Days of Love, Joy and Abundance

Days of Love, Joy and Abundance

日々是好日 ~ いま ここ にある豊かさと喜びに感謝します

Amebaでブログを始めよう!

 

数日前の満月の前日、夫の郷里の新潟で義母の葬儀がありました。

 

義兄から訃報の知らせがあってから即日の通夜と告別式だったので、夫の運転する車で慌ただしく新潟へ向かい、帰宅後はまた何事もなかったかのように今まで通りの日常が継続されています。。。

 

ちょうど末息子は高校の修学旅行に出かけていて、大変簡素な家族葬だったこともあり夫婦2人だけの体験でしたが、新潟から持ち帰ったお花を眺めながらようやく一つ一つのことを想い出し義母への感謝の想いを綴れるようになりました。

 

お花が大好きで自宅の庭だけでなく、家の前の土手沿いにも花を植えて通る人々を喜ばせていた義母。

 

鍛冶屋だった義父を支え、一緒に仕事を手伝いながら厳しい生活の中で3人の子どもたちを立派に育てた義母。

 

傍目から見ても苦労と試練続きの人生だったにもかかわらず、決して愚痴ることもなく、最後までお得意のユーモアを忘れなかった義母。

 

半年前に家族全員で会いに訪れたとき、帰り際に土手の前に立っていつまでも見送ってくれた義母。

 

久々に見た夫の涙とたくさんのお花に囲まれた棺の中の義母の顔の美しさを想い出しながら今日も御線香を供えて手を合わせます。。。

 

86年の長い人生、本当にお疲れ様でした。

わたしの愛する大切な人をこの世に生み出してくださって本当にありがとうございました。

どうぞゆっくりお休みください。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日、またまたワンネス~ すべてはつながっていてわたしたちの意識はひとつ ~の体験がありました。

 

上手く言葉で表現できるかわからず、伝わりにくいことは承知で綴ってみます・・・

 

小さなギャラリーを主催している知人から、フランス在住のバイオリニストが来てギャラリー内で演奏をするので写真を撮ってもらえないか~ とのお願いのようなお誘いがあり、夕方特に何の考えも期待もなく激しく降り始めた雨の中到着するとすでに演奏は始まっていました。

 

ちょっと緊張したような音色のバイオリンが奏でているのはわたしが大好きなバッハの無伴奏の曲~ 

思わず胸が高鳴り、写真を数枚撮ってから知人が勧めてくださる椅子に腰かけ、本格的に演奏を聴かせていただきました。

 

小柄で白いスラックスにボーダーのシャツというカジュアルな装いの日本人とおぼしき女性のバイオリニストが目を伏せて真剣な面持ちで全身を揺さぶりながら奏でるバイオリンの音色がこじんまりした木造のギャラリー全体に響き渡り、一瞬、宮沢賢治の”セロ弾きのゴーシュ”に出てくる、チェロの中でゴーシュの演奏を体験する子猫になったような気持になりました。

 

途中お話ししたり調弦したりしながら何曲か演奏された後、”ようやく調子が出て来た・・・”とのことで、再び最初のとは別の無伴奏のバッハのバイオリン曲が始まり、引き込まれるように音の世界に意識を委ね始めた途端突然涙が溢れてそこから2曲目のバッハが終わるまでの15分程の間、あとからあとからとめどもなく溢れてくる涙を抑えることができませんでした。

 

情熱的で魂にじかに触れてくるような深い演奏をされる割に素顔は意外とカラッとしてサバサバした感じの演奏者のYさんが、わたしが泣いているのに気づかれて、演奏後に ”何かのアレルギーかと想った” とおっしゃったのはちょっと笑えましたが、涙の理由は自分でもよくわからず、大好きなバッハの曲・・・というだけでなく、音=波動に込められた(というより、音=波動に表現されていた)彼女の想いや音楽に対する姿勢、これまでの様々な人生のドラマ~苦しみや喜びや歓喜etc.~を脳とハートが正確にキャッチして、それによって魂が震えるように涙がとめどもなく流れたように想います。

 

わたしは普段から涙腺がかなりゆるい方で、日常の様々なシーンで涙を流します。

オーラソーマのセッション中にもクライアントさんのお話しを聴きながらよく涙を流しています。 

そのときも、やはりその方の体験やそこに伴う感情がじかにハートに響いてくるので、しらずしらず涙が溢れてくるのです。

 

昨日素晴らしい演奏を聴かせてくださったYさんは昨年事故で弓を持つ手を痛めてしまい、医者には演奏者として再起不能と宣言されたとのことで、そこから今に至るまでわたしたちには伺い知ることのできない苦しみを体験されたと推察いたします。

 

その辺りの事情は何一つ伺っていなかったものの、彼女の演奏には波動としてすべてが込められて(表現されて)いたので、それをわたしの脳かハートか魂がじかに受け取って涙を流したようです。

 

写真と共に素晴らしい演奏への御礼のメールをさせていただいたところ、すぐにご返信くださったメールの文面に ”音楽は神様の魂に触れると感電する・・・” とあり、その意味は完全には理解できないものの、納得している自分がいました。

 

自分も拙いながらもフルートの演奏者として多くの方々に生演奏を聴いていただいており、中には演奏を聴いて涙される方も数多く見受けられ音の効果と影響力の大きさにいつも驚かされていますが、それはただの 音 というだけでなく、音=すべての情報が含まれた波動を受け取っていらっしゃるということなのだと今回深く腑に落ちる体験をさせていただくことができました。

 

昨日演奏後にYさんの経歴を拝見させていただいたところ

フランス在住の世界的なバイオリニストでいらっしゃり、普通なら日本には演奏会で帰国する程度でわたしなどは日常ですれ違うこともなかった筈なのに、昨年の事故による怪我が原因で今回長らく帰国中でたまたま共通の知人であったギャラリーのオーナーのお陰で大変贅沢な環境で素晴らしい演奏を聴かせていただくことになり、しかも昨日出かける前にふと手にしていった篠笛で日本の曲を何曲か演奏させていただき、”懐かしい、懐かしい” と大変喜んで聴いていただけたのは素敵な心温まる想い出になりました。

 

今回のことでさらに世界のすべて、わたしたちすべてはつながっていて、美しい模様を織りなすタペストリーのように複雑に絡み合っている~その中で、一瞬一瞬の意識と選択がわたしたちの人生の在り方と方向性を決めている~ ことに深く気づかせていただきました。

すべてはつながっていて、わたしたちはもともと ひとつ なのです。

 

宇宙に遍く満ちている愛と叡智に心からの感謝をドキドキ

ありがとうございますラブラブ

 

 

 

秋分の日の振り替え休日の今日、遠方からオーラソーマの個人セッションにいらしてくださったお2人の女性はお誕生日が一緒で同い年。

近々揃ってO十歳になられるそうです。

 

そんなおめでたいタイミングにお2人揃って個人セッションを受けてくださいました。

個人セッションは3度目のPさんは今回は地方にお住まいのお友達と一緒にオーラソーマを受けたいと彼女を招待してくださったようで、お2人分の個人セッションとボトルの代金を渡してくださったのにびっくり・・・

 

そして、新幹線を使ってわざわざ来てくださったご友人のMさんは長きに渡る命がけの試練をようやく乗り越えられ、最近オーラソーマが気になっていたそうですが、今回のオーラソーマがPさんからのお誕生日プレゼントとは想っていなかったとのことでまたまたびっくり・・・

 

 

セッション中もその後のお2人との会話の中でも終始シンクロニシティが満載でした!

 

(失礼な意味ではなく、)決してご自身に余裕があるわけではないのに大切なお友達のためにご負担くださったPさんの優しさと心の豊かさには心から感動しましたが、それ以上にあらためて、わたしたちはもともと ひとつ だということ~ エゴ=思考を手放して直感(直観)に身を委ねると自然に大いなる力に動かされてシンクロニシティに運ばれていくということを目の前で見せられた一日でした。

 

2人分の代金が入っている可愛らしいポチ袋は見るからに福々しくて、中に入っているのは普通の日本円のはずなのに見ているとその中から愛が溢れ出しているようで、思わずわが家の神棚にお供えさせていただきました照れ

 

 

自ら発したものはその者へ返る・・・~という宇宙の法則の通り、この愛と豊かさは倍になってPさんに返ることでしょう。

 

宇宙に溢れる愛と豊かさに心から感謝ですラブラブ  ありがとうございますドキドキ

 

 

真っ青な青空の広がる日曜日、2人のティーンエイジャーが個人セッションにいらっしゃいました。


深刻な顔つきの男の子の方は深刻な状況を通過中で抱えきれない程の悩みを深いところから吐き出すように話をし続け…
顔も上げず、目も合わせないのが気になりながらも真剣さが伝わってくるので、こちらも全意識を集中させてすべて受け止めます。

最後に選んだボトルを大事そうに両手に包んで来たときよりだいぶ軽やかになって帰られました。


明るい顔つきの元気な女の子は軽やかにセッションをスタートしたもののやはり微妙な心の機微を話始めると落ち着かない神経質な様子が見られました。


学校という枠の中の特殊な人間関係の中でみんなどこかしら無理をしたり、心が傷ついたり痛んだり…  そのようなときにそんな自分の本音が心おきなく話せる場所があったらどんなに助けになることでしょう…❕

オーラソーマや個人セッションに来られない子どもたちにもそのような場と機会が与えられたらどんなにか良いだろうな… と思います。

そんなティーンエイジャーのお2人に寄り添う機会が与えられたことを心から感謝しました…✨

幼少期に親や周りの大人から否定された経験は子どもの柔らかい心に計り知れない傷を残し、その影響が10代の頃にいろいろな問題として表面化することはよくあることです。

子育て最中のご両親にはお子さんたちへかける言葉を気をつけて吟味し、美しいポジティブな言葉かけをしてあげて欲しいです✨

そうすることでティーンエイジャーやさらに大人になってからの問題がだいぶ軽くなるだろうと思います。

今試練を通過中のティーンエイジャーのみなさんも苦しい時を通り抜けることで強く逞しくなって周りに愛を分かち合える大人になって欲しいと思います😉

導きと祝福に心から感謝です✨
ありがとうございます🌸


色とりどりの満開の紫陽花と共に梅雨の雨が乾いた大地とわたしたちの心を優しく潤してくれている今日この頃~


2日連続で遠方から(県内の外れと他県から)オーラソーマの個人セッションに来てくださった方がありました。

それぞれ別の場所から娘さん、そしてご友人に連れてこられたお二人に共通していたのが、愛する人の死の悲しみに直面されていることでした。

愛する者… それがお子さんだったりご両親やご兄弟だったり親しいご友人だったり、中にはペットの場合もありますが、それらの大切な者の死はわたしたちの存在を揺るがすほどの衝撃を与え、ときには何年も立ち直れないほどの悲しみや苦しみ、心の傷を残します…

わたし自身も18年前に当時4歳半だった長男を突然亡くし、言葉には言い尽くせないほどの苦しみと悲しみを体験させられました…

その日は春の彼岸入りの日で、周りには色鮮やかな菜の花畑が広がっていたにも関わらず、わたしが見ている世界は突然モノクロになってしまったように色を失ってしまいました…

小さい田舎のコミュニティのことですから噂はすぐに拡がり、周囲の人々の動揺も伝わってきて外に行くのも人に会うのも苦痛で、ただ自分の心の闇と向き合うだけの終わりのない暗闇にいるような苦しみの日々が延々と続いていたのを覚えています。

この2日間に個人セッションさせていただいたお二人もそのような苦しみの中にいらっしゃるようでした。




選ばれた4本のボトルを前にクライアントさんと共に涙しながらも自然に言葉が溢れて必要なことをお伝えさせていただきました。

愛する人の死 …というと大変な悲劇のように感じられますが、意外とわたしたちの日常に近いところにあるようです。

わたしも息子が亡くなった後にも親友や両親、祖母、ご近所の方etc. の死に立ち会い、繰り返し喪失体験とそれに伴う学びをさせられてきたような気がします。

そばにいて当たり前だと思っていた人が突然いなくなると、わたしたちは始めて ゛当たり前などない゛ ことに気づかされます。。。

この世でご縁をいただき家族になったり友人になったり、ご近所さんになったり・・・ そのような大切な方々と共にいられる時間がどんなに貴重で愛しいものか・・・一度でも喪失を体験していたら痛いほどわかるものです。

わたしの個人的な体験を知らずにそのような喪失体験をされた方々がいらっしゃることにどこか天の采配を感じずにはいられません。

そしてそのような方々に寄り添い、オーラソーマを通じて微力ながらもサポートさせていただく機会を与えられたことに心から感謝しています・・・✨