久しぶりの更新でーす。
仙台に行ってから今までのことをちょっと。
仙台では、約1ヶ月間活動してきました。
仙台に入ったのは6月。
前回行った時からちょうど1年が経っていて、
山のようにあったガレキは、集積所へと運ばれすっきりしたかんじ。
でも踏み固められた農地はそのまんま。
広大な仙台平野。
今はその農地の復興支援が毎日行われています。
農機具やビニールハウスも全て津波にもっていかれて、
農地はガチガチに固まって、中はガラスなんかのガレキがたっぷり。
収入もなくなり従業員を雇うお金もない。
家族を亡くされて、家も流されて。
そんな中、立ち上がって前に進んでいってる農家さんたちがいます。
60歳をこえて、全てを失っても、前を見て歩き出すお父さん。
自分には想像も出来んぐらい、辛くて悲しくて寂しいはずなのに、
いつもほんっとに最高の笑顔で接してくれます。
みんなにも見てほしいな。
ほんとにカッコいい男の姿。
そんな人たちが東北にはたくさんいて、
毎日頑張ってちょっとずつ復興してきています。
ボランティアはそのお手伝いをさせてもらうこと。
変なかんじかもしれんけど、
いつもこっちが”ありがとうございます”って言ってしまいます。
これはボランティア行った人はわかってくれると思うなー。
そんなこんなであっという間に1ヶ月が過ぎた頃、
九州がすごい豪雨でめちゃくちゃに。
テレビで見た時は冗談抜きで、
九州全部飲み込まれたんやないかってぐらいの被害の映像ばかり。
電話したら実家はだいじょぶだったけど、
やっぱり地元の九州が心配で。
今行かなかったら、絶対あとで後悔するって思った。
考えるより動いたほうが早い。
考えてたら出来ない理由ばっかり出てくるけど、
決めてしまえば、どうやったら出来るかを考える。
仙台から石巻のほうに移る予定にしてたけど、
すぐ高速バスのチケット買って九州へ。
福岡の被害が出たのが14日の朝。
仙台の出たのが15日の夜だったから、九州に着いたのは17日。
災害すぐのとこなんて今まで行ったことなくて、
自分が思いつく範囲で道具揃えて車に積み込んで準備。
そして18日、被害が大きかった福岡県の八女市へ。
テレビで見たすごい被害の笠原地区へ向かったけど、
がけ崩れで道路が寸断されてて行けなかった。
すぐ引き返してその日から活動開始の、
八女市のボランティアセンターへ。
初日集まったのは40人ぐらい。
ビックリするぐらい少なかった。
最初に行った八女市長野地区。
床上・床下合わせて70件ぐらいが浸水の被害があった地区。
はじめの何日間かはガレキの運搬。
家から出された水に浸かったタタミや家具を、
軽トラに積んで集積所へ。
休憩もろくにとらず、とにかくどんどんもっていく。
あっという間に1日が終わってた。
道に出してあるガレキの運搬がさばけてきてからは、
1件に10人ずつぐらい入って、床下や庭の泥出し。
それでも全然人が足りなくて、
いろんな地区に人を振り分けたら、長野地区はいつも20人ぐらい。
”うちはまだ入ってくれんのやろうか?”って申し訳なさそうに聞いてくるおばあちゃん。
慣れない片付けで疲れ果てて、今にも糸が切れてしまいそうなギリギリの顔。
でも人が足りなくてすぐ手伝いに行けない。
そんなんが毎日。
ほんとに悔しくて、申し訳なかった。
人さえいれば解決できることなのに。
誰も悪くないのに苦しんでる人たちが、
目の前にたくさんいた。
”人が足りません!”って叫び続けた。
来てくれたボランティアさんや、facebookを使って叫び続けた。
そしたら、少しずつやけどみんなが反応してくれて、
自分の地元佐賀やいろんな県から集まってきてくれました。
ほんとに嬉しかった。
なんか必死で叫んでたから。
ちょっとずつボランティア常連さんや仲間も増えてきて、
週末は500人が集まるようになってました。
地元の人の力とボランティアの支えで、
3週間ぐらい経った時には長野地区はだいぶ落ち着いてきました。
その後は道が通れるようになった笠原地区へ。
こっちは道が壊れてて川を渡っていくところや、
タタミの上に1mぐらい泥が入ってるところがあって。
この地区には毎日70人ぐらい入ってやってました。
多いときは1件に50人ぐらい入ったり。
少しずつ片付いていって、ボランティアセンターもお盆休みに。
そんな時、今度は京都や大阪で水害が。
しかも九州よりもさらにすごくて、亡くなった方も。
ちょっと考えたけど、少しでも力になれたらって思って、
その時一緒に活動してた仙台からのボランティア仲間の濱田さんと京都へ。
高速飛ばして半日で着いて、
次の日から一週間、京都府宇治市で活動してきました。
こっちは全国から経験者が集まってきてて、
何より地元の人たちの助け合いがすごかった。
みるみるうちに復旧が進んでいきました。
活動しだして3日目ぐらいに、午後からすごい大雨が降って、
同じ川が反乱して二次災害が。
それでもたくさんの人の力が集まった宇治市。
やっぱり復旧は早くなりそう。
そう思ったんで、また八女に戻って活動することに。
それから8月末まで活動してきました。
依頼されてるニーズが終了したため、
センターがいったん休止になって、今は週末だけの活動みたいです。
アツい気持ちを持った地元福岡県のみんながいてくれるから、
自分の想いもバトンタッチしてきました。
みんなが1つになって復興に向かって進んでいってます。
何か出来ることがあったら力になりたいって思って行くのに、
いつもいろんな気持ちをもらってくるばっかりで、全然力になれなくて。
でもたくさんの出会いがあって、
同じ気持ちの仲間がたくさんできました。
みんなにありがとうです。
宿もなくて飛び込んで、
お願いして泊めてもらった長野地区の公民館。
そのあとお世話になった、廃校になった小学校。
そして支えてくれていろんな人のおかげで、
自分が思うようにボランティアさせてもらいました。
1人じゃ何も出来ないことを改めて実感。
でもそれと同じぐらい、
みんなが集まった時の大きな力も感じました。
『微力だけど、無力じゃない』
ちょっとだけ実家でゆっくりしてから、
もう1度東北へ向かおうと思います。
今は時間がある。
お金もまだちょっとだけある。
自分が思うボランティアは、
”行ける人が、行ける時に、無理なく”じゃないかなって。
今自分に出来ること、
もうちょっとだけやってきます。
最近ブログを全く更新できてません。
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岩場で銃をかまえた写真が目印。
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