単に小型クジラやイルカの群れに出くわす。船頭(ラマラー)は獲物に向かってジャンプして銛を突き刺そうとするが失敗の連続だ。日影がないなか海上で8時間。翌日も別の船で海にでた。顔やももの日焼けは火傷のようになり、私は滞在期間を短縮せざるを得なくなった。ザトウクジラは見れなかったけど、小型のクジラ(Pilot Whale ゴンドウクジラ。イルカ類という説も)やイルカ(「ルンバルンバ」)、マンタなどの捕獲(未遂含む)や獲物を村人総出で浜で捌くところを見ることができた。

 

4 Oecusse オエクシ(東チモール)

今回行く予定はなかったが、レンバタ島の宿でたまたま出会った、世界のポルトガル語圏を研究しているアメリカ人の話に魅了され、急遽行くことに。国境マニアの私は、東チモール(2度目)に再訪するなら陸路にしたい。インドネシア→東チモール→インドネシア→東チモールと。

 

チモール島の東半分は東チモール。インドネシア語でTimor Timur。TimurもTimorもインドネシア語の「東」に派生するので、東チモール国は [Eastern East] 東の東、つまり東島東部国,という意味になる。ところが、インドネシア領であるチモール島の西側(Western East 東の西:東島西部)にも一部東チモールの飛地がある。それがOecusse(ポルトガル語)/Oecussi(英語)だ。チモール島西部にある東チモールということは、語源をもとに考えるとEastern East in Western East:(「東の西」の「東の東」)、つまり東島西部にある東島東部国領だ。

 

ややこしい国・地域名に負けず劣らず、地域の成り立ちも複雑だ。オエクシが飛地になった経緯は飛地研究会のHPに詳しい。まとめると、

1)16世紀以来白檀交易目的でポルトガル・オランダがチモール島に植民開始

2)現地の酋長を巻き込み島は飛地だらけになる

3)20世紀初頭に、西部はオランダ領、東部はポルトガル領に整理される

4)オエクシだけは歴史的経緯(17C末から70年間ポ領植民地首都)からオランダ領に囲まれるポルトガル領の飛地に。

5) ポルトガル撤退に伴うインドネシアの「ポ領」併合により飛地解消(1975)

6) 旧ポ領独立(2002)によりオエクシはインドネシア領に囲まれる形で再び飛地に。

 

独立直前期(1999-)は、インドネシア併合派により破壊されつくされ、国境は閉鎖されインドネシア領に囲まれて完全に孤立してしまったというオエクシ。

インドネシア語はよく通じたが、インドネシアルピアは東チモール本土同様ほとんど使えなくなっていた。2003年のDili訪問時は、公式通貨米ドルの代替や補助単位としてインドネシアルピアが使われてたが、今は50C(センターボ)・20C,・10Cなどの自国コインが普及しているのだった。インドネシア領に囲まれているのだからルピアも使えるだろうとルピアで支払おうとすると、とんでもないというような顔で受け取りを拒絶してくる。そんな飛地の東チモール人に、小国ながらも独立し自国通貨(コインだけだが)を持っているんだ、インドネシアと一緒にしないでくれという、誇りというか意地すら感じた。

 

5 東チモール本土

首都Diliからトラックバスで山間の美しい町Maubisseマウビシへ。墓地で昼から酒を飲んでいた男たちのつまみは犬の肉だった。

独立直後の2003年に初訪問したDiliは大きく変貌を遂げていた。交通量が急増し、当時はお世話になったバイクタクシー(Ojek)やサイドカー(名称失念)は禁止されていた。タクシーは町中なら2-3ドル。ミニバスは10路線あり色と番号でわかりやすく表示されていて、運賃一律25C(30円)。ミニバンを改造したもので中央のアルミの手すりをコインをコツコツとたたくと「降ります」のサイン。音楽が大音響でなっても金属音は聞き取ってもらえる。

 

交通以外に驚いたのが、華人の活躍。ニューカマーも多いだろうが、華人入植の歴史は長いようだ。東方飯店そばの時が止まったかのようなパン屋。中国人顔の店主(推定25歳)は、北京語は話せないが、名前を漢字で書くことはでき、客家語は話せるという。客家系華人は多いらしい。Great grand father が福建省からやってきたと英語でいう彼。「お爺さんのお父さんが中国から来たのだとすると、君は4世?」と聞く私に「6th generation6世だよ」と答える彼。1世代25年としても一族は150年前に来たということだ。バスターミナル近くには立派な華人墓地があったし、町中には関帝廟もあった。ポルトガルとの特殊な関係をうまく利用して栄えたのだろう。この規模の華人人口がこんなところにあるとは、発見だった。

 

*宮崎正弘の国際ニュース(8/29)より以下抜粋 

1) 13世紀ごろから客家の入植が始まり、現地人との混血もあったため、中国人の血筋をもつチモール人がかなりいる。東チモールの人口は60万人強だが、中国人が7千人弱。

2)豪州との油田プロジェクトはうまくいっておらずチモール海条約は破棄され、独立以来の西側支援も息切れ。

3)そんな中中国は東チモールに接近を深め、住宅建築関連で60Mドル投資、昨年は軍艦まで派遣。

 

*東チモールのポルトガル語

レンバタ島の宿であったアメリカ黒人の老人Edwardは、ブラジル留学経験があり、世界のポルトガル語圏の調査をライフワークしていた。アフリカにある5つの旧ポルトガル領もアンゴラ以外は行っており、今年は東チモールがテーマだという。「前に行ったけど、東チモールのポルトガル語は死んでいたよ。ポルトガル語話せる人はほとんどいなくて、外人とはインドネシア語か英語で話してたよ。」という私に、「ミサをポルトガル語でやっている」「Los Palos(東部の町)に行ってみろ。ポルトガル語で生活している」。本当だろうか。

13か国語話せるというEdwardは、8-9種類あるというコサ語(南アフリカ)のクリック音を全種類やってみててくれた。この人が言っていることはかも。

再訪して確かめてみた。Diliの日曜学校(子供相手)はポルトガル語でやっていた。ただ、カテドラル隣の教会のミサはテトゥン語(インドネシア領を含むチモール島の公用語)だったけど。ホテルで見たテレビも、国営放送は、全部ポルトガル語だった。街頭インタビューのテトゥン語をポルトガル語に完全吹替、夜中はブラジルの番組を流していた。町でもポルトガル語を話せる人はいた。年を聞いたら40歳というから、教会との距離や年代によってはそれなりに浸透しているのかもしれない。

 

 


 

 

 

 

 

 

 

Trip128 Vanuatu Apr.2017

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だいぶたってしまいましたが、4-5月にVanuatuバヌアツに行ってきました。今回が2度目。

 

 

季節外れのサイクロンが2つも来て、観光客のほどんどいかない(インフラの弱い)離島で1週間足止めになり弱りました。増水した川を腰までつかりながら渡り、電話の通じる村まで片道8㎞歩いたのも今となってはいい思い出です。

 

ハイライト

1 Pentecostペンテコスト島

バンジージャンプのもとになったLand Diving(地面へ飛び込み)。といっても、足に巻き付けたゴムの長さで地面や水面に頭が付かないバンジージャンプと違って、本場のこちらは、ペニスケース一丁のダイバーが木製の塔から雄たけびを上げながらジャンプ。思い切り地面に頭打ち付けています。1)飛び込み板がジャンプ時に折れるようになっている、2)弦性植物が足首に巻き付けてある、ことにより一定のショックは吸収されているけれど、予想外の迫力でした。

ビデオ撮ったSDカードが見つからないのですが、見つけたらアップしたいと思います。

なお、この儀式(の再現)は4-6月の土曜日にしか見られません。

もともと芋の収穫祭だったということで、タワーを手作りで4月までに作って、それが安全に使える3か月間だけ観光用に活用しているものと思われます。

 

2 Epi島

ジュゴンが見れる島。ペンテコスト島のツアーにわずかな料金上乗せでセットにできます。

運悪く見れない人もいるけれど、ジュゴンは確実にその海域にいるようです。ボートの船長が、「あそこにいるぞ」と指示を出し、観光客は泳いで必死に追いかける、そんな感じで、

私も逃げてゆくジュゴンを後ろから見ることができました。

 

3 Tannaタンナ島

よくガイドブックの写真やポスターで見る、放物線をきれいに描いたタンナ島の火山の噴火シーン。あれは現実のものとは大きく違っていました。花火の写真が肉眼で見るのとは違っているように、長時間露光で「作られた画像」であるのと同じです。実際のヤスール火山の噴火は火の粉が時折、パン、と上がるだけ、音も熱も色も驚くようなものはありません。灼熱のマグマが目の前でうねるエルタアレ火山(エチオピア)や、光る溶岩が流れ出すのが見れるKilauea火山(ハワイ)のような迫力はありませんでした。

それでも、火の粉がボンとあがったあと、灰や桜の花びらのように静かに降っていくこの島の火山噴火は美しく、線香花火のように余韻を楽しめます。

また、島の人の信仰・伝統と結びつき、今でも畏敬の念を集めているという点では、世界でも稀有な存在。訪問した2週間前にも、行方不明の人がでて、カバと豚をお供えして儀式をしたとのこと。女性との結婚を反対された男性が夜中に不明になり、足跡をたどると火山火口まで続いていた・・・おそらく自殺だというのが宿の主人の話。

空港近くの町WhiteSandではなく、火山入口付近の村にいくつかあるツリーハウスに泊まれば、オーナーからいろんな話を聞かせてもらえます。

 

4 Malelulaマレクラ島

観光的には無名の島だが、観光化されたバヌアツで最も伝統が生きているとも言われる。

島には2つの”Country”があり、Smol Nambas(小さなペニスケース族)Countryから、Big Nambas(大きなペニスケース族)Countryまで3日かけて歩いていく予定だった。サイクロンのため、歩きは途中の村までで、そのあとは町に戻りトラックで行くことになった。

Big Nambasはペニスケースが大きいという意味では必ずしもなく、キリスト教を最後まで受け入れなかった=人食いを含む伝統が長らく支配していた「Big Culture」のナンバ族という意味だという人もいた。私たちには理解に苦しむような数々の伝統が生きている。

 

例えば、男性と結婚した女性は、男性の父親や兄と会話をしてはいけないし、食事も作らない。おそらく嫉妬等で殺し合いが頻発したためそれを防ぐ意味で慣習化したと思われる。山の奥には、食人儀式をした名残などが残っているが、Evil Spiritsがいるということで、立ち入りがタブーになっている。今回はつてをたどって村長代行に連れて行ってもらった。写真2段目のピンクの花(赤や黄色は意味が違う)は、敵を殺して自分たちの村へ運ぶ(食人の儀式)ときに死体の腰巻を飾るときに使っていた花(Parrot Flower)。

他の島の伝統家屋が太陽光をうまく取り入れてるのに対し、この島のそれは萱の軒先が地面まで伸びていて中は暗い。ナカマル(カバ飲みなどの会合に使う男たちの館)を見れば一発で違いがわかる。これは同じ島の民でも殺し合っていたので他の村の住民を警戒したためだという。

この島の伝統文化と人々にすっかり魅了されてしまった。コラージュにしている写真の2/3はこの島で撮った写真。

 

5 サント島

ブルーホールやシャンパンビーチといった定番の観光地がある。